Episode-63
暫く雨になりそうだ。そう言ったジェミーの背中を見送った時の怒りを思い返し、リークは腕いっぱいに抱いた薪木を地面に落とし、頭を両手で抱え寂しい森の中を見渡した。
俺はこれでいいのか? これが黒銀のやり方なのか? くそ!
ジェミーの策はリークの道徳心から外れたものだった。物心がつく前から育ててくれたジェミーに対してこんなにも憤慨する時が来るとは思いもしなかった。大人になり、認められ、黒銀の仲間になったその先には、より儚い善のために人生を賭して強大な悪を排除し、虐げられ闇しか知らない者たちに小さな希望という光を与えられると思っていた。血は繋がらなくても、父であり友であり師であるジェミーと世を正すのだと……。
〝闇に生きる小さな輝き、希望を灯し闇を切り裂かん〟
この信条に生きる黒銀は、自分が悪になろうとも、搾取され虐げられる弱者のために戦う者であり、善良な人々を犠牲にすることなどない誇り高き信念そのものだと思っていた。だが、ジェミーの策を聞き、信じていたその信念は揺らいでしまった。
森に遠征に来ているプルッケル自由国の開拓団と、盗賊団を戦わせるなんて。ニルニアの町で暮らしていた頃から、パンの欠けらほどもプルッケルの開拓団には悪い噂がなかった。それどころか、異国の地でありながら、盗賊たちから近辺の村を守ったりと、アルゲンレーテの森の自警団のように見られるほど、道徳的で善良な人の集まりだと聞いている。
その開拓団と盗賊団を戦わせるなんて……。何がなんでも俺たち二人でやり通せばいいじゃないか! 夜中に寝首を搔けばいい! 百人近い盗賊たちを一夜で殺すのは不可能だとジェミーは言う。そんなはずはない! 二人で速やかに行動すればなんとかなるはずだ。
ジェミーは俺に言った。我々は闇に生きるものだと。その存在を知られてはならない。光となってしまえば闇に溶け込むことができなくなる。闇に徹し闇を切り裂く。そのために手段は厭わない。あの盗賊団が播く悪事の種によって苦しめられる人の数を考えれば、開拓団で失われる犠牲など物の数ではない。使える戦力は使うまでだ、と。
あの言葉を聞き、ジェミーが悪そのものと思えた。その悪事に俺は手を貸そうとしている。闇に生きる。これが、こういうことなのか?
リークは足元に転がった薪木を腕に抱え直すと、砦に向かって斜面を登り始めた。
壁の門の内側では、丸太のじじいと数名の男が、丸太に鉋を滑らせる見慣れた光景の他に、鉄枠の檻を積んだ一台の荷車と、荷台に物資を積んだ二台の荷車が停まっていた。
梶棒は地面に下ろされ、荷車を牽いていた牛が、やせ細った奴隷に導かれて厩舎の方へと連れて行かれている。あの茶色の牛は砦では見たことがない。荷車に積まれた鉄枠の檻の中には、怯えた初老の男三人が肩を寄せ合い膝を抱えて座っている。一人の頭からは血が流れた跡がある。
略奪だ。あの牛も略奪品だ。どこの村が襲われたのだろうか。奴隷として連れてこられた男たちを檻から出す盗賊達の顔は得意そうだ。あいつらは、確かバードン派の奴らだ。
後ろに気配がしてリークは振り返った。そこには革帯を締め直しながら門をくぐるバードンの姿があった。バードンの薄笑いを湛えた目にリークは小刀を突き刺したくなった。
「お前はいつもだるそうな目をしてるな小僧。なんだ、その目は? 酷くムカつく目じゃねぇか」
バードンの言葉に、リークは怒りを押し殺すのに返す言葉が出てこなかった。
「あ、終わったんですか頭?」奴隷を檻から出していた男が言った。
「頭じゃねぇ。〝まだな〟。もうあの女は使いもんにならねーよ」
「そんな! 次は俺だって言ったじゃねーですか!」
「次の略奪はそう遠くはねぇよ」
バードン派の手下は汚い歯を見せて笑った。
「何見てんだ、お前。言いたいことがあんなら言えよ」
バードンは挑戦的なほど横柄な目でリークを見た。リークは深く息を吸い腰に下げられた小刀を意識し、バードンの目に突き刺さす様を想像した。次の瞬間、腕に抱えた薪木が地面に落ちるよりも早く、素速く腰の小刀に手を伸ばし――。
「リーク! 遅いぞ! 早く薪木を持ってこい!」
