Episode-52
アダーツィは故郷の話をして、今行なっている遠征が国の発展にどれだけ貢献するのかを熱く語っていた。だが、同時に、目下の問題――盗賊――に強い苛立ちを抱いているようだった。
盗賊は、野営地から東に四日ほどのところにある大昔の砦を根城としていて、開拓団の倍、百人はいる大きな盗賊だ。開拓団はなんども物資を略奪されたり、襲われたりした。その度に小競り合いが起き、双方に死者が出ることもあった。シーナが世話になっている東の野営地は、盗賊の根城からは遠く、一度も被害は受けていないが、西の野営地は東の野営地の倍以上の大きさがあり、開拓団の大半の人数がそこで暮らしている。開拓団とはいうが実態は武力に乏しい遠征隊で、五十人の色々な人間が集まって成り立っている。その半分は非戦闘員で構成されているために、全員が戦闘員である盗賊と正面から争うことはできない。
アダーツィは吐き捨てるように愚痴をこぼした。一つの石をむんずととると、座ったまま崖の下をめがけて投げた。アダーツィの思いが籠められて投げられた石は、滝の下を流れる川の中に小さな飛沫をあげて消えていった。そして嚙み殺すように声を絞り出す。
「神秘が使えれば……」
アダーツィの、渇望をなんとか理性で抑え込んだようなその声に、シーナは村を出た時の自分を思い出した――そうだ、わたしも魔法が使えれば世界が広がると思っていたわ。事実、魔法が使えるようになったから世界が広がったわけではなかったけど。
アダーツィが目をまっすぐと見てくる。その表情や目に湛える心の内はシーナにはわからなかった。すぐにアダーツィが前を向いてしまったからだ。それでも、喜びのような明るいものがこもっていたとは思えなかった。
「神秘は……どうやったら使えるんだい?」
その声は、木陰に咲いてしまった花が陽の光を求めるような儚さが、壊れたものが直らないとわかっていても手を伸ばしてしまう悲哀の念が滲み出ていた。
魔法使いが絶望した時の姿がアダーツィと重なり、シーナは胸が締めつけられる想いに駆られた。それでも、かけるべき言葉は見つからなかった。かけるべきではないと、かける言葉はないということを少なからず知っていたからだ。辛い時に心の支えだった〈アルムシア〉が実在しないと大人に言われ、それを認めてしまったときに、同じような気持ちを味わった。そのとき、かけてほしい言葉は何もなかった。
アダーツィはもう一度シーナを見た。そにはどこか怒りを感じさせるものがあった。
「俺は神秘が使えるはずなんだ。俺の母さんは森人だったんだ」
「森人って?」
アダーツィは一呼吸置いて、滝壺に目をやると続けた。
「ルヴァとアスロスの混血人のことだよ。ルヴァは知ってるだろ? アルヴェ暦の始まりとなった神話。ウラドや怪物に苦しんでいたこの地に降りたった五人のルヴァが、苦しんでいた人達を一つにして、神の御技と謳われ崇拝された神秘を人々に教えて、ウラドや怪物と戦った。その聖戦のおかげでこの平和な世界がある。誰もが知ってる神話だよね。その五人のルヴァは、ネルって呼ばれていた。そのネルの内の一人は、この大陸でもっとも生命の強い特別な森を〈霊樹の森〉と呼んで大切にした。その森を新たに降り立ったルヴァと混血人逹に守らせてね。〈霊樹の森〉を守る者達は〈守護者〉と呼ばれ、周りの人から崇拝された。いくつもの季節を廻り長い時が流れると、ルヴァは死んでしまった。残った混血人の〈守護者〉達は、外の世界に憧れて〈霊樹の森〉を出るようになったんだ。その者達の多くが街の近くの森に住んでたことから〝森人〟って呼ばれるようになったってわけ」
「じゃあ、アダーツィはルヴァの血が流れているのね?」
「そう。だから使えるはずなんだ、神秘を」
「わたしはどうやって使えるようになったかよくわからないんだけど、魔法を練習している時にオルスとルスを感じられるようになったわ。魔具なしではオルスそのもので何かを顕現させることはできないけどね。アダーツィも魔法からやってみるのはどう?」
そう言うと、シーナはアリーチェからもらった革の鞄の中から『魔の書』を取り出して、アダーツィに手渡した。アダーツィは本の革の装丁を手で優しく撫でた後、優しく開いた。
「師はそれを暗唱できるまで読めっていつも言ってたわ。〝知識を吸い込め〟ってね。さすがに暗唱はできないけど、それでも内容は理解してるし、説明もできるようになったわ。内容は魔法のことだけど、神秘と共通していることが多いの。例えば、魔力のことはオルスと同義だし、宝珠に宿る自然の力と言われているのはルスのこと、魔紋はこっちでも同じ意味みたいだし、もしかしたら役に立つかもしれない」
アダーツィは淡い喜びを添えた笑顔で礼を言った。シーナはアダーツィの横に近づいて座りなおすと、開いている頁を一緒になって眺めた。アダーツィが質問すると、シーナはそれに答えた。
アダーツィが深く息を吸ったのを見て、思わず口を閉じる。わたし、喋りすぎちゃったかも。つい、楽しくなって話し過ぎてしまった。
シーナは申し訳ない気持ちで頁を覗き込むのをやめた。アダーツィが短い視線を送って来たが、なんと言っていいかわからず、気がついたら顔を背けてしまった。わたしったら、なんか気の利いた一言でも言えばいいのに!
頭の中で必死に会話の糸口を見つけようと、そこら中に視線を走らせる。咄嗟に思いついたことを口にする。
「あ、さっき、アリーチェさんは〝森人だった〟って言ったけど、どういうこと?」
アダーツィは含み笑いをして、シーナの方に顔を向けた。
「森人は〈守護者〉をやめて〈霊樹の森〉から出てると、〝アルハル〟という集団を築いて暮らしているんだけど、母さんは一つのアルハルの長の一人娘だったんだ。将来はそのアルハルを継ぐ者として育てられていたのに、アスロスの俺の父さんと駆け落ちしたんだ。責任を放棄した自分を、母さんは森人ではないって言ってる」
「駆け落ちかぁ……。なんだか素敵ね」
「そうかぁ? 厄介ごとばかりになるんじゃないかな」
アダーツィはシーナの方を見ると、取り繕うように笑った。
「ごめん、自分の親だからそう思うのかも。はたから見れば、一つの物語みたいだもんね」
シーナは小さく笑いながら、うん、と頷いた。
「そろそろ帰ろう。暗くなる前に帰らないと、皆心配するからさ」




