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Belief of Soul〜繋ぐ者達〜  作者: 彗暉
第1章
72/75

Episode-72

 夜陰が森の隅まで覆い、天にちりばる眩い星々と共に世界を見下ろす夜の君イレルの光を頼りに、アリーチェを先頭に開拓団は森の中を進み続けた。途中、西の野営地に続く道は木々が倒されて封鎖されていた。そのせいで薬や矢などの物資を積んだ荷車を捨てねばならなかった。できる限りの物資を手分けして背負い、森を進み続けた。

 皆、士気は高かった。誰もが怒りに燃えていたのだ。野営地から森に入る前までは朝靄のごとき不安が皆の心を覆っていたが、アリーチェが弓を背負い合流すると、まるで太陽が靄を払ったかのように士気が高まった。皆一様に勝利を信じている。

 辿り着いた西の野営地は黒焦げ、そこには静しかなかった。ゆらゆらと登る煙に焼けて光沢を帯びた建物の残骸が広がっている。壁は壊されていないのに中は壊滅状態だった。誰一人として生きていない。誰もが声にならない苦悶を噛み締めて死んだ仲間のことを想った。

 まだ暗い夜の裾が森の中に広がる中、狩人達は黙々と歩を進めた。最初よりも士気は下がってしまっていた。当然だ。西の野営地でも数人は残っていると誰もが思っていたからだった。それなのに、一人として生きてはいなかった。アダーツィは仲間の顔を見て回った。皆の目に湛えられた影が濃くなっている。

 十数人しかいない狩人達はアリーチェを先頭にして黙々と足を忍ばせ斜面を登っていた。盗賊の砦はこの斜面の上にある。崖を背にして建てられた砦への道はここしかない。敵も俺たちがくることをわかっているはずだ。もうすぐ戦が始まる。

 シーナはパンナッツァの補助に回るために後方を歩いている。魔法使いは魔法で全方位に対応できるように真ん中を歩く。ミドーリェ、アダーツィは肩を並べた。ミドーリェはしんがりだ。

 後ろを振り返り皆の顔を見る。それぞれが腹を決めたようだ。戦いが始まる。

 砦の壁は物静かに、南の空の暗闇が淡い色をおびた未だ暗い空の下に佇んでいる。見張りの姿は見えない。わざと隙を見せているかのように眠りこけるその壁は、所々丸太の壁で補強されていた。見張り台には松明を四本掲げているだけで見張りの姿は見えない。おかしいぞ、松明を焚いているのに見張りがいないのはなんでなんだ?  



 アリーチェはオルスを瞬時に集め、周囲に放った。

 放ったオルスは開拓団以外の人の気配は感じられなかった。見張り台どころか、戦いに備えているような気配すらない。 

 アリーチェはしんがりに後方の様子を尋ねたが、異常はないと言う。どういう状況なのかアリーチェは考えあぐねた。見張りを立てず松明を焚いておき、警戒しているように見せかけて壁に注意を引かせ、後方から襲う罠なのかと思い、後方にオルスを放ち周囲を探ったが、探れる範囲内には何もいない。

 アリーチェはミドーリェとアダーツィにこのことを話して聞かせた。

 アダーツィはアリーチェから聞いた周囲の状況を後方でミドーリェと話し合っている。結論はすぐに出たようだ。


「母さん。俺と先輩で壁を乗り越えて内側から門を開ける」


「わかったわ。でも気をつけて。これは罠よ」


「でもどうすることもできないだろ? ベイガロは罠にかかっても食いちぎる。それと同じだよ」


 アリーチェが頷くと、二人はすぐに行動に移した。釣り針が三つ合体したような形をした鉤付きの縄を二つ肩に担ぎ、アダーツィは壁に近づいた。すぐ前を弓を半分引き絞ったミドーリェが歩く。

 アダーツィは縄の鉤に近い部分を持って回転させて勢いをつけると、壁の上部に投げた。壁の向こう側に鉤が消えると縄を引く。引っかかった箇所が外れないか体重を全てかけて確認する。ミドーリェに短く頷き登れることを伝える。ミドーリェは不敵に笑って短く頷き返した。



 アダーツィは素早く音を立てずに登って行く。あっという間に壁の頂上にたどり着き、見張り台に忍び込んだ。アダーツィは息を呑んだ。盗賊が倒れている。一瞬寝ているのかと考えたが、すぐに事切れているのだと悟った。その事実が余計に混乱させた。見張り台の塀から顔だけを出して、弓を手に持ちながら辺りを見回す。人の影もない。家畜小屋の中の家畜も寝ているようで、物音ひとつしない。砦の見張り塔には人がいない。見張りが一人もいないなんて不気味すぎる。それに、死体はまだ暖かい。