リークは朝の冷気のように静かに息を吐いた。バードンは革帯に親指を差し込み、ゆったりとした姿勢で腰の小刀に手を添えているリークを嘲笑っている。リークは声のした方である砦に目をやった。
砦の扉から出て腕を組んだジェミーが、こちらに来いと砦の中を顎でしゃくり、背を見せて砦の中へ消えて行った。
「おら、呼ばれたぞ小僧」
リークは三度の呼吸の間バードンを睨みつけた。ようやく腰の小刀から手を離し、薪木を拾い始めたが、怒りは今にも爆発しそうだった。最後の薪木に手を伸ばすと、バードンがそれを蹴り飛ばした。リークは鋭く顔を上げ、バードンの目を鋭く睨む。
バードンは相変わらず挑戦的な忌まわしい笑みを浮かべている。
「しっかり拾えよ、小僧」
そう言うと、バードンは砦の方へと歩いて行った。
砦の中に入ったすぐ横の冷たい石の壁にジェミーが寄りかかっている。
「どうするつもりだった?」
「あんたが止めなきゃ目に突き刺してやってたさ」
ジェミーは鼻で笑った。
「それで? 残りの奴らは? 無理だろう。来い」
二人は砦の見張り塔の狭い螺旋階段を登り、塔の一番上に着くまで、一言も話さなかった。東西南北が見渡せる見張り塔の最上階につくと、円形に囲む腰ほどまでの高さしかない石造りの塀に座り、眼下に見える砦と壁の間の広場を見下ろした。奴隷達が壁の補強活動に勤しんでいる。家畜の柵に覆われた飼育場を掃除する奴隷たちも見える。
「できるよ。俺たちで」
「お前はこの盗賊団を見くびってる。こいつらは魂の底から悪党なんだ。皮を剥ぎ肉を断ち血を浴びることを悦とする。暴力に身を染めてきたこいつらは黙ってやられるほどやわな奴らではない。お前は前頭領を知らない。西の地を目指して行った盗賊団のことだ。あいつらは統率が取れ、この地を震撼させていた盗賊団だった。ここのアルゲンレーテに西の他国が乗り出してこないその理由が、全盛期だったこの盗賊団が原因だったことはお前でも知っているはずだ」
リークは薪の一つを手に取り、そこに小刀を突き立てた。
「知ってるよ。サモニア都市からニルニア都市に向かう馬車まで襲ってたんだろ? 交易船にまで牙をかけてたって話も聞いてる! だけど、その凶悪な奴らは西に行ったはずだろ? 今ここにいる奴らは残党じゃないか。森に誘い込んで消していく手だってあるだろ? バードンだって自分に有利になるように一人殺してる。俺たちだってそうすればいい」
ジェミーは腕を組み、柱にもたれた。
「お前はなめすぎだ。前頭領について行かなかったここの連中は、謂わば野心的な連中の集まりだと言っていい。前頭領に反旗を翻さなくとも、敵同士になることを恐れず袂を別つことを選んだ者たちだ。腕っ節が強く、残忍だ。そして投票は今夜だ。頭領が決まれば、陽風星の到来と合わせ、略奪も本格的に始まる。そうなれば幾つの村が襲われ、幾つの命が奪われるか。頭領に統率された者たちを仲間割れさせるのは最早不可能。そうなれば、我々の力では対処しきれない。だから、開拓団の力を借りるのだ」
「なら、開拓団に頼めばいいだろう? なんでけしかけたりするんだ」
「わからないか? 我らは闇に生きる者。開拓団に頼めば俺たちの正体を知りたがる」
「嘘を――」
「嘘を、ついたとしても、こういった話はすぐに町に流れる。同胞は気づくだろう。闇に生きることができなくなった黒銀は、黒銀ではなくなる。その存在が公になってしまえば、最早黒銀としての務めは果たせない。そうならないように、どこかの黒銀が私たちを消しにくる。我々の仲間ではないと言ってな」
「皆で力を合わせれば簡単に……少なくとも、善良な人たちを巻き込まずに済ませられるだろ?」
「ここの奴隷たちがその姿を見て話したら? 大勢に義賊が解放してくれたんだなどと話が広がれば、風を掴んだ船のように村から村へ、町から町へと伝わる。やがて黒銀に知られる。そうなれば同じことだ。協力した我々黒銀を黒銀が消しにくる」
「なんでそんなに隠すんだよ。意味がわからない。信条とやらがそんなに大事か? 人の命と人生を助けられるなら信条の一つや二つ破ったっていいだろう!」
