Episode-42
地面は荒削りの石がまばらに敷き詰められ、石と石の間に見える土は湿り気を帯びて真っ黒だ。海側に突き出た木造のがっしりとした長く広い桟橋の近くの土はぬかるんでいる。その長い桟橋は大きな商船が二隻横に着けられる長さがある。恐らく1ビールドはあるだろう。家が十軒はすっぽり入る長さだ。そして目の前に延びる桟橋には、一隻の船のような物が着けてあった。
第一印象は〝白〟。どこからどこまでも真っ白だ。波を切る船首から先の尖った船尾まで真っ白だ。その形は流線型で、繋ぎ目の無い真っ白な素材でできている。まるで一つの岩を削ったかのようなその船体にはいたるところに模様が彫られている。あれはまるで魔紋だ。魔紋よりも複雑で流れるような美しい曲線は、かつてカリャクス王国で見た秘石のものと似ている。あれは本当に岩を削ったのか? 材質は岩のそれと変わらない。かなり研磨され、水に長年削られ肌触りの良い石と同じように見える。まさか、岩が水に浮くわけがないだろう。
その船のようなものにはもう一つおかしなところがあった。甲板もなければ帆柱も無いのだ。流線型のそれはまるで用途がわからない。もしかしたら、異国にこの美しい岩を売りにいくのかもしれない。
魔法使いのその考えはすぐに裏切られた。突如、魔法使いの後ろから人が数十人、桟橋を渡りその真っ白で流線型をした何かに近づいていった。誰もが片手を直角に曲げて背中に回している。その姿は儀礼的だ。黒の光沢を帯びた天鵞絨で仕立てられた腰までの短い上着を着て、腰が締まったその上着は襟が広く胸元で両開きに折れている。その襟には金糸で唐草模様が刺繍されていた。きっと制服なのだろう。真っ白の布製の手袋をはめ、幅の広い真っ白なズボンを焦げ茶色の膝丈まである長靴におさめている。
その男たちが真っ白な流線型の岩の前にくると、誰かを迎えるように立ち止まった。男たちの顔は平然と努めようとしているのが見て取れる。皆緊張しているようだ。
真っ白の岩の横、船で言えば左舷の真ん中あたりが突如開いた。開いたというよりいきなり岩が切り抜かれ、見えない何かの力によって引き抜かれたようにも見える。軽々と船体から抜かれた岩のあった場所には、扉の大きさと変わらない長方形の穴ができていた。切り抜かれた岩はその穴の横に浮遊している。浮遊していた岩が今度は何枚もの石板に分かれ、宙を動き穴から桟橋への渡し板となった。
ほんの少しの間を置いて、その穴から人が歩み出てきた。やはり船のようだ。
出てきた人間も、第一印象は白だった。身を包む衣服は光沢を帯びた純白のゆったりとしたものだ。足元まであるそのローブを首元で交差させ、腰のところで細い帯で留めている。その腰の帯は、葉や花や蔓を象っているのか色鮮やかだ。だが、それでいて純白のローブと調和されている。足元は折り返しのないこれまた真っ白な長靴だ。膝丈だが細く、重々しさを全く感じさせない。その者の立ち振る舞いなのか、そよぐ風のような印象すら与えた。最初に出てきた者の出で立ちに目を取られていた魔法使いは、その者の顔をみて息を殺した。
白銀の髪だ。前髪をかきあげ長い髪を後ろに流している。顔の線は細いが間違いなく男だ。だが美しすぎる。白い眉毛は先細りで凛々しく、目はアメジストよりも神秘的な静かさを湛えた紫色だ。まだ日の明るい中だというのにその色ははっきりと見て取れる。
男は渡し板に一歩踏み出すと、微笑みを湛えながら陸の方を見た。目の前にいる数十人の黒い立派な上着を着た男たちや、木造の二階建ての家が並ぶ街よりも遥か遠くを見ているようだ。やがて歩を進めて桟橋に降り立った。
続いて、またもや真っ白な石の船から真っ白で裾の長い衣服に身を包んだ者が出てきた。だがその者は最初に出てきた男とは髪の色も目の色も違う。髪は薄い金色だ。銀白色に少し金を混ぜたような、そんな色だ。だが髪は短く、髪を後ろに流している。目は真っ赤なルビーの輝きを持ち、先の男と同様、太陽の下でもその色がはっきりと見て取れる。力強い骨格をしているが、やはり風のような気品を纏っている。挑戦的な笑みを浮かべながら数十人の男たちを一瞥すると、桟橋に降り立った。
船から出てきた三人目の者も男だった。髪は金色がかった銀白色で、目はエメラルドのように透き通った緑をしており、先の二人に洩れず太陽の下でもその色が主張している。赤い目の男に近寄り、何かを耳打ちしている。
四人目は女だった。白銀の長い髪を後ろにまとめ、桃色の透き通った目――夢で見たあの女だ! 間違いない!