 アダーツィは人がいないことを確認すると、壁から手を出し横に振った。異常なしの合図だ。すぐにミドーリェが見張り台の中に滑り込んできた。ミドーリェも怪訝な顔をした。その目はアダーツィに答えを求めている。アダーツィは肩をすくめて見せた。


「見張りが一人もいない。塔にも見当たらない」


 ミドーリェは鋭い眼差しで辺りを観察した。だが、やはり何も見つからなかったようだ。


「今は門を開ける」


 二人は見張り台から降りると、壁沿いに身を屈めながら門へと走り寄った。ここでも二人は怪訝な顔を見合わせた。門に閂がされていない。ミドーリェは門を片手にかけて、門の上部や蝶番の部分に仕掛けが施されていないかを注意深く見ながらゆっくりと引いた。門がゆっくりと音を立てて開く。何も起こらない。門へと続く道はイレルの明かりに照らされているが、落とし穴や何かの罠がかけられているようには見えない。周りには隠れられる場所は無いし待ち伏せもできない。一体どうなってるんだ? ミドーリェが頷いたのを確認してから、アダーツィは仲間のいる森に向かって手を振った。

 二人は先に砦の中の様子を探ることにした。砦の修復作業は思わしくないようで、砦の壁には穴が空いていたりと、アダーツィやミドーリェには容易い侵入だった。森の険しい岩壁を登る方がよっぽど厳しい。

 砦の中は夜の森よりも静かだった。廊下には角灯も蝋燭も、灯の一つもない。あるのは四角く削られ重ねられた岩に冷やされた暗い空気だけ。呼吸さえ反響してしまいそうなその空気の中、二人は長靴の立てる僅かな音に顔を顰めながら歩いた。

 砦の広場には暖炉が一つ、消えてしまいそうな小さな火を抱いていた。長い机がその前にあり、一人の男が座っていた。アダーツィとミドーリェは顔を見合わせた。


「アダーツィ、みんなに中の様子を伝えてこい。この闇と静けさに乗じて奇襲するぞ」

 アダーツィは頷くと、外で待っているであろう仲間のところに戻っていった。




 シーナは何も見えない壁の門をじっと見つめていた。何かが動いたような気配も感じられない。緊張する中、オルスをかき集める。光の粒子の塊を意識して集めていたオルスも、今では感覚と集中だけである程度の量のオルスを集めることができていた。ここに着いたとき、アリーチェがオルスを用いて周囲を窺ったのも感じられることができた。

 集めたオルスで神秘を行い、壁の門で何か動きがないか確かめようと集中したのと同時に、アリーチェが皆の方を振り向き一つ頷くと走り出した。

 アリーチェに淀みなく続く皆に遅れてシーナも続いた。

 アリーチェに続き、狩人、魔法使い、狩人に続いて壁の門に小走りで近づいて行く。この間に矢が飛んでくるのではないか、暗闇の中に飛翔音が一瞬聞こえたと思ったら、自分の胸に矢が突き立っている……。そんな想像をして、シーナは足がもつれそうになった。もう息が切れそうだ。こんなにも緊張するなんて、今すぐにでも声をあげてしまいたい。

 壁の門に着くと、石造りの砦の正門の影の中からアダーツィがぬっと現れ走り寄ってくる。シーナは驚いて短い声を上げてしまった。魔法使いの咎める視線に、シーナは顔が熱くなった。

 アダーツィはアリーチェに何かを話している。後続にいるシーナには内容は聞き取れない。だが、すぐに話の内容が渡ってきた。襲撃をするらしい。治療班であるシーナとパンナッツァは隊の真ん中に移動することになった。

 アダーツィの先導で砦の正門に向かう十数人の僅かな足音が地響きのように感じられ、気が気でならなかった。あぁ、本当に今にでも声を上げてこの緊張から解き放たれたい。

 突如、砦のどこからか角笛の高い音が鳴り響き、心臓が縮み上がりシーナはその場で飛び跳ねて魔法使いにしがみつく。魔法使いは角笛の音よりもシーナに驚いたのか一つ唸ってシーナを見た。自分が恥ずかしくて仕方がなかった。顔が爆発してしまいそうだわ。その上怖い。死よりも怖いと感じることがあるなんて。

