表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Belief of Soul〜繋ぐ者達〜  作者: 彗暉
第1章
45/75

Episode-45

 遠くで交わされる女や男の声、湯が沸き立つ音とともに、鍋の蓋が反抗するかのように小さく音を立てている。包丁が俎板を叩く音、踏み固めただけの土の床の上を何度も往復する靴の擦れる音。

 直後、肉の旨味を乗せた香りに誘われ胃が踊り狂い、シーナは目を開けた。

 天井は木造の鋭角な妻切り屋根で、小屋は丸太組みだ。顔を横に向けると、そこには腰の細い女の人が背を向けて立ち、今直ぐにでも狩に出られるような、袖のない革の上着を着た動きやすそうな格好で手際よく調理をしている。

 髪は薄い亜麻色で、頭の後ろで一つに結ばれている。火を確かめたり、鍋の中身をかき混ぜたりするときにその横顔を垣間見ることができるが、女の人の目の前の開かれた窓から差し込む明かりによって影になり、その美しく整った輪郭しか見て取れない。

 だが、差し込む光に透かされて髪は輝き、光に縁取られた輪郭は本に出てくるような王女様のような幻想的な美しさを漂わせている。炊事場で働く女は皆、汗を滲ませるものなのに、目の前の女の人はまるで中庭の木陰の下で刺繍でもしているかのようだ。その姿を見る男の人たちは、甘美な吐息を洩らさずにはいられないに決まってる。

 シーナはしばらく魅入っていたが、酷い倦怠感に体が重くなると、冷静になって改めて小屋の中に目を走らせた。

 小屋の梁には小ぶりな魚の干物だったり、香草や薬草の束がたくさん吊るされている。壁の釘にはしっかりと鞣された上等な繕いの革帯やベスト、腕を覆う装備、手入れの施された長靴が丁寧に掛けられている。

 寝台も全部で三つあり、その内の一つにシーナは寝かされていた。このあまり広くない小屋は家のようだ。自分がなぜここにいるのか、どうやってここまで来たのかが思い出せずに、シーナは眉を顰めた。師はどこだろう? 考えてすぐに鈍い頭痛に襲われ、思考を止める。

 そのまましばらく差し込む日差しの全てを癒す心地よい優しい力に身を任せ、安心の中に溶けてしまったかのような気分を味わった。体が重く、頭も重いが生きている。手の甲を額に当てて安堵の息が洩れる。それに気づいたのか、女の人が振り返った気配がしてシーナは身を起こした。


「おはよう。強いのね、無理しなくていいのよ。あなたは二日も眠ってたんだから」


 そう言うと、再び前を向き耳触りの良い音を小刻みに奏でて野菜を刻む。料理をしているはずなのに、美しい姿としなやかな動きで音楽を奏でているようにすら見える。宮廷で使えていたことがあるのだろうか? 優美な物腰にはそうとしか考えられないものがあった。


「もう一人、初老の魔法使いを知りませんか? わたしの師なんです」


 女の人はそよ風に奏でられる芒の音さながらに柔らかく、小さい可憐な花のような声で笑った。


「てっきり、あなたのお父様なのかなって思ってた。今は私たちの治療士のところで寝ているの。右腕を折っていて熱を出していたから。意識はあるし、後で会いに行くといいわ。私はアリーチェ。あなたはシーナよね? 綺麗な名前ね」


「あ、ありがとうございます」


 アリーチェは鍋の蓋を開けて中を確認すると、「丁度いい。ねえ、お腹空いてるでしょ? 味見して見て頂戴」とシーナにスープをよそった皿を手渡した。


 シーナはお礼を言って頭を下げながら受け取った。皿は磁器製で白く、縁は金色で装飾され、皿の底には白に映える美しい青色の凝った唐草模様の装飾が拵えてある。その皿の中によそわれた透明な黄金色のスープを口に運んだ。


