Episode-68
包丁や木製の鉢、麺棒等の調理器具を洗い終わると、一息つこうと額に滴る一筋の汗を手の甲で拭い、丸椅子に座り込んだ。小さな天火の中に入っているクッキーは、あと数分で焼きあがるだろう。
シーナ……喜んでくれるかな。
椅子から立ち上がると、厚手の綿手袋を嵌めながら天火に向かった。片開きの重い鉄製の扉を開けると、炎の怪物が口を開けたかのような熱気がピンの顔を襲う。焼けつく炎の熱に顔を顰めて耐えながら、中に入っている盆を掴んで引き出した。
盆の上には小麦色の丸いクッキーが可愛らしく並んでいる。食べやすいように小さくしたものだ。どれ一つ焦げることなく、甘い心を躍らせるバターの魅惑の香りを立ち昇らせている。
ピンは満足そうに頷くと、白い前掛けを外して着替え始めた。最後に、短い髪に指を入れて梳かすと、クッキーを袋に詰めて小屋を出た。今日、シーナに予定は無いはずだ!
シーナのいる小屋の前まで来ると、気合を入れてから扉を叩いた。
「おはようシーナ!」
近づく足音にピンは強張った。深呼吸をして扉を見つめた。扉が内側に開き、その隙間から顔を見せたのはシーナではなくアリーチェだった。
アリーチェは空を見上げてから微笑んだ。
「こんにちはピンツァ君」
「こんにちは。シーナは、いますか?」
「朝、アダーツィと一緒に森に行ったみたい。昨日の夜、土地勘を得たいってシーナが言ってたから、きっとアダーツィが森を案内してるんじゃないかしら」
「あぁ……そうなんですね。ありがとうございます、教えてくれて」
ピンは見回りをしている狩人にシーナのことを尋ねた。北西あたりを歩いているのを、朝に見かけたらしい。アダーツィと一緒だったそうだ。
森の中を歩くと、ほどなくして声が聞こえてきた。ピンは無意識に忍び足になっていた。なぜだかわからないが、気づけば心臓が太鼓のように太く脈打っている。息を殺しているのに鼓動の音で見つかってしまうんじゃないかと思うくらいだ。
聞こえてくるのはシーナの笑い声だった。どこか忍ばせているような、可愛らしい声。アダーツィの流暢なそれでいて落ち着いた声も聞こえてくる。何を話しているのかわからないが、その声の後には必ずシーナの笑い声が聞こえた。
突如、音が消えた。急に二人が消えてしまったかのようだった。ピンは二人が見える位置まで慎重に近づいていった。落ち葉がなくて幸いだった。二人の姿が木々の間から垣間見えた。小川の横の一本の木に二人とも背を預けて座っている。二人の距離の近さにピンは愕然とした。沸騰した気泡のように湧き上がってくる感情に胸が灼かれる。もはや静かに呼吸をすることはできなかった。少しでも音を立てないようにしようと口でゆっくりと深呼吸をした。それとは裏腹に心臓の鼓動が耳に響く。
シーナを初めて見た時のことを思い出し、シーナが魔法の練習をする姿を思い出した。一緒に夕飯を囲んだ時は最高の気分だった。一緒に笑ったのを思い出した。いつでも笑ってくれた。神秘の修行で辛そうにしているそばにいて、気遣って支えた。サンドイッチを美味しそうに食べてくれるのを見て一緒にいるのを感じた。あんなに楽しそうにしていたのに!




