Episode-48
アダーツィは二人に手の平を向けて〝動くな〟という身振りをすると、返事を待たずにそっと影から頭を出して様子を窺った。思った通り、盗賊だった。二人だ。
橇に肩を並べてくっつくように乗っている。どちらも汚くて無精髭を生やしていた。この二人だけなら片付けられる。だがそれを不可能にさせる生き物がいた。狼よりも体格がよく二倍はある。四つの足を地面についても、その肩の位置は一般的な大人の胸あたりまである。口吻の幅は広く、後ろに倒れた耳の先には細い房があり、尻尾は短い。全体が灰色がかった黒色の体毛は見るからに硬そうだ。雪が積もっていない地面の上をものともせずに橇を曳くこの獣は、ベイガロだ。剛狼とも呼ばれるこの獣は、人に服従はしない。少なくともアスロスには無理だ。神秘がつかえないからだ。それなのに、この薄汚い盗賊は使役している。
アダーツィは耳を澄まして二人の男の会話を聞いた。
「何もありゃしねぇよ。もうなくなっちまってる」手綱を握った男が言った。
「まだわからねーだろ? あんな豪華なもん見つけたら、他のものなんか目にとまらねぇはずだ。あの杖ほどじゃなくても、金貨一枚でも落ちてるかもしれねーだろ」
そう言って、もう一人の男が橇から降りると、腰を曲げて雪を払い金目のものを探している。
「てめぇはいつもおこぼればっかり探しやがる。だからいつまでたってもそんなんなんだよ」
「そういうお前はどうなんだよ、一緒だろ」
「てめぇと一緒にすんな。俺はこいつらの手綱を握らせてもらえてるんだよ。てめぇとは違う」
男が手綱を意味もなく引っ張った。それに対してベイガロは牙を剥いて唸り、男は威勢を張った目でベイガロの目を見返した。
「はいはい、〝握らせてもらえてる〟ね。その内〝しゃぶらせてもらえてる〟とか言い出すんだろ」
「てめぇ……。はっ、くだらねぇよ。とにかく、俺はここにあるとは思わねぇ。行くならもっと奥だ。行ってないところに行くのが普通だろ。おら、乗れよ」
雪を掻き分けていた男が橇に乗ると、手綱を持っている男が喚き声とともに手綱を振った。だが、ベイガロは動かずに耳を立てて空に鼻を向けている。
「おい、なんか嗅ぎ取ったのか?」手綱を緩めて、ベイガロに話しかけている。
まずい、このままだと見つかる。大体どうやってベイガロを使役してるんだ? あれは嗅覚がそこまで鋭くないが、見つかるのは時間の問題だ。どうやって……。
アダーツィは頭を引っ込めて、息を殺している二人の方を見た。シーナは冷静だ。ピンは怯えきっているが、錯乱には程遠い。ピンを見て、アダーツィは弓の弦で弾かれたように思い出した。
霊獣の多くは臭いものを嫌う。
アダーツィは声を潜めてピンに言った。
「チーズは発酵してるし、臭い分類だよな?」
ピンは同様しながらも答えた。
「よし、チーズをたんまり食べていいぞピン。これが最後のチーズになるかもしれない」
アダーツィはいつものいたずらな笑みを浮かべて言ったが、ピンは本気に捉えたようで、顔が青ざめている。小刻みに頷いたあと、震える手で荷物からチーズを取り出した。
「ひとつまみでいいから、俺にもわけてくれ」
本当にひとつまみを渡して来たピンに苦笑しながらアダーツィはそれを受け取ると、口に運ぶと思いきや、盗賊の後ろの方に投げた。シーナの何かを尋ねるような目に、一つ笑ってみせると、アダーツィは再び男たちを見るために顔をこっそりと出した。
うまくいってくれよ。
男たちは、ベイガロが匂いの位置を定めるまでの間、おしゃべりをしていた。
「でもよ、あいつの下につけば盗みも何もかもやり放題じゃねーか?」雪の中を漁っていた男が言った。
「ほんとに頭が足りねぇなてめぇは。それじゃお先真っ暗なんだよ。いいか、ジェミーが頭になれば、いろんな問題がなくなるんだよ。あいつは賢い。こいつらを服従させる方法だって知ってるし、俺に役目を与えたように他の野郎どもにも与えれば、強奪だって失敗することが少なくなるんだよ」
「そんなんなら俺は盗賊なんかやらね――」
「おおっ」
盗賊たちはベイガロが唐突に橇を曳き始めたので驚いた。ベイガロは不快そうに唸りながら、しきりに何かを振り払うように頭を振ってそそくさと離れて行った。やがて、橇の曳く音が間遠になると、アダーツィは二人を振り返った。
「行ったよ。ここには杖はないみたいだ。盗賊の誰かがそれらしい物を見つけて持ち帰ったみたい」
シーナは残念な気持ちと焦りが生まれた。もしも売られたらどうしよう。それでも、その不安を出さないようにして、頷いた。
「わかった。ありがとう、ここまでしてくれて」シーナはアダーツィの目を見て感謝を伝えると、同じようにピンにも伝えた。
ピンは涙が伝った跡をハンカチで拭うと、頷いて「僕、何もしてない……」と暗い声で言った。
「おいピン。パンまで平らげたのか?」
地面に落ちたパンのかけらを見てアダーツィは小さな声で愉快に笑った。
「だって、死ぬかと思ったから」
「すごい味わってたわ。美味しそうに食べるものだから、わたしまでお腹が減っちゃった」
三人は笑い合うと、野営地に戻るために再び歩き出した。
三人が野営地に戻ったのは、日が南のデウリエ山脈に半分隠れるほど傾いた頃だった。
「じゃあ解散にしよう。ピン、また明日な」
「うん。そうだ、シーナも一緒にどう? 東の方を開拓するのに、毎日探索してるんだけど」
「行ってみたいわ。けど、師のことも心配だし、明日行けそうなら集まる時間に行くわ」
「そうだよね」ピンはどこか残念そうに言った。
「ありがとう。師がいる家は、あれだよね?」シーナは一つの丸太小屋を指差した。戸の隙間からわずかに灯りが洩れている。
「それじゃ、俺は帰ってるよ」アダーツィは一つ笑ってみせると、背を向けて歩き始めた。
「じゃあー僕も帰るね。シーナ……今日は力になれなくてごめん」
「ううん、そんなことないわ。一緒にいてくれて心強かったわ」
「そ、そう? それは嬉しいな。僕、ああいうの得意じゃないからさ」
「誰だって最初はそうなんじゃないかな? わたしも魔法なんか使えないと思ってたし……だけど、まだちゃんと扱えるわけじゃないけど使えるようになったわ」シーナはにっこりとして言った。「でも、心強かったのは本当。ありがとう」
ピンは耳を赤くして頷いた。大きな体だが、全体的に丸みを帯びているためどこか愛嬌がある。シーナはそんなことを思いながらピンを見ていたが、ピンは居心地悪そうに顔まで赤くなり始めたのを見て、目をそらした。
「それじゃあ、今日はありがとう。わたしは師のところに行くわ」
「うん、またねシーナ」
シーナは魔法使いが世話になっている家の前に来ると、扉を叩いた。
「はーい。どうぞー」
蝶番がわずかに軋む音を立てた。扉を開ける前から色々な植物の匂いがしたため予想をしていたが、どうやらあたりだったようだ。中には色々な薬草が置かれているし、瓶詰めになっている多くのものもある。今まさに一人の男が鉄製の薬研ですり潰されたものを鍋に入れている。ここは治療士の小屋だった。




