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Belief of Soul〜繋ぐ者達〜  作者: 彗暉
第1章
36/75

Episode-36

 目を覚ましたシーナは一瞬どこだか理解できずにあたりを見回した。柔らかくも深みのある橙色の明かりに満ちた部屋は、床も天井も壁も灰色の石造で、壁には棚や本棚がずらりと並び、一角には大きすぎる寝台がある。寝台のすぐ横の壁には翼の生えた四つ足の巨大な動物と対峙する五人が刺繍されたタペストリーがある。あぁ、そうだ。ここはカイザスモーンの家だわ。

 カイザスモーンの部屋の長椅子の上で、シーナは大きく伸びをした。いつ寝たのか、どれくらい寝ていたんだろう?

 常に一定なのか、部屋の明かりや温度が昨夜とまったく変わらないように感じられ、朝なのか夜なのかもわからない。眠気の波がひいていくと、今度は空腹が押し寄せてきた。もしかしたら今は朝かもしれない。いつもなら空腹を感じるよりも早く寒さに起こされていた。空腹に起こされるまで寝ていたのなら、日は既に高いところまで昇っているはずだわ。

 シーナは部屋の中を二、三歩移動しぐるっと見回した。部屋には誰もいない。そう思ったシーナだったが、寝台の膨らみを見て誰かが寝ていることを悟った。大きさからみてカイザスモーンではない。

 シーナは近づいていき、掛けられている毛布と毛皮の上掛けを顔が見えるように捲った。師だ……。だが酷く汗をかき、呼吸が荒れているばかりか苦悶に顔を歪めている。シーナは昨日のことを思い出し、どう接するか心に決めていなかったが、ためらいがちに魔法使いの肩を人差し指で突っついた。


「師、師よ。どうしたのですか?」どうしたですって? どう見ても風邪にしか見えないのに、わたしは何を言っているのかしら。しゃきっとしないと。師は昨日のことなんかでへこたれはしないわ。


 シーナは自分の荷物から適当な布を取り出し、炊事場の水甕の水を含ませると部屋を出て階段を駆け上がり、跳ね扉を開けて岩を組んだだけの小屋に出た。シーナの息が白く空気を染めた。岩の組み合わさった間から太陽の光が差し込み、岩の小屋の中を照らしていた。

 空は快晴で日差しは鋭く眩しい。シーナの思った通り、日は高い位置にあった。清々しいを通り越し厳しい寒さを湛えた一陣の風が、シーナを歓迎するかのように吹き去った。

 深く深呼吸をしたシーナは肺いっぱいに冷たい空気を感じ、思わず笑みを浮かべた。


「ふはぁー!」


 自然を感じていたい。そう思ったが、すぐに自分の目的を思い出し、濡れた布を振り回した。凍らないまでも、握り続けるのが難しいほどに冷えたのを確認すると、丁寧に折りたたみ再び部屋を目指して駆け下りた。

 寝台の魔法使いの顔は先ほどと変わらず苦しそうに歪めている。額に冷たい布を乗せた時、悪夢にうなされているかのように声をあげたが、すぐに荒い息と苦しそうな顔に戻った。シーナは心配になりただ立ち尽くした。

 師はあの後どうしたのだろうか? 相当酔っていたようだし、あのまま極寒の夜風に吹かれにいったのだろうか? そうに決まってる。お酒を飲んで夜風に吹かれるなんて男は歳をとっても頭が足らないのね。だがシーナは魔法使いの汗を滲ませた苦しそうな顔を見ると、何かできることはないかと考え始めた。

 シーナは腕を組んで数秒考えたが何も浮かばなかった。浮かんでも不可能なことばかりだった。薬効に優れた何かを作ろうとも薬草は無い。カイザスモーンの炊事場にある草類は見たこともないものしかなくて手がつけられない。治療士のような魔法を操る魔具があるわけでもない。そこまで考えて、シーナは小さな電気が走ったかのように息を呑んだ。


 色々な魔法が使える師の杖は特別だわ。もしかしたら治療士の魔法も使えるかもしれない!


