Episode-56
唖然としたまま、大きな水しぶきも上げずに滝壺の中に消えていくアリーチェの姿を見ていたシーナは、喉から心臓が出てしまいそうな気分に襲われ、アリーチェの脱ぎ捨てた服をひっ掴むと、滝の横を迂回して下を目指した。未だに落ち葉が残る湿った地面に足を取られ、何度も転びそうになりながら、アリーチェの姿をもう一度見たくて何度も川岸の方へ目をやった。
ようやくたどり着いたシーナは、川岸に沿って滝壺の方へ歩いていった。血眼になりながら川に目を走らせたがアリーチェの姿はない。滝壺は激しく泡が乱れているだけで、何も姿を現さない。
シーナは滝壺の端にある濡れた岩の上に立ち、泡立って底が見えない水面に目を凝らした。かがんで手を伸ばせば触れるほど近くにあるのに、水面は波打って黒いだけで何も見えない。
シーナはわけのわからない不安と悲しみに苛まれ、泣きべそをかきそうになりながらアリーチェの名前を呼んだ。何度も何度も。
次の瞬間、唐突に水面から白い手がシーナの足元に伸びてきて、足を掴むと水の中に引きずり込んだ。なすすべもなく、シーナは荷物を背負ったまま水中に落ちると、あっという間に水面の光が見えなくなる深さまで引きずり込まれていく。と、足を掴んでいた手が、掴まれていた感覚だけを残して離れた。
シーナは必死に水面を目指そうと体をもがいた。毛皮に水が染み込み、水の中なのに泥を纏ったかのように重い。水の中で目を開けるも光が見えない。シーナはもがきながらどんどん底に落ちていった。暴れる焦りと怒りが燃え盛る鉄のように心の中に吹き荒れた。
こんなところで……こんなところで!
漲る怒りが自分の中の光と結びつき鳴動した。光は岩をも貫けると思わせる強さまで力を増幅させた。だが、それはどうにもならなかった。空気を吸えるわけでもない。
シーナは最早もがくことすらできなくなった。胸元が暴れるような苦しさに苛まれ、体が爆発しそうだ。体は空気を欲しがり、水をも吸い込もうとした。水が気道に入りむせる。わずかな空気も口から出ない。視界が暗くなる。
死ぬ……。
シーナは動けなくなった。意識が遠のいていく……。ありったけの力を籠めて打っていた心臓の強い音も聞こえなくなり、意識が体から洩れていくようにあたりに広がった。荒れ狂う滝の渦が感じられ、岩をこする水の流れやなびく苔の表面までもが感じ取れた。それらは全てが色もない光——光かさえもわからない——に包まれていた。いや、包まれているのではない、光そのものだ。だが、感じるのはオルスとは違うものだった。これは――そうだ、霊通石と同じもの、これがルスだ。自然はこんなにも力に溢れているんだわ。
シーナは見たことも感じたこともなかった世界が広がったような、魂のあるべき場所にたどり着いたと感じさせる言いしれない幸福感に包まれた。
体の感覚も意識も限りなく薄れ、自然だけをただ感じて、その中に溶け込んでいこうとする自らの魂が引き戻される感覚を味わった。それは不快であり、冒涜だった。小さな檻に再び閉じ込められるような……。