「ん……!」シーナの胃が猛り狂って叫んだ、もっとくれもっとくれ! もはや心の声のようだ。心の声? いやだわ! わたしはこんなに図々しくはないわ! でも……。

「あの……お代わりいいですか?」シーナは目を伏せて言った。


「ふふふ、今はこれくらいにしておくのがいいのよ。あなたは二日間飲まず食わずだったんだから。疲れたでしょう? 今は横になって一眠りして。物を入れるのは起きた後ね」

 アリーチェはシーナの返事を待たずに、その手から簡素だが意匠を感じさせる皿を優しく取り上げた。シーナは香りをおかずに自らの唾を飲み込んで我慢すると、「はい」と残念そうに言った。

 アリーチェはそんなシーナに慈愛に満ちた笑みを送り、シーナに毛布をかける。アリーチェの明るい青色の目に見つめられながら、シーナの意識は眠気の波に迫いやられ、気づく前に眠りに落ちた。



 魔法使いは痛みに歪んだ唸り声をあげながら、綿が詰められて弾力のある寝台から身を起こした。


「あぁあぁ、まったく。あなたはお年のわりに元気ですね。腕が痛みますか?」


 魔法使いは、困った笑顔を浮かべて寝台の横に立つ若い男を見上げた。


「響くように痛む。だが、そろそろ歩きたくてな」


「しばらく安静にしていてください」


 清い笑顔で物腰柔らかく話すこの男は、三十歳ほどに見える。しっかりとした顎を持ちつつも、日焼けしていない肌をしているが、血色は良い。目は明るい青色で、丸くて細い黒縁眼鏡をかけている。髪は金髪でおかっぱ頭だ。この男は治療士らしく、目覚めた時からそばにいる。


「外の空気が吸いたい。それに、シーナが無事か確かめておきたい」


「あの娘は大丈夫です。アリーチェさんが看ていますから。ほらこれを飲んで、痛みが少しは和らぎますし、力もつきます」


 魔法使いは若者の治療士が手に持つ杯を訝しんで見た。得体の知れないものを飲むなんて正気の沙汰じゃない。

 若者の治療士はさっきと同じ困った微笑みを見せて、その杯の中身を匙で掬うと自らの口に運んだ。


「ほら、大丈夫ですよ。別にあなたたちをどうしようとは思っていませんよ。まぁ盗賊の仲間じゃない限りですけど。私の煎じた薬は飲みやすいと評判なんですから、さぁ飲んでください。私が自信を失う前に」


 魔法使いが不承不承に受け取るのを見て、若者は真っ白で並びの良い歯を見せていたずらな笑顔を浮かべた。


「意外にも素直なところがあるんですから不思議です。あなたたちはどこから来たんですか? ここら辺の村の人たちじゃないですよね? 服装からして山の方から来たようですが」


 なぜ聞くのだろうか? 魔法使いは確かに飲みやすい薬を少しずつ飲みながら思案した。こちらが嘘をつくかどうかかまをかけているのか、それともこの若者が地理に弱いのか。だが、若者の整えられたおかっぱの髪や、整理の行き届いた小屋の中、ほつれた藁の一つ無い地面を見ると、ただの無知な若者とは思えない。きっとすでに答えは知っているのかもしれない。魔法使いは仕方なく本当のことを言った。