 アダーツィが音も無く矢を番え、開かれた砦の正門の影の中に矢を放つ。


「敵だ!」


 そう言うが早く矢が鋭い飛翔音を立てて正門の暗闇に消えていった。すでに他の狩人達も弓を構え、矢を引き絞っている。出し抜けに、前の方にいる狩人の一人が地面に崩れ落ちた。胸には矢が突き立ち、呆然と空を見つめている。瞬きもなく、一人だけ時が止まっているかのようなその姿に、シーナは得体の知れない気味の悪い大きな手に撫でられるような感覚に襲われ総毛立った。死神がわたしの魂を今か今かと待っているんだわ。

 目の前で事切れた狩人を見て大きすぎる恐怖が軽く感じられた。あまりにあっけない、その一瞬、その一瞬で命が消えたのだ。シーナは自分の感覚を失うほどに衝撃以上の何かを感じ、何故か笑いたくなった。

 今まで生きて積み重ねてきた時間が、あの一瞬で消し飛んだのだ。デウリエ山脈で死を悟り、それに心が屈した時とは違うのだ。死と向き合う時間も、叱咤される時間も、何もない。無慈悲という言葉が生易しいものに感じるほどの死の無情さに、シーナは動くこともできなかった。動いたら、次の瞬間には自分が地面に倒れているのだろうか? 自らの胸に突き立つ矢も見ることも、誰にも何にも、別れの言葉を告げることもなく、それを告げようと思う時間すら――。


「何をしてる! ここにいては射手に狙われるぞ! 皆正門の壁際に走れ! 私が時間を稼ぐ!」


 魔法使いの怒号のような指示に、狩人達は一斉に全力で走り始めた。

 シーナは魔法使いの言葉に、声を出せなくとも目で〝わたしも〟と訴える。魔法使いの怒りと理解できないものが混ざった表情に見返されたと同時に、シーナは腕を引っ張られた。アダーツィだった。


「師匠さんは大丈夫だ! 俺の母さんもついてる!」


 力強いその腕に引っ張られ、シーナは呆然と魔法使いの方に顔を向けながら走った。

 魔法使いは矢のように細い炎を無数に宙に生み出し、砦の上部へ放射させた。それはまるで花火を見ているかのようだった。その細い炎は砦の中間部にある鋸壁の向こう側へと消えて行った。魔法使いとアリーチェが後を追い走ってくる。二人の足元に数本の矢が突き立つ。あれが当たっていたら師は死んでいた。想像しただけで足から力が抜けてしまう。

 シーナはアダーツィに手を放され地面に転がった。何事かとアダーツィを見ると、焦りに顔を歪めて弓の狙い所を決められないでいるようだった。その視線の先には、正門にたどり着いた狩人達が盗賊と白兵戦を繰り広げていた。シーナはどうしたらいいかわからず、立ち上がったはいいものの、何もできないでいた。わたしは何をしているの! 何かしなきゃ! 何か! 神秘で何か!

 横にいるアダーツィが弓を捨てて剣を抜き走り出した。シーナは思わずアダーツィを止めそうになった。だがすぐに自分を罵る。アダーツィだって仲間を助けたいのに!

 シーナは動けなかった。頭では理解している。仲間のために、大切な何かのために、戦わないと。それでも心は如実に姿を映し出す。どうすることもできない。怖い。




 魔法使いは放射状に放った魔法で時間を稼ぐと、正門に向かって走る狩人とシーナの後を追い走り出した。こちらを見ながら走るシーナの姿に懐かしさと愛おしさを感じているのに気づき、苦笑する。カリヌも戦場では横に立つと言って聞かないことがあったな。

 そんな思いも、正門から抜き身の剣を持って飛び出してきた盗賊の姿を捉えると、雲が森の中を満たすように冷静さが心を満たした。ここに留まれば上からも攻撃を受けることになる。魔法で防御に徹し続けるのは難しい。横に立ち平然と弓を射り仕留めていくアリーチェの助けがあってもだ。閃光を生み出すのもいいかも知れないが、咄嗟の魔法に全員が理解できなければかえって邪魔になってしまう。時間の猶予はない。

 魔法使いは全力で自分が使える最高の魔法を繰り出した。この魔法でバーインス王国時代恐れられた。液体のように実態があるように見える炎の球を同時に六つ生み出す。それは目まぐるしく回転しながら炎の尾を引き地面に落下すると弾けた。飛散すると思われた炎はその姿を燃える狼へと変化させ、獲物を見つけたかのように一目散に走り始める。一体の大きさは野生の狼と変わらないか、少し小さいくらいだ。地面を風のように駆け、盗賊の足に食らいつき地面に引き倒す。仲間の狩人の数人は驚いたように剣を向ける者もいた。魔法使いは砦の鋸壁の狭間に抜かりなく目を光らせ、矢を放つアリーチェに振り向いた。