 シーナは飛ぶように魔法使いの荷物の元へ行き、治療の魔法について書かれている本を探した。以前に、一度だけ中を見させてもらったことがあった。確か深い緑色の革で装丁されていたはずだ。

 数冊の本を荷物から取り出して脇に重ねていく。『動物図鑑・獣と霊獣』『植物図鑑・薬草と毒草』『国家と思想』『バルダスの末裔』『海遊民族』『レイカ・コウエン=バーインス伝記』『魔力と血統』。その全てを捲りたい衝動に駆られたが、なんとか無心で目当ての本を探し出した。『治療原理』――シーナはその本の深い緑色の背表紙を撫でると、誘惑に打ち勝った一苦労に息をついた。

 シーナは横に積み上げられた本を見て驚いた。師はこんなに荷物を持っていたのに、へこたれなかったんだわ……。

 風邪に関係する頁を探して羊皮紙を捲っていく一方で、頭の片隅にあった小さな不安が大きくなった。あの杖は使っていいのだろうか? 

 シーナはあの杖を触らせてもらえる機会はなかった。魔法使いは常に肌身離さず、シーナに触ろうと考える状況すら作らなかったのだ。なぜなのだろう? と、そんな思考を巡らせているうちに、全ての頁がばらばらと音を立てて捲れていき、気づけば最後の頁を開いていた。シーナは小さく唸りながら最初から見直そうとしたが、何気なく目に入った文字をみて固まった。


「『著者=ゼークス/カリヌ』……これって」


 昨夜の魔法使いとカイザスモーンのやり取りの一つを思い出し、シーナは暖炉の前にある綿の詰まった座り心地の良い長椅子の上に放置された『魔の書』を手に取った。最後の頁を開くとシーナは指でなぞって名を読み上げた。


「『ゼークス著』」思わず唾を飲み込んだ。


 シーナは『治療原理』の最後の頁と『魔の書』の最後の頁を見比べた。筆跡も全く同じで同一人物が書いたとしか思えない。師の名前は……ゼークス?

 触れてはならないものに触れた興奮のような恐怖にも似た心の浮つきに、シーナは鼓動を速めた。だが頭を振って思考を振り払った。今は師を楽にさせる方法を考えないと。

 シーナは治療の項目を見つけると、指でなぞりながら素早く見ていく。


――治療の技。基本的な三元素の配分によって効果を得る。基本的な治療に用いられる三元素――火、水、風の作用は次の通りである。

 火――滅菌、止血、体温の調整や維持。

 水――体の機能の促進、体温の調整や維持。

 風――多元素間の媒体、隔離。

 基本的な治療はこの三つの織り合う割合によって効果は変わり、その割合は患者によって変わるものでもある。また、この他にも元素と確率されたわけではないが治療の一環として特定の術者が扱える元素もある。


 一つは地の元素――これは患者の精神力を養う作用が見られた。術者が三元素を織り交ぜる際、感情の高ぶりによって偶然別の力として発現したものである。その術者が力を感じた際、土を彷彿させる匂いのような何かを感じたという報告から、これを我々は土の元素と呼ぶことにした。どのようにして作用させるのかは未だ未知数。術者は王家の親戚にあたる人物であった。


 二つは雷の元素――これは体の機能の促進(水とは違う働き)、心肺停止からの蘇生、適切な電流を流し効能を得る(主に痛みを消す)、作用がある。我が国の魔法研究機関では、雷の魔紋を秘石を用いて転写することに成功したため、個々の能力に依存することなく魔具によって雷の元素を扱える。

 三つは――。

 シーナは頁を数枚捲り先を進めた。探しているのはこれじゃないわ。なんかもっとこう、具体的にどうやって魔法を制御するのかが知りたいのだけど……。シーナは数枚の頁を素早く捲りそれらしき頁を見つけ目を走らせた。


――外傷と内傷では配分率が変わる。外傷は(内臓に達していないもの)火が七割、水が二割、風が一割で行われる。

 対して、内傷は(内臓に達しているもの)火の元素が三割、水の元素が六割、風の元素が一割である。火の元素は殺菌と傷口を閉じる働きが強く、水の元素は傷口の汚れを浮かして流すと同時に、毒素を外へ追い出す作用がある。風の元素は他元素を繋ぎ合わせる役割を担う――。


「うーん。これじゃないわ」


 シーナはさらに捲り、注意深く目を走らせた。


――次に、感染症と毒について記す。感染症は主に、風邪と言われる人間の免疫力によって自然治癒されるものと、黒死病のように治療を施さないと死に至るものがあり、病の進行具合によっては地の元素が必要になる。

