Episode-55
清々しく晴れた空の下、川岸でアリーチェは目の前に立つシーナをまっすぐと見据えた。今日のように暖かな天気は風の季に入ってから初めてで、天のその微笑みに小躍りしてもおかしくはない状況なのに、目の前のシーナはその視線に耐えられないのか、尋ねるような視線を向けている。
動揺するのも無理はないわね――アリーチェは心の中で微笑んだ。振り向いたところに私が立っていて驚いた挙句、一言も話さずにもう五分もこうしているのだから。
小さい頃からアルハラの中で聞かされて来た物語、私達の使命。それらは世界をあるべき形にする〈繋ぐ者〉を守るというもの。私達は森人ではなく守人。ならば、神秘の嵐で守られたデウリエ山脈を越えて顕れる太古の血を守り、導くのが私達守人の使命ならば、私はこの大人になりきれていない娘を守り、導かなければいけない。
アリーチェは目の前のか弱いシーナを見て、昨夜から幾度となく心の中で呟いた言葉を繰り返した。
あなたが本当に〈繋ぐ者〉なの?
答えはない。姿はヴィアドラの民に似ているが、少し上品さが備わっただけの、未だ少女の域を脱していない大人のなりかけ。それなのに目に宿る意思の強さは人一倍。それでも成せる事は限りなく少ない。
二人は川のせせらぎの音と、時折優しく吹く風とは対照的に、時が止まったのように動かないでいた。静かに息を吸い込んだシーナは口を開いた。
「どうしたんですかアリーチェさん。すこし怖いです」
それでもアリーチェは口を開くどころか、目の色さえ変えなかった。だが、その問いに答えるかのように、シーナから目を逸らし森の中を見ながらシーナの横を通り過ぎた。
シーナは何か感じ取ったのか、動揺した様子で胸の前で両手を握りアリーチェを振り返った。シーナは刹那の逡巡を見せたすえに、アリーチェの背中を追って歩き始めた。
そう、それでいいの。私がオルスを発したのを感じられたようね。
アリーチェは満足そうな顔をして滝のある北へと川に沿って歩き始めた。
ようやく足を止めた場所は滝の始まりだった。湿り気の多い霧状の空気が下にある滝壺から舞い上がり、肺の中を柔らかい自然の恵を含んだ空気が満たしていく。
滝のそばから顔を覗かせて眼下に落ちていく滝と、その下にある滝壺、流れる川を見てアリーチェは微笑んだ。
後ろを振り返ると、不安げな顔をして立っているシーナがいる。
「シーナ、ここに漂うルスを感じる?」
滝を見下ろすアリーチェの横に恐る恐る進み出たシーナは、なおも不安そうな顔で答えた。
「いいえ、わかりません」
「そう」
アリーチェは深い茶色の革のベストの紐をほどき、足元に脱ぎ捨てた。数枚の厚手の服を脱ぎ、亜麻の目の詰まった下着姿になった。膝元まである革靴もズボンも脱ぎ捨て、裸に近い状態だ。風の季の銀風星に吹く、冷たく切り裂くような命の審判の風も、今は幾分か柔らかくなり、来風星の慈愛に満ちた風となっている。風からは、蕾や命の小さな躍動が感じられた。
シーナはなんと言ったらいいのかわからない様子で、自然を堪能しているアリーチェを見て目をおどおどさせている。
「下で待ってるわね」
アリーチェは滝壺めがけて身を投げた。その顔は幸せに満ちた微笑みを浮かべ、全てを抱擁するかのように優しく自らの身体を抱きながら。