「この魔法は集中力がいる。援護してくれ!」


 アリーチェの静かな頷きを見るや否や、魔法使いは杖を地面に突き立てて、炎狼の感覚と僅かな繋がりを感じる為に目を瞑った。

 炎狼と感覚が繋がるなど戯言かもしれない。それでも、もう一人の自分が遠くにいるかのように、炎狼が見ている風景を想像するのに足りる感覚を感じるのだ。

 六体の炎狼の感覚を感じながら、杖に送る魔力を調節する。魔力はオルスと同義だ。魔法使いの強い魔力を生み出す信念は、シーナの背中を押してやるという気持ちから無限に湧いた。あの子を死なせるわけにはいかない。




 シーナは感覚の鈍くなった自分の足を殴った。


「動いてよ!」


 歯を食いしばりながら殴るも、足は震えて言うことを聞かない。前方にいるパンナッツァが負傷した狩人を、上からの攻撃が当たらない壁の下まで引き摺っている。パンナッツァの普段の落ち着いた様子からは想像もできない必死の形相をした顔が、シーナに向かって何かを叫んでいる。シーナは聞き取れなかった。聞き取らなければとは思っても、本能がそれから逃げようと耳を塞ぐ。

 一人の盗賊がアダーツィの脇をすり抜けて、剣を高く振りかぶりシーナに近づいてきた。あぁ、もう終わりだ。けっきょく、けっきょくわたしはまた諦めて……。

 そのとき、どうしようも無い怒りが腹の底から無限に広がり身と心を焦がす。何が〝もう終わり〟よ。

 咄嗟に突き出した手から、火の球とも言えない松明の火ほどしかない神秘が盗賊の顔へと飛んで行き燃える。盗賊は悲鳴をあげながら剣を捨て火を消そうと必死に手で顔を覆った。と、盗賊が炎の塊に顔ごと呑み込まれ横倒しになった。盗賊を襲ったのは、炎狼だった。炎狼が目ではない炎の目をシーナに向ける。意志を感じた。強い意志だった。その中に混ざる優しい想いも感じた。野営地で出会った炎狼と同じ、師がいつも向ける優しくもどこか哀しい想い。あの両親を殺した怒りと悲しみに満ちた炎狼の目とは違う。

 炎狼とどれほど目を合わせていただろうか? ほんの一呼吸か、もしかしたらもっとだったかもしれない。それで十分だった。わたしは生きるんだ。支えてくれる人がいる。わたしの選んだ道に寄り添って歩いてくれる人がいるんだ。生きるって決めたから、わたしは……生きる!

 シーナはパンナッツァの方に駆け寄った。負傷した狩人は肩に深い斬り傷を負っていた。シーナの顔をパンナッツァは二度見した。


「大丈夫なのかい?」


 シーナは力強く頷いた。


「はい。何をすればいいですか?」


 パンナッツァは口早に説明した。シーナは素早く、繊細に手を動かす。狩人の服を裂き傷口を水で洗い流した。痛みで身を捩る狩人をパンナッツァががっしりとした腕で押さえつける。顕になった斬り傷から血がとめどなく流れ出る。パンナッツァはシーナに赤銅色の鉄のようにずっしりとした棒状の物を手渡した。手の平ほどの長さのそれは、カイザスモーンから貰った灼延石に似ていた。


「それに神秘を流し込んで、傷口に当てて! 僕は押さえておく!」


 シーナは言われた通りにオルスを流し込んだ。棒から熱を感じ、すぐさま傷口に当てる。流れ出る血が蒸発する音を立て、喉に張り付くような肉の焼ける臭いと共に傷口を焼いて塞いだ。狩人は今にも泣き出しそうな呼吸をしながらも力強く目を瞠いて自分の傷口を見ている。


「シーナ! 次の人を見なければ!」


 後ろは戦場だった。男たちが剣を打ち合わせ、取っ組み合って殴り合い怒号が響く。だが狩人の数の方が多い。炎狼があっという間に盗賊を倒していく。その炎狼の姿は二体しかいない。それでも盗賊たちは砦の正門に引き下がり始めていた。