その女は不安を抱えたような何かを危惧するかのように、眉の間を強張らせて渡し板を歩く。体の前に回した手は片方の手首を掴み、ゆっくりと足を踏み出す。暗い森の夜光に咲く花さながら粛粛としている。
桟橋に降り立った四人はそれぞれが辺りを窺うように目を動かしていた。最初に出てきた紫色の目をした銀白色の髪の男は、何を考えているのか読み取れないほど無表情で、桟橋に集まった数十人の男たちを見ている。二番目の赤い目をした薄い金髪の男は腕を組み、胸を張って挑戦的な笑みを浮かべながら、値踏みするように数十人の男たちを見ている。三番目の緑色の目の男は、二番目の赤い目の男の耳に楽しそうに小さく何事か呟いた。赤い目をした男も楽しそうに頷く。四番目に出てきた桃色の目をした銀白色の髪を持つ女は、街並みを一瞥すると真っ白な岩を流線型に削ったかのような船のぽっかりと空いた出口に目を向けた。
真っ白な船から五人目が出てきた。その者の身なりは先の四人と似ても似つかないものだった。四人と対極にあるかのようなその姿は漆黒だ。頭のてっぺんからつま先まで黒以外の色はない。体と一体化してしまったようにも見えるフード付きのマントで体を覆い、目深く被っているために顔は窺えない。肩幅からして男だろう。マントやそこから覗く靴は、鳥の羽を重ねて作られたように見える。真っ黒な鴉の羽だ。動くたびに光の反射で暗い七色を見せる。フード付きのマントは羽を規則正しく並べられているために一種の芸術を生み出していた。羽の向きによって斜めに線が入っているように見える部分もある。布の服で言えば綾織のような目の出かただ。フード付きのマントの下から覗かせる膝丈の靴は、羽だけで編み込まれたようだ。男の身につけている物は頭からつま先まで羽でびっしりと覆われている。羽以外の物は見受けられない。黒い男は桟橋に降り立つと、桃色の目をした女が話しかけたのにもかかわらず、まるで聞こえていないかのように北の空を見上げた。その一瞬、空をも嫉妬させるほど青青としたサファイア色の目が見えた。目深く被ったフードの奥で、その二つの青い色が見て取れる。あの男はなんだ? その邪悪さを纏う男に魔法使いは本能的な恐怖を覚えた。それよりもあの五人は誰なんだ? そもそもここはどこだ?
突如風景が水に垂らした絵の具のように崩れ去った。世界はまたしても光の粒子となり縦横無尽に動き回る。やがてそれぞれが色を成し輪郭の淡い風景が魔法使いの周りに顕れ始めた。やがて現実さながらの風景が創られる。そこは乾いた灰色の土の地面が視界のどこまでも続き、天を覆う濃い灰色の雷雲によって不穏な重い空気を漂わせる荒地だった。
どこまでも続く灰色の乾いた土には枯れ木の一本も見当たらない。地面はひび割れ水気もない。空に立ちこめる雷雲は時折怒りを震わせるかのように、数千の太鼓の如き音を轟かせるが雨は期待できそうもない。南の地面に近いところから射す赤い太陽の弱々しい光だけが荒地に光を与えていた。
魔法使いは後ろを振り返った。空を貫かんばかりに聳え立つ雄峰が、その身の半分ほどから頂までを雷雲に隠されている。あんなに大きな山は見たことがない。いや、もしかしたら〈偉大なる厳父〉かもしれない。それが自分よりも後ろに見えるということは、ここはかなり北の土地に違いない。そんなことがあるのだろうか? いつも茫洋とした先に鎮座していたあの山が近くにある。壁に描いた絵画のように遠すぎて現実味のない風景――デウリエ山脈より遥か北に頂を覗かせていた白くて大きな山の向こう側があるなんて考えてもみなかった。それがこんなにも荒地だとは……。