 感染症の配分率は、火の元素が一割、水の元素が三割、風の元素が二割、地の元素が四割となっている。地の元素が必要ない場合は、火の元素が二割、水の元素が五割、風の元素が三割となっている。

 火の元素と水の元素は、体温調整、身体の機能維持、促進を担う。風の元素は、他元素間の媒体、精神と体の隔離を担う。地の元素は、精神力を漲らせ気を保たせる。

 毒の配分率は、水の元素が七割、風の元素が三割となっている。

 水の元素は、毒素を体の表面に近い場所に集める。風の元素は、体から毒を隔離させる――。

 

 シーナは頭を抱え、長椅子の背もたれに仰け反った。わからないわ! それで、どうすればいいのよ!


 それでもシーナは本に向き合うと、根気よく目を通した。そして理解できたのは、治療を施す大前提として、病に適応した魔紋が施された魔具がなければならないこと。そして魔力の割合を制御し治療を施す。さらには怪我の状態や原因を見分けることができなければならないということだった。つまり、ここに魔紋を描ける秘石と魔具になる物もなければ、症状を的確に読み取る知識もなく、魔法を操る技術もない。手の施しようがないということだった。

 シーナは溜め息を洩らし、本を閉じて魔法使いが眠る寝台へ近づくとその端に腰掛けた。


「師よ、わたしには何もできないようです。思い返してみれば、わたしは本当にお荷物でしたね」


 魔法使いの苦しそうな寝息を聞いてシーナは悲しみと悔しさを覚えた。そして、魔法使いから逃げるように視線を逸らすと、寝台の横に立てかけてある杖に目が止まった。何も考えることなく杖に手を伸ばし、掴んだ。

 杖はシーナが立ち上がった状態よりも頭一つ分は長い。シーナの身長は、普通の女の背丈よりも少し大きいくらいで、木工所の定規で測ったときは一・六メネンだった。そうなると、この杖は二メネン近くある。大男並だ。

 木製の杖の触り心地は滑らかで気持ちが良い。村の円屋の廊下や手すりのように滑らかで艶がある。黒黒とした杖は重く、これだけで立派な鈍器になりそうだ。杖の先にある宝珠は、杖の棒部分から繋ぎ目なく広がる枝の細工によって包まれている。今は無色透明で、自然のものとは思えないほど透き通っており、傷もなければ内部に罅すら見当たらない。

 師が使っている時には魔紋が見えたはずなのに今は見えないわ――シーナはそっと意識を集中させてみた。

 体の芯に意識を持っていく。小さく強く渦巻く炎を想像し、さらに焦点を小さく絞る。絞れば絞るほど濃い炎の塊になり力を増していく。まるで自分がその炎であるかのような感覚を得たら、それを離さず意識に浸透させていく……。やがて興奮したときや喜びに満ちたときのように全身に力が漲った。もしかしたら、わたしの体は発光しているかもしれない。

 シーナは自らのうちに迸る力をぶつけるようにして握った杖に向けた。そして杖が吸い取るようにその力を〝奪っていく〟。まるで乾いた地面が水を吸い込むようだ。身体中に漲っていたさっきまでの力が杖に吸われる感覚は、背筋に嫌な感覚を走らせた。だがそれもすぐに終わり、杖との間に妙な繋がりを感じていた。この感覚は何? まるで自分の一部になってしまったみたい。杖がそこにあるのを〝感じる〟。

 シーナは杖の宝珠を見上げた。

 その時、階段の扉とは違うもう一つの扉が勢いよく開けられ、カイザスモーンが入ってきた。シーナは驚きのあまりに跳びはねたかと思うと、急いで杖を壁にもたせて背を向けると、組んだ足に肘を乗せて頬杖をつき、いかにも何もしてませんよと言いたげな態度で魔法使いを心配そうに眺めた。

 気になって横目で一瞥した宝珠は、先ほどの透明な水晶とは打って変わり、薄い赤色を帯び、『魔の書』には記されていない数々の魔紋をびっしりと宝珠全体に彫り込ませている。


「おう、起きてたか」


 カイザスモーンの太鼓を転がしたような太くも楽しそうな声が響いた。


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