Episode-47
冷たく透きとおる朝の日の光が、寒さに耐える葉の無い木々の間を抜けて、集落の丸太小屋を照らした。遠くのどこかで鳥の甲高いさえずりが一つ響いた以外に音はない。濡れて黒々とした木が立ち並び、雪が点綴と残る森は、静閑さ以外の趣を知らないように見えた。シーナは一足早く小屋から出てくると、手を擦り合わせながら、白い息を空に向けた。
今日もいい天気。杖、見つかるといいな。
後ろで扉が開かれる音がして振り返ると、弓を斜めに背中に回したアダーツィが、血色よく頬を仄かに染めて出てきた。なめし革の赤いベストに、膝で折り曲げられた長靴は昨日と同じだ。灰色の毛皮のマントは仕立てが良いのか、森に入る狩人には不釣り合いにも見える。ナイフを吊り下げる帯には、上品な唐草模様の装飾が施されていた。どの留め金も銀色だが磨き抜かれていて、狩人にしては貴族然とした高貴さを抱かせた。シーナは思わず自分の継ぎ接ぎの毛皮のマントや、擦れた服を隠したい衝動に駆られた。
「あいつ、まさか寝てるのかな?」
アダーツィは広場の中央に歩いて行った。シーナは今初めてこの場所を眺めることを思い出した。昨晩アダーツィから聞いた話だと、ここは、遠い西の方から遠征に来ているプルッケル国の開拓団の野営地の一つで、最も西側にある野営地らしい。
野営地と行っても、しっかりとそれなりの設備がある。火事場や解体場、小屋の一つ一つに竃があるようで、どの丸太組の家からは鉄製の丸くて細長い煙突が出ている。
全ての建物が丸太小屋で、十軒はある。踏み固められた地面の広場を取り囲むように並び、家の前には樽が数個ずつ置かれている。逆さにされて壁に立てかけてあるものや、重石を上に置いたものもある。
一つの家の扉が開いて、体の大きい一人の男が荷物を手に持って、後ろ向きに出て来た。横幅が大きいため、荷物を負ったままだと出てこれないようだ。
「あいつがピンだよ。おい、ピン遅いぞ」
声に驚いた様子で振り返ったピンは、到底狩人には見えない風貌をしていた。短く整えられた茶色の髪はアダーツィと一緒だが、寝癖まみれだ。顔は頬骨が全く見えないほど肉が付いているし、革帯の上には中年のおじさんのように肉が盛り上がっている。装備自体は似つかわしくないほどに良い仕事が施されているが、背負った弓は扱えるのか不安だった。そう思って、シーナは心の中で自嘲した。今のわたしこそ何もできないわ。
「お、おはようアダーツィ。あ、君がアダーツィの話してた……。僕はピンツァ……ピンツァ・ファデリオ。よろしくね」
シーナは息を呑んで、会釈をした。貴族なのかしら?
「おはようございます、わたしはシーナといいます。ご迷惑をかけないように……頑張ります」
ピンはそわそわとし、シーナの目線よりも下手にでるように腰を折った。
「え、なんで?」
「貴族の方とお見受けしました」
「僕は貴族じゃないよ」
「でも家名が」シーナは眉を顰める。
「そりゃああるよ。君もあるでしょう?」ピンツァは困ったように言う。
「シーナとお師匠さんはデウリエの向こうから来たんだってさ。向こうじゃきっと家名は珍しいんだろう」
「え? デウリエ山脈の向こうから? それまたなんで? あ、ごめん。詮索はいけないよね。それにお師匠さんって、何の?」
「魔法です……」
ピンは困った顔になった。
「やめてよ……敬語は。見たところ歳もあまり変わらなさそうだし……。確かにおじいちゃんより上の人たちは立派だけど、僕は全然だし」
「何言ってるのさピン。お前の父さんは立派な人だよ。お前の父さんがいなかったら今頃みんな餓死してるぞ?」
ピンは照れ笑いを浮かべている。
「うん、そうだよね……。それで、魔法かー。何か芸でもやるの?」
「芸……ですか? 違います。魔法は――」綺麗じゃないですか! なんかすごいじゃないですか! 物語の主人公になったようなきがするわ! とか言えないわ。
「――自分を守れるから」
「あぁ、そうだよね。女性は剣とか使えないもんね。アルムシアじゃあるまいし」
「アルムシアを知ってるの?」シーナは驚きと小さな喜びに満ちた声で言った。
