Episode-73
二人は部屋を確かめながら二つの階段を登った。一つ目の階段を登った場所には五つの部屋があった。どれも簡素な木の扉で、大の男なら腰を屈めないと頭をぶつけてしまいそうな高さしかない。独房に見えなくもないその扉は全てが開け放たれていた。もしかしたらアリーチェさんがすでに確かめたのかもしれないわ。
二つ目の階段は右と左に別れていた。シーナとアダーツィは少し迷ってから右を選んだ。
静かな階段では注意を払っているのにもかかわらず響いてしまう自分の足音に時折立ち止まっては後ろを振り返る。だが他の音はない。そのシーナの様子にアダーツィはあきあきしてきた様子だった。
「急がないと」
「う、うん。けど、さっきから足音がするの」
「ここは階段だからだよ。反響してるんだ、音が。急ぐぞ」
階段を登り終えたと思った瞬間、アダーツィの横の壁から銀色の光を反射させた何かがアダーツィめがけて振り下ろされた。
シーナは声も出す暇もなく、咄嗟にそれを叩き落とそうと杖を振るった。硬質な金属音が響くと同時に手首に痛みが走る。腕も痺れている。
不意打ちを狙ってきたのは盗賊だった。焦りと怒りが滲む舌打ちをするとシーナの腹を蹴り上げた。一瞬の後に巨大な鈍痛が腹に広がり、シーナは呼吸ができなくなった。膝を屈するよりも早くもう一度衝撃を感じたときには天と地がわからなくなっていた。身体中が痛い。金属がぶつかる音と朧げに聞こえる声。
「シーナ! 返事をしろ!」
アダーツィの声だわ。あぁ、体全体が痛い。頭に熱を感じる。火がほとばしるようだ。額には何かが流れている。手についたそれを見る。血だわ。あぁ、痛い。
見上げると、階段の狭間から差し込む朝日の中、アダーツィと盗賊が剣を打ち合わせている。
シーナは体のあちこちに痛みを感じながらも必死に杖を握り直す。剣と打ち合った手が痺れて波のように痛みが押し寄せる。幸い腰は打っていないようだ。立ち上がれるしフラついてもいない。
シーナが階段を上がると、アダーツィはシーナ側に身を踊らせて盗賊と立ち位置を入れ替えた。シーナを庇う立ち位置だ。
盗賊から目を離さず、鋭くアダーツィはシーナに言う。
「左の奥にある扉が見えるか? ここが最上階で、あの部屋一つだ。きっとあそこに父さんがいる! 俺はこいつを……っ!」
アダーツィの言葉が終わるのを待たずして盗賊が剣を突き出す。
シーナは足を引きずりながら扉を目指して走った。扉には鍵がされていた。後ろを見れば、アダーツィが危うげに盗賊の巧みな剣をさばいている。完全に押されている。助けに戻るべきかと一瞬迷う。
「行けシーナ!」
アダーツィは気迫の籠もった声でそう言うと、盗賊を押し返し始めた。シーナは頷いて扉に向き直ると、鍵を吹き飛ばそうと杖にオルスを送る。ほんの少しのオルスで杖のルスと繋がり、魔具と感覚が繋がった時と同じ状態になる。だが魔法を決める魔紋は無い。ならば神秘と同じだ。
閉じ込められた怒りが爆発するように、炎が檻に入った様子を想像する。杖のルスをオルスから引っ張り、力を増幅させる。杖を鍵穴に向けて、想像と意識の塊を放つ。
扉は火と轟音を上げて砕け散った。少々やりすぎたかと思うほどだ。
部屋の中には椅子に縛られた中年の男が一人、酷く憔悴している。その縛られた男の首に短刀を当てがい、今にも掻き切ろうと腕に力を込めている盗賊が一人。
シーナは咄嗟に集めてあるオルスを盗賊めがけて一気に放った。速く、速く、速く。杖の先からは稲妻の如き閃光が放たれ盗賊の胸に直撃した。盗賊は後ろに吹き飛ばされて襤褸人形のように壁にぶち当たり動かなくなった。自分が何をしたのか理解した途端、全身が空っぽになったかのような寒気が体に広がる。腰が抜けてしまいそうだ。だが、それよりも目の前の光景に寒気を覚えていた。
椅子に縛られた男の首からはとめどなく血が流れていた。みるみる首元の服を黒く染め上げ、服を伝い椅子を伝い地面に血溜まりができてゆく。
そんな……そんな。
「アダーツィ!」
シーナは泣き叫ぶように呼ぶ。あぁ、わたしはなんてことを。
「はやく……」
数秒後、アダーツィが部屋に飛び込んできた。
「父さん!」
アダーツィは剣を投げ捨て飛ぶようにエヴァーツィに近づいた。アダーツィは震える手でエヴァーツィの喉を押さえる。その手を嘲笑うかのように隙間から血が溢れ返る。
アリーチェが部屋に飛び込んできた。シーナは泣きながら口を押さえ地面に座り込み、エヴァーツィとアダーツィを見つめることしかできなかった。
アリーチェは静かにエヴァーツィに近づいた。
「父さんが、父さんが!」
アダーツィは半ば怒号に近い声を発しながら、何かを探すように必死に部屋を見渡す。アリーチェがそっとエヴァーツィの頬に手を添わせる。
「母さん! 父さんが! 神秘で何かやってくれよ!」
アリーチェはアダーツィの声を無視し、エヴァーツィの手を縛っていた縄を切った。エヴァーツィは震えながら重そうに腕をあげると、アダーツィの手を握った。口から血が溢れ、咳とともに血飛沫が飛ぶ。震えながらアリーチェの方へ顔を向けた。目は定まっていない。
アリーチェはエヴァーツィの焦点の定まっていない目を見つめた。
「もう見えていないのね」
アリーチェは堰を切ったかのように声もなく涙を流した。エヴァーツィの額に自らの額を合わせる。
アダーツィの手を握っていたエヴァーツィの腕が力なく垂れ下がり、指先から血が滴った。
「父さん。父さん? 父さん!」
アダーツィは再び何かを探すように部屋中を忙しなく見渡す。シーナの背嚢に目が行くと、大股でシーナに近寄り、口を手で覆い腰を抜かしているシーナの背から背嚢を取り上げた。焦りに満ちた乱雑な手つきで背嚢の中をかき漁る。
「助かる。助かる。まだ助かるんだ。絶対助かるんだ。死ぬもんか、狩猟長だぞ。俺の父さんだぞ」
「アダーツィ……」アリーチェの静かで力無い声が、瓶と瓶がぶつかり合う音にかき消される。
「何かあるはずだろ。なんでないんだよ。なんかないのかよ!」
「アダーツィ」
「ちきしょう!」
「アダーツィ!」
アリーチェの槍の一突きにも似た声にアダーツィは手を止め、首がちぎれそうな速さで振り向いた。目は怒りと涙を纏い血走っている。
「エヴァーツィはもうここにはいないの」
アダーツィは嘲笑するように顔を歪めた。
「もう、彼の魂はここにない。〈魂の山〉に向かったのよ」
「なに言ってんの? 父さんが死んだんだぞ? なんでそんな冷静なんだよ!」
アダーツィは手に持った瓶を壁に投げ捨てた。瓶が砕け散り、シーナが飛び上がった。中の液体が壁に黒い跡を残す。
「そう……もうエヴァーツィはいないの」
アダーツィの荒い息の音だけが部屋の中を満たした。