「ドノハデウスからだ」魔法使いは若者の目を見ないで言うと、最後の一口を呷って苦味に耐える顔をした。


「デウリエ山脈を越えてですか?」若者は呆れた様子で言った。


「あぁ、そうだ」


「はぁ……。それはすごい。って、だからまだ安静にしてください。いきなり立ったら貧血で倒れます」


 若者の想像以上に強い力に押えつけられて、魔法使いは困惑の表情とともに仕方なく寝台の横になった。


「あの好奇心の塊のようなアダーツィが南の深くまで足を踏み入れてなかったら、あなたたちは助からなかったでしょうね」


「その、アダーチは――」


「アダー〝ツィ〟ですよ」若者は楽しむように言った。


「あぁすまん。音が難しい。君の名前も覚えられん」


「私の名前はプルッケル人でも少し覚えづらいので、全部覚えなくてもいいですよ。私はパンナッツァ。パンナッツァ・オヴィリシア」


「覚えられないことを許してくださると嬉しいのだが……」


「堅苦しくならないでください。家名はありますが、貴族ではありません」


「家名を持っているのに? おかしな話だ」


「そうですか? こちらでは特に珍しい話ではありませんよ? 農夫でも家名を持っている者もいます。本当にデウリエ山脈の向こう側から来たんですか? 実はモルゲンレーテよりさらに北の地から来たとか。あぁ、すみません。単純な興味からです。名前を教えたがらないのも興味をそそられます。私は貴族でもないプルッケルの一介の治療士ですから、そうなんだと言って済ませられますが、他の者がどう思うかは……わかるでしょう? 今、私たちは盗賊団に苦しんでいます。よそ者には敏感なのですよ」


 魔法使いは助けてもらったことに改めて感謝を述べた。だが訊いておきたいことがあった。


「ここはモルゲンレーテでいいんだな?」


「まさか、ここはアルゲンレーテです。モルゲンレーテの南側ですよ。まさかモルゲンレーテを知らないんですか?」


 ほんの少しの沈黙だったが、パンナッツァは誠意の籠もった顔を見せて続けた。


「お気を悪くさせたならすみません。ただ……本当にあなたたちは向こう側から来たんですね。私は信じます。モルゲンレーテはどの国よりも古い国です。まぁ〝国〟として存在を認められた集団としての意味ですが……。そしてとても変わった国でもあります。だから、この地方に住む人は皆、モルゲンレーテを知っているし畏怖しています」


「畏怖?」


「そうです。本当に知らないんですね。あ、ごめんなさい――」


 突如、小屋の扉が開けられて、短い髪の体格の良い男が険しい顔で半身だけを覗かせて訪ねて来た。短い髪は額の中央だけを残し、左右は後退している。肉体労働を生業とする男に多い。この男もそうなのだろうか? 男は険しい顔のままパンナッツァの名前を呼ぶと、わずかに顎先を外に向けて出るように促し、ちらっと魔法使いの方を見て出て行った。


「やれやれ、話しすぎたみたいです。でも楽しかったですよ! また話しましょう。私は、ちょっと、どやされてきますね」


 言葉は軽いが、顔は大義そうだった。パンナッツァは溜め息を吐きながら扉を開けると、明るい小屋の外に消えて行った。

 扉が閉まると、魔法使いは静まり返った部屋を寂しく思ったが、寝台から立ち上がると窓に近づき指が入るくらい開けて外の様子を窺った。騒がしい音は一切聞き取れない。鍛冶仕事の鉄を打つ一定の音と、移動させられている家畜の鈴の音、それ以外は聞き取れない。ここは小さな集落のようだ。

 魔法使いは寝台の下にある鉄張りの長持に仕舞われた自分の本を取り出すと『魔力と血統』のある頁を開いた。気になることがあったからだ。

『魔力と血統』の、強い力を持つであろう人々との共通点を書いたところに目を通す。バーインス王国の初代王バルディース=バーインスから、その直系の末裔であるシルティーナ・バルディース=バーインスの名前や、分家の名前まで書いてある。

 そして、バーインス王国の直系の名前の全てが金色の文字になっている。これは死んで魂が神に戻ったという意味だ。六歳で金色の文字になっているシルティーナ・バルディース=バーインスの文字を指でそっとなぞり、魔法使いは深く息を吐いた。

 シーナが雪崩を魔法で打ち負かした壮大な光景を思い出す。あれほどの魔法を使えるのは王家の血が流れていないとおかしい。シーナは十六歳。死んだはずの王女が生きていれば同じような年代だろう。可能性はないとは言えないが、まずあり得ない。あの宮廷の事件から生きて発見された者はいない。どのみち、王家とはなんらかの関係があると見ていいだろう。

 それならば、あんな辺境の地にあるウッソンス村に帝国兵がやって来たときに、村を抜け出した行動に理由がつく。

 だからといってなんだ。関係……ないだろうに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