「うん。けっこう好きな本なんだ」
「そうなのか? お前が料理本以外に興味があったなんてな」アダーツィは興味ありげな目をピンに向けている。
「そういえばアダーツィと本の話をしたことってなかったかもね」
「俺は狩猟や戦技についての本は読むけどね。さ、行こう。遅くなる前に帰ってこないといけないから」
三人はそれぞれの荷物を確認してから、野営地を南に抜けて歩き始めた。
一時間ほど歩いたところで、地面はなだらかな丘陵を見せ始めた。
「さぁ、ここからは楽しいおしゃべりは無しだ。ここから先は盗賊がいる可能性もあるし、グズリもいる。俺の五歩ほど後ろをついてくるように頼むよ」
シーナとピンは頷くと、アダーツィが矢をいつでも放てるように、矢を番えて歩き始めるのを見守った。やがて、大股で五歩ほど進んだ先にいるアダーツィが振り返り、二人に来るようにと頭を小さく動かして合図した。二人はアダーツィとの距離を保ちながら進んだ。
シーナは振り返った時のアダーツィの顔が冷徹な鋭さを帯びているのをみて、胸のあたりで感情が飛び跳ねたのを感じたが、小さく咳払いをして進み始めた。最近男の人を見ていなかったせいだわ。
しばらく無言で歩いたが、その間もピンは足元をちらちらと見て進み、せわしなく左右に目を走らせたりしては、時折後ろを振り返っている。
「ピンツァさん。大丈夫ですか?」
シーナはピンのおでこにびっしりと張り付いている汗を見ながら、自分の額を手の甲で拭う仕草をして見せた。
ピンはその意図を理解したようで、弱々しく頷きながらハンカチをポケットから取り出すと汗を拭った。
「うん、大丈夫。森はいつも緊張しちゃって……それと僕のことはピンって呼んでよ。堅苦しい話し方もいやだな……」
シーナは小さく笑いながら頷いた。
「わたしのことはシーナと呼んで」
「わかった」ピンは照れ臭そうに鼻の下を指でこすりながら言った。
さらに歩くこと一時間、大きな丘を越えた先の左手には、雪解け水が流れる川が丘の間を縫うように流れていた。シーナはようやく休憩ができると思い、水を補充するために皮袋を取り出した。ピンも同じようにしている。
「よし。水を補充するだけで、休憩は森の中でするよ」
シーナは一瞬抗議したくなったが、アダーツィの真剣な顔を見て思いとどまった。三人は川に近づき水を補充する。その間も、アダーツィは鋭い目つきで対岸を見張っていた。三人は森の中に戻り、三人がちょうど入れるくらいの窪地をアダーツィが見つけ、そこで休憩と朝食をとった。
朝食はパンとチーズと肉だけだ。ピンが油紙の包みを開けてため息を吐いた。アダーツィは面白そうに、にやりと口角を上げた。
「いつもこうなんだ。ピンは食べ物の包みを開けるときにため息をつく」
「あれ、本当に? 僕、今ついてた?」
アダーツィは声を出さずに笑い、シーナも楽しそうに頷いた。
ピンはチーズを取り上げてもう一つため息をつく。
「パンとチーズも美味しいけど……やっぱり物足りないんだよなぁ。せめて火が使えればいいんだけど」と、アダーツィの方に一瞬意味ありげに目を送ると、チーズを薄く切ってパンに乗せた。
「匂いがでないなら使ってもいいけどさ。お前そんなことできないだろ?」
「わかってるよ、我慢してる」
アダーツィは困ったような、それでいて楽しむ目でピンを見てからシーナに向かって言った。
「ピンは生粋の狩人ってわけじゃないんだ。プルッケルの一流調理士を輩出している名家の生まれなんだよ。だから料理は得意だし、味にうるさい」
「あ、うるさいって言い方は好きじゃないな」
「わかってるよ、冗談さ」アダーツィは小さく笑うと、シーナに向き直る。
「こいつにはしっかりとしたこだわりがあるんだ。それで、新たな食材を探して旅をしたいって言ったら、ピンの両親は嵐のように怒ってさ。店の跡を継ぐ修行はどうするんだ! ってね。それでもピンはなんとか出てこれた。この遠征隊についていくって言う条件で。だからピンは今まで森もまともに歩いたことがなかったし、弓は背負ってるけど実は――」
