Episode-34
「あんたは使えるじゃないか! ヴェルグにはできてアスロスにはできないのか?」
食い下がる魔法使いの声は震えていた。なおも言葉を続ける魔法使いを制してカイザスモーンは言った。
「聞け! アスロスの魔法使い! お前には後どれほどの時間が残っているというのだ? この俺様でも五百年生きてこの程度の神秘だ」カイザスモーンは広げた手の平に小石程度の炎の渦を作り出して見せた。「見たところお前は年寄りだろう? 後三十年か? 四十年か? どちらにしろ変わらねぇ、諦めろ。翼が欲しいと言ってるようなもんだぞ」
落ちるように腰を落とす音がした。魔法使いの心が墜ち続け、絶望という深淵の闇に呑まれていくのが感じられそうなほど嫌な沈黙が流れた。
「頼む、カイザスモーン……岩王ベイルモーンの息子カイザスモーン、私に知っていることを全て教えてくれ……頼む」
最後の言葉は力なく震え、生きる最後の希望を託したような儚い懇願だった。シーナは魔法使いの辛さがすべて分かるわけではなかったが想像はできた。生涯の中で娘を失い絶望に沈んでも、前を向き自分の運命をひたすらに生きてきた。そして全てを投げ打って死の谷を綱渡りするような旅にでて、わたしという荷物を背負ってここまできたのだ。それなのに希望の地に足を一歩踏み入れたところで、未来がないことを宣言された。どれほど辛いか? シーナは想像できると思った自分を恥じて目を固く瞑った。できるわけがない。師は今どんな顔をしているのか? 目覚めた後どんな顔を向けたらいいのか? シーナは怖くて目を開けることもできなかった。寝ていればよかった、盗み聞きなんてしなければよかった。シーナは自分を責めて悔いたが、心の芯がそんなシーナを焼いた。
――責任を持って生きろ。
それは、魔法使いがデウリエ山脈で生きることを諦めたシーナを叱咤した時の言葉だった。
師はきっとめげないわ。わたしが怖気づいてどうするの。
それでも悶々としながらシーナは眠りにつこうと努力した。
魔法使いは頭を抱え、横になっているシーナを見た。寝ているのだろうか? 若い娘だ。年は十六と言っていた。若いとはいいことだと、人生で何度か口にしたことがあったが、今日ほど身にしみたことはなかった。魔法使いは自分の皺だらけの手をみて、醜いものを握りつぶすかのように固く握った。
もっと早く決断していれば……戦争なんか放っておいて、カリヌを連れて山を越えればよかったのだ。王家の秘密に触れるかもしれないことに恐れなければ……。もっと早ければ。
気まずさから席を立ったカイザスモーンが置いていった酒を、魔法使いは喉を鳴らして三口煽った。胃に激痛が走った。穴が空くかもしれないという思考がよぎったが、構うものかと嘲る声が思考を蹴散らした。痛みと強烈な胸焼けに、声にならない叫びをあげながら耐え、さらに煽った。勢いに任せて立ち上がったが、すぐに平衡感覚を失ない地面に手を突いた。己の手を見て、なんて哀れかと自分を罵った。とんがり帽子を頭からむしり取り、己の栄光と努力を憎むかのように地面に叩きつけた。ほとんどが灰色になったぼさぼさの長い髪が顔に垂れると、仇に向けるような憎しみの籠った唸り声をあげてながら搔き上げ、杖を手に取り、足取りがおぼつかない状態で階段を登り、岩の小屋の外に出た。
冷たく、見えない氷の刃のような風が心地よかった。今は体も暑い上に、やりどころのない怒りに燃えている。
あぁ、そうだ、どんどん吹き荒れろ。そうして怒りで燃える私の魂を消してみろ。
魔法使いは杖を風に向かって振り回した。酔っ払いの力任せに振る無様な姿だった。やがて杖の先から炎を吹き出させた。それは力が収縮し切っていない鞭となって、魔法使いの周りの大地を叩いた。魔法使いは鎮まらない怒りと悲しみと後悔をありったけ魔法に込めた。杖はその感情によって高ぶった心に応え魔法を顕現させる。
最初は炎の風となって天を赤く染め上げ、その炎を地面に叩きつけた。低木たちはたちまち炎を身にまとい煙をあげ、岩は一瞬赤みを帯びた。炎が消えると同時に炎の狼を三頭生み出した。その一頭一頭の頭は魔法使いの頭の位置よりも高い。その巨大な炎の狼はゆっくりと魔法使いの方を向き、獲物に飛びかかるように姿勢を低くした。魔法使いは笑っていた。まるで命をあざ笑うかのように。そして、自分に向かってけしかけた。
炎の狼は途中で交わり、さらに巨大な一頭となって魔法使いに向かって飛びかかった。その前足が胸届くと魔法使いは押し倒され、前足がかけられた部分から煙が立ち昇った。魔法使いは自分を見下ろす炎狼を見て、涙を流して笑った。
「私は……自分で死ぬこともできないのか」
そのとき、炎の狼の首に巨大な斧が突き立った。まるで大木を一太刀しようと言わんばかりに大きな斧だ。斧のあまりの速度と重量に炎の狼は体勢を崩して、魔法使いの上から体をずらした。さらにもう一つ斧が飛んできて、炎の狼の首を吹き飛ばし、炎の狼は轟轟と空気を灼いて消えた。
傍に落ちた、人よりも大きな二つの斧をカイザスモーンは片手でものともせずに持ち上げて肩に担ぎ、廃人のように横たわっている魔法使いを担いだ。魔法使いは魔力の使いすぎで精神と体力を消耗し、すでに意識を失っていた。
「まったく。死ぬつもりとは思わなかったぞ。しかし、アスロスはどうしてこんなに短気なんだ? 全く理解できん」
カイザスモーンは深いため息をつくと、小屋の中の階段を降りていった。