魔法使いは振り返っていた体をもう一度北へ向けると思わず恐怖に声を上げた。 さっきまで見ていた荒地の風景は変わっていた。その地面にはおびただしい数の死体が隙間なく転がっている。鈍い銀色の甲冑に身を纏ったまま倒れる兵士たちの全てが、一つとして身体の形を完全に留めてはいない。腕や下半身がないもの、上半身もなければ首もない。両腕がなければ誰の腕かもわからない両刃の剣を握ったままの腕が死体の間に横たわり、鼻当てのある兜を被ったまま、戦いの荒々しさ物語る目を瞠いた青白い生首までもが無造作に転がっている。
旗手の命が尽きると共に地面に倒れた血に染まり重々しく湿った旗がいたるところに転がっている。群青色の生地に金糸で枠を縁取り、赤色の糸で馬に乗った騎兵を刺繍したものや、黒地に金色の糸で荒々しい海に浮かぶ船を刺繍したもの、その他にも多くの旗が転がっていた。よく見れば屍となった兵士たちも違う鎧を纏ったものたちもいる。まるで一つの戦場で数国が同時に争い共倒れしたかのような惨状だ。
ぐるっと一周見渡しても見えるのは死体だけで、魔法使いは己が投じた戦争の生々しい記憶を思い返し、思わず鼻を押さえそうになった。だが、ここではどんな匂いも、音も聞こえない。見えるのはやけに現実じみた風景だけだ。
ほんのすこし先、二十歩程離れた場所に、港にいたあの五人の人間が憔悴した様子で佇んでいた。緑色の目をしていた男は片膝を地面につき、地面に突き刺した半円状の刃をした剣に体重をあずけている。
赤い目の男は身の丈もある黒い剣を立ったまま地面に突き刺し、片手を腰に当て、剣の柄をもう片方の手でいつでも引き抜けるように握っている。その大きな剣は全身がひび割れたように亀裂が入り、その溝は岩漿のさながらに赤く脈打っていた。
漆黒の男はまるで翼と見間違える鴉の羽のように色々な色を見せるマントで体を包み静かに佇んでいる。
長い白銀の髪を持つ桃色の目をした女は、艶やかな銀色の細身の甲冑に身を纏い、両端に反りのある刃を備えた薙刀を片手に持ちながら、目の前の紫の目の男を力なく見おろしている。
女の目の前で地面か何かに二本の剣を突き刺していた紫色の目をした男が、勢いよく剣を引き抜いた。腕の長さ程の二本の細い直剣には、金色の液体が粘つくように滴っていた。
その場にいる五人の者全員が、二本の剣が抜かれた場所に視線を向けた。
二本の剣を持つ紫の目の男が南を向き、力なく歩き始めた。その様子を見て、膝をついていた緑色の目の男が安堵したようにうな垂れる。
魔法使いは二本の剣が抜かれたところを見て眉を顰める思いで注視した。
そこにあったのは死体だ。漆黒の艶のない真っ黒な四本の腕を持つ人間のような存在だった。頭は細長く、毛は一本も見られない。瞠いた目は白目の部分が墨のように黒く、虹彩の部分だけが金色だ。剣が引き抜かれた胸の二箇所の傷から、黄金を溶かしたような液体が流れ出ている。あれはきっと血だ。金色の血。
魔法使いは御伽噺に出てくる邪悪な存在――ウラドの特徴にそっくりなその屍を見てうすら笑った。あんなのがいるわけがない。だいたい今見ているこれは何だ? 夢にしては想像力が豊かすぎるのではないか? あぁ、歳なのだろう。書物を読み漁った際に得た潜在的な知識を整理しきれなくて、こうやって訳のわからない夢として出てきてしまったのだ。ならばこの夢も醒めるはずだ。起きるのだ。
――あなた方には希望があります。まだ、間に合うのです。信念で剣を鍛え、行動で剣を研ぎなさい。きたる戦いのために……。
頭の中に鳴り響く声に魔法使いは目を瞑るようにして意識を周りから遮断しようとした。私の頭から出て行け! 戦い? もううんざりだ! 私はシーナが自分の道を見つけるのを手伝い背中をすだけだ! 戦いなど……うんざりだ!
魔法使いは荒い息とともに目を覚ました。寒さに震える体を掻き抱き胸を撫で下ろす。未知の恐ろしさに満ちた夢から醒めさせてくれたこの寒さを、初めてありがたいと思いながら目頭を押さえ込む。