「もういいでしょう。弓は使えないよ。でも持ってないよりかはいいと思うんだけど?」
「その通り。いつでも教えてあげるのに」
「嫌だよ、生き物を殺すなんて」ピンは想像したのか、暗い顔で言った。
「兎の首は素手で折るのに?」
「それとこれとは……あ、ごめん。つまらない話して……」
ピンはシーナを気遣うように口を紡ぐ。
シーナは首を横に振って微笑んだ。
「すごいよ。やりたいことをやるんだって信念を持って、それを貫いてる。わかるなその気持ち。わたしも村を出てきた身だから」
「ありがとう」ピンは嬉しそうに言った。
「村を出たって、両親は許してくれたのかい?」
「両親はいないの」シーナは今までと変わらない様子で答えると、パンを手でちぎり口にした。
「そっか。デウリエの向こうは文化が全然違うって聞いてるけど、どこかに飛び出そうとする気持ちは変わらないんだな。ピンが、遠征隊の隊長の俺の父さんにお願いする時の顔から感じられる意志の強さはすごかったしな」
何かを思い出しているのか、アダーツィは笑いをこらえている。その横ではピンが恥ずかしそうに笑っていた。
二人は仲がいいんだわ。友情っていいな。シーナは友情を目の当たりにして、羨望の眼差しを向けた。
「さぁ、さくっと食べて進もう」
三人はいくつかの丘を越えたり、または避けたりして上って行った。やがて小さな窪地にたどり着き、アダーツィは周りの木を思い出すように見つめるとシーナの方を振り向いた。
「間違いない、ここだよ。ここまで君たちを引きずってきて、一旦隠したんだ。それで男手を呼んで野営地まで連れて行ったんだ。ここから順に探していこう。まずはお師匠さんが倒れていたところまで行って、そこからシーナが越えてきた山の麓の方へ時間が許す限り進むんだ。あと、何度も言うようだけど、ここら辺はかなり危険だ。盗賊は問答無用で矢を放ってくるし、獣もいるからさっきのように距離を保ってついてきてくれよ。もしも敵に出会ったら、俺のことは置いて一目散に北へ逃げてくれ。川沿いに進んでもいいけど、川岸には出ないこと。川が北にまっすぐのびたら、途中に大きな岩があるから、そこで東に折れてまっすぐ進んで。そうすれば野営地に着く。俺は敵を巻いた後に二人の後を追うからさ。いいかい?」
シーナとピンは頷くと、三人は再び森を歩き始めた。
鋭い峰をした山に近づくにつれて、だんだんと坂が強くなってきた。小一時間も歩くと、景色には雪が多く見られ始めた。シーナはちょうど良い熱を感じていたが、横を歩くピンの額には汗が流れ落ちていて、息も荒い。シーナの目線を感じると、ピンは取り繕うような笑みを浮かべた。
「大丈夫?」シーナは自らの水筒の口を開けた。ピンの水筒は飾り物のように腰のところで左右に振れている。
「もちろん……大丈夫。すごいね、シーナは疲れてないの?」
ピンは話すのも辛いようだ。
「うん。長いこと師と森や山を越えてきたから」
「そうだった……わす、れてた。あれを越えてきたんだったね。ごめん、やっぱり水もらっていい?」
シーナは小さく笑って頷くと、水筒の口を開けて手渡した。ピンは飲み口に触れないように顔を上に向けて口に注いだ。豪快な音を立てて喉を潤わす飲みっぷりが、ピンの限界に近いことを表していた。
「すごい音だな。仕方ない、休憩でもするか」
シーナはアダーツィが近寄ってきたことに気付かなくて、声を聞いて驚いた。
「ちょうどあそこに休めそうな窪地があるからさ。まさかピン、あの窪地が見えて狙ったのか?」アダーツィはからかうように笑みを交えて言った。
「それができればいいんだけど……。シーナ、水、ありがとう」
三人は窪地に腰を下ろした。ピンはせっせと包み紙を開け始めた。
「ピン、また喉が乾くぞ。雪を食べるのが駄目なのはお前でも知ってるだろう?」
「うーん?」ピンは包みの中のチーズを見ながら上の空で答えた。
「おい」アダーツィは小石を投げた。
ピンは不快な顔をしてアダーツィの方を見たが、その真剣な眼差しに怯んでチーズに触れた手を止めた。アダーツィはその表情を見て困ったように、呆れてはいるが優しさのあるため息をつくと、言葉を続けた。