「おしとおせ! 奴らに逃げる隙を与えるな!」


 魔法使いの声が戦場に響いた。盗賊達はこぞって正門の中に隠れていく。狩人達もその後を追い正門の中へと消えていく。魔法使いがはっとした様子でアダーツィの方を見た。


「君のお父さんの場所を見つけた! 砦の上にある部屋で鎖に繋がれている!」


 魔法使いの言葉にアダーツィは荒い息のまま頷き砦の上の方を見た。アリーチェが二人の間をすり抜け砦の中の暗闇に消えていく。


「母さん! 焦っちゃだめだ!」


 アダーツィがその後を走って暗闇の中に消えていった。


「シーナ、あの二人に何かあった時のために君がついていくんだ!」


 パンナッツァはシーナに小さな背嚢を手渡して先を促した。袋からは数個の瓶がぶつかり合う音が聞こえた。薬瓶が入っているに違いない。シーナは頷くと走って二人の後を追った。

 アダーツィがシーナに気づき、もどかしそうに走っていた歩を緩める。シーナが追いついた時には、すでにアリーチェの姿はなかった。

 二人は階段を登った。盗賊と出くわすことはなかった。正門とは打って変わって音の一つもしない。

 部屋の一つ一つを確認していったが、寝床に横になったまま死んでいる盗賊がほとんどだった。寝首を搔かれたようで抵抗した様子がない。シーナとアダーツィは異様な雰囲気に心が落ち着かず、お互いに口を閉ざしたまま探索を続けた。

 鍵の掛かった両開きの扉がある部屋に辿りつき、二人は顔を合わせた。木製の大きめの扉にアダーツィはそっと耳をつける。何も聞こえなかったのか、シーナに首を振って見せた。どうやら何も聞こえないらしい。


「シーナ、神秘で開けられそう?」


「どうやって?」


 アダーツィは肩をあげて見せた。


「扉を吹っ飛ばすとか?」


 シーナは少し考える。やがて、川で修行をしていた時のことを思い出した。集めたオルスをわざと暴走させれば、暴発に近いものを起こせるかもしれない。


「少し離れて」


 シーナは両手を扉の鍵の部分にかざした。オルスの殻の中に、ありったけの炎と荒れ狂う風を閉じ込める想像をした。天を呑み込む風と大地を穿つ炎の竜巻が幾千も乱れるその世界を殻の中に閉じ込める。大げさかもしれないが想像力は大事だ。やがてその殻の均衡が乱れ、一気に暴れ狂う……。

 扉の鍵穴の部分が、鈍い破裂音とともに部屋の内側へ飛んでいった。鍵穴の鉄の部分が部屋の内側に向かってひしゃげ、ちぎれた部分から細長い煙を漂わせていた。

 シーナは息を荒くさせ、肩を上下させた。アダーツィは驚いて片方の眉を釣り上げた。

 二人は扉をゆっくりと引き開けた。アダーツィの顔は鋭い剣のように冷静だった。シーナも何か武器が欲しいと思った。何か身を守るものがあれば……。アルムシアのように剣と盾とか、最悪果物用の刃物でもいい!

 部屋の中は倉庫だった。扉の大きさからしてそんな予想はしていたので、盗賊が見当たらないことにそこまで安堵はしなかった。埃っぽい冷たい匂いがする倉庫の中には、銀の枝付き燭台や、宝石のはめ込まれた儀式用か観賞用の細い剣、上等な毛皮、強奪したのであろう石炭や鉱石、売れそうな物が木箱や棚に雑多にしまわれていた。奥の方は暗くてよく見えない。だが、入り口よりも雑然としているのだけはわかる。


「これって、君の言っていた物じゃない?」


 アダーツィが手に持っていたのは、磨かれた銀色の長い柄の先に意匠の凝った大輪の花を模した装飾が施され、その大輪の装飾の上には上下が長い四角錐の透明な宝石が載っている。宝石は確か金剛石で、その中にどうやって入れたのか七色の丸い宝石がある。間違いなくカイザスモーンから贈られた杖だった。

 シーナはアダーツィの手から杖をそっと手に取った。倉庫の中の埃臭い中にあっても、気品に溢れ、銀色の厳かさも兼ね備えたこの杖は少しも威厳を損ねていない。魔紋の施されていないこの杖の力は、持ち主次第で変わる。カイザスモーンの種族であるヴェルグの技術によって作られたこの特殊な宝珠は、その莫大なルスをもって持ち主に力添えをする。そっと目を瞑り、オルスを近づける。濃厚で無限とも思われる莫大なルスの存在を感じ、シーナは思わず身を震わせた。今ならなんでもできる気がする。雪崩を切り裂き山肌を穿つことだってできそうだ。これほどまでに自分を満たす力があればどんな人生だって――。


「シーナ、急がないと」


 アダーツィの声にシーナは我に返った。アダーツィの心配そうな顔が自分の様子がいかに変だったかを物語っている。咳払いをして頷き返すと冷たく静かな廊下を走るアダーツィの背を追いかけた。


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