「闇に生きるからこそ、できることがある。光に生きる者たちは体裁と金子にがんじがらめにされ、やがて偽りの光となる。それこそが悪の元凶だ。我々黒銀はそうはならん。故に闇に生きる。いいか、村を襲わせず、速やかに、かつ我々の痕跡を残さずに、この盗賊団の壊滅を遂行するならば、開拓団の力を利用しない手はない。いや、この手段以外無い」
「納得いかない……!」リークは薪から小刀を捻り取った。
「それでもやらねばならない」
ジェミーの淡白な口調に、リークは首を横に振りながら小刀を腰に収めた。
その夜、砦の一回の広場に見張りに出ている盗賊以外の全員が集まった。盗賊たちは皆、溢れそうなほど酒が注がれた酒杯を持っている。暖炉は壁に備えられた三つとも火が入れられている。長い食卓は壁の向きと同じになるようにそれぞれ三つ並べられ、中央に空間が確保されている。その中央の空間には、粗悪な木の椅子が二つ並べられている。一つは座面が丸く、もう一つは四角い。
リークは酒杯を手に持ち、ジェミーの座る机の入り口側に一番近い席に座ると、他の机に座る顔ぶれを確かめた。どの机にも、バードン派とジェミー派が入り乱れている。特に啀み合うこともなく、楽しそうに会話をする者すらいる。こうやって見ると、それぞれが頭領に選ぶ人間は違っても、互いに毛嫌いしているわけではなさそうだ。こうなると、仲間割れは難しいと言うのも頷ける。
バードンは広間の一番奥の机の真ん中に、部屋全体を見渡す位置で座っていた。酒杯を叩きつけるように机に置くと立ち上がり、机の上に片足を乗せた。腰の左側に吊るされた弓なりの剣の柄頭に左手を乗せ、右手を高々とあげた。
「聞け! 待ちに待った投票だ。もうすぐ陽風星がやってくる。その風を合図に俺たちは金銀財宝女供を片っ端から平らげ、近隣諸国に名を轟かせるだろう! お前たちは頭を誰にするか、すでに決めてるな? けどなぁ。俺たち盗賊は腕っ節の強さがものを言う! 今から投票を行う。丸い椅子は頭脳明晰なジェミーだ。四角い椅子は俺、バードンだ。同数だった場合は、決闘で決める! 他に名乗りたい奴はこれが最後の機会だぞ」バードンは辺りををぐるっと睨む。「いねぇな。それじゃあ始めろ!」
そう言うと、バードンは手を腰に回し、小刀を抜くと椅子の方へ投げた。小刀は回転しながら放物線を描き、四角い椅子の座面に突き立った。それに続き、盗賊たちが次々と立ち上がり、小刀を座面に突き立てていく。リークも座面に小刀を突き立てた。丸い座面の椅子だ。
全ての盗賊が小刀を座面に突き立て、投票を終えた。最後に、外での見張りの代理として投票するものが、その者の名前を挙げながらそれぞれの小刀を椅子に突き立てていく。こうして、完全に投票は終わった。座面に突き立った小刀の数は、四角い座面の椅子――バードン側が僅かに多かった。
小刀を数えた者が、本数を数え終わり、大きな声で言った。
「頭領は! バードンだ!」
広間の中に、どっと声が溢れた。嫌がる顔の者は少ない。ジェミーですら拍手を送った。
リークは拍手を送るジェミーに詰め寄った。
「なんで喜んでるんだ?」
ジェミーは酒杯を口に近づけた。
「これでいい」ジェミーは口をあまり動かさずに短く言う。
リークは理解できない不満をあけすけに、その目に湛えた。
広間の宴は、楽師の調べもない無骨なものだったが、夜の長い間続いた。ジェミーはバードンに祝いの言葉をかけ、酒を酌み交わし席を立った。リークは不満そうな表情を浮かべながらその後をついてゆく。
空が雲に覆われているために星の明かりすら無い夜の廊下は暗く、寒かった。
「あれでいいのか? 動きにくくなるんじゃないのか?」
「あれでいい。俺が敵意を持たず、服従すればあいつも俺の話を聞く。なに、安心しろ。頭領の最初の仕事は大きくなくては示しがつかん。そこを突く」
リークは腕を組み、大儀そうに息をつく。ジェミーのやろうとしていることはある程度わかった。開拓団を襲わせる気に決まってる。殺戮を楽しむバードンのような奴が、抵抗するとわかっている開拓団と戦うだろうか?
リークは壁の狭間から空を見上げた。しとしとと雨が降り始めている。これは数日続きそうだ。