「わかってないな。野営地からここまでの距離は大したことないけど、何があるかわからないだろう? 何かに追われて森を迷うことになるかもしれないし、長時間隠れなきゃならなくなるかもしれない。そういった事態に備えて体力も物資も必要以上に使っちゃ駄目だ。体力を残したい時に雪を食べれば体温を下げるし、体温を取り戻すために体力を使っちゃうだろ? 水も考えて飲むんだ。だから、そのチーズをしまえよ」
ピンは悲しそうな顔をしてチーズに目を落とした。
「でも、次に喉が乾く前にお腹が減って倒れちゃいそうだよ……」
シーナはおかしくて笑ってしまった。アダーツィは本当に困った顔をしている。
「わたしの水はまだあるし、喉も乾いてないわ。また川によって補充すればいいし、困った時は助け合うっていうのはどう?」
「だけど……まぁ、仕方ない。食べすぎるなよピン」
アダーツィはそう言って窪地の縁に座り込み、あたりを油断なく警戒している。何も音が聞こえないのだし、休めばいいのにとシーナは思ったが、ついさっきアダーツィが足音も立てずに近づいてきたのを思い出して考えを改めた。
「ありがとう、アダーツィ……その、見張ってくれて」
「ん? あぁ、いいよ気にしなくて。ほとんど癖みたいなものだから」アダーツィは森に目をやったまま言った。
「アダーツィはね、〝雷の矢〟の中でも最年少の狩人なんだ。アダーツィのお父さんが隊長なんだけど、親の七光ってわけじゃないんだ。実力者なんだ」ピンは、どこか自慢げに、羨ましそうにアダーツィに目を送ると、チーズを口に運んで続けた。
「同期の中でも一番弓がうまいし、追跡もうまいんだよ」
「そんなもののうまさが、お前にはわかるのか?」
「わからないけど、皆言ってるよ」
「どうだかね」
ピンはそう言うアダーツィを面白そうに見て言った。
「もう少し謙虚さがあればなぁ」
「〝雷の矢〟ってなに?」
ピンはシーナの方を向くと、油紙でチーズを包みながら説明した。
「プルッケルは職人の都市で、色々な組織がたくさんあるんだよ。いくつもの猟団や掘団、農団、食団ってね。必要な物資は自分たちでとって、加工するし、プルッケルの人達は物作りに妥協はしないんだ。だから、各団の精鋭を集めて遠征隊を作り、資源を持ち帰る。その遠征隊の一つがこの〝雷の矢〟ってわけだよ」
「ピン。チーズをしまったら出発するぞ」
シーナは、プルッケルがどんな場所なのか想像した。宮廷にいた幼い頃は、街を見下ろすだけで、中の様子を知らない。都市はどんな場所なのだろう?
再び一行は進んだ。シーナとピンには、アダーツィが言う引きずった跡は残っているようには見えなかったが、とにかく進み続けた。だが、杖は見つからず、とうとう魔法使いとシーナが発見された場所までたどり着いてしまった。
「ここで君たちを見つけたんだ。でもここからどうやって探すか。この先は高原だけだ。どうシーナ、来た道に覚えはない?」
シーナは目を凝らして何か記憶に引っかかるものはないか探したが、見つからなかった。どれも同じ景色に見える。湿った黒い木に、雪がまばらに残る地面。ところどころ、地面が段になっている。木が根元から倒れて掘り起こされたりした跡だろう。目の前の高原に続く緩やかな登りの地面は起伏がなくなっている。あれでは目印になりそうなものもない。
「わからないわ。最後の記憶は高原だから」
「まいったな」アダーツィは考え込むように腕を組んだ。「橇の跡がある。盗賊がここに来てたみたいだ」
唐突に、アダーツィが後方に顔を向けた。シーナたちが歩いて来た方向とは違う方――西側――だ。顔には緊張が走っている。
「今すぐ隠れよう。あそこがいい。急げ!」
アダーツィが指差した五歩ほど離れたところにある、木の根元の地面が崩れて段差になった場所に三人は滑り降りるようにして隠れた。
「僕は何も聞こえなかったけど、盗賊? 獣?」
「両方かもしれない」
三人は身も息も潜めて隠れた。すると間も無くわずかな足音と、橇が地面を擦る音が聞こえてきた。




