Episode-33
シーナと魔法使いは、何も理解できずに、ただ物を見るようにカイザスモーンを見た。魔法使いはぎこちなく椅子に座りなおすと、唇を湿らせて言った。
「つまり、王子ということですかな?」
「しかり、だがお前達アスロスのような階級社会とは無縁だからな、王は一つの家の主のようなものだ。だから俺様は王子様とかではない」
魔法使いは首をひねり、最終確認と言えるような念をおした声音で訊いた。
「では、さっきから当たり前のように言っているが、あなたは、ヴェルグ……つまり我々とは種族が違うと? バイーンス人やカリャクス人、バルダス人とかではなく?」
カイザスモーンは、数秒髭を撫でながら怪訝な顔で魔法使いを見ていたが、唐突に口を開いた。
「やはりお前達は不思議だな。同じ種なのになぜか差別をしたがる。どこどこの人間だとか、あの国の連中はどうだとか、ルヴァが嫌うのも当然だな。俺様も地上に出て三百年経つが、お前達を理解できん。心の奥底でという意味だぞ? これでもうまくやっているからな」
こんな動物も住んでいない山奥でうまくやっている? という疑問をシーナは抱いたが、当然口には出さなかったし、顔にも出さなかったが、それを紛らわそうと紅茶に口をつけそうになり、危うく口を離した。
待って、ルヴァってなんだろう?
シーナのその疑問を、まるで察したかのように魔法使いが尋ねた。カイザスモーンは驚きに目を開き、両手を広げて呆れたようすで言い放った。
「はっ! まさかだ! 二千年そこら昔の出来事をもう忘れてやがる! あっぱれアスロス! ルヴァが何かだと? お前達の住む土地が今のように広がっているのを、誰のおかげだと思っているんだ? こんな話は聞いていなかったぞ、神秘で覆われたデウリエ山脈を越える力を持つものが、こともあろうかルヴァを知らないだなんて」
「ちょ、ちょっと待て、二千年も前なんて神話の話だ。アルヴェ暦以前の話ではないか。それに、『お前達の住む土地が、今のように広がっている』とはどういうことだ? 誰のおかげと言ったな? それは神の化身のことを言っているのか? それに神秘と言った、神秘とはなんなのだ?」
魔法使いは息継ぎもせずに、濁流のように言葉を話したために息が荒れている。シーナはそんな師の姿を見て、普通じゃないことが起きていることを理解してはいたが、一人取り残されてしまったかのような気分を抱いた。その緊張が緩んだせいか、魔法使いの濁流のような質問に答えるかのようにシーナのお腹が鳴った。
「ぬはっ! 良い音だな嬢ちゃん。いいぞ、ちょうどいい、もうできた頃だろう」
そういうと、カイザスモーンは大股で炊事場に行き、熱いであろう鍋を素手で運んできた。続いて、小鍋と錯覚するほどの底の深い陶製の皿を二人に渡すと、カイザスモーンは豪快に鍋の中の煮込みを二人の皿によそった。
シーナと魔法使いは、先の紅茶のせいで無意識に身構えていたが、よそわれた皿から立ち昇る香りに、喜びのあまり胃が踊り出した。二人は無心になって汁が少し飛ぼうが構わずそれを平らげる。
気持ち悪くなるほどに食べた二人は、揃って「もう死んでもいい」と口にした。
「明日の朝は丸焼きでいくぞ」
「それは、まだ死ねんな」と、魔法使いが笑いながら言う。シーナも笑顔で頷いた。
シーナは強い眠気に襲われた。心地よい暖かさの中、長椅子に半ば横たわるように体を預け、リデ・バガンの心臓が発する包み込むような心に直接入り込む柔らかな光をただ見つめていた。
横では師が熱心に質問をしている。質問に質問を被せていて、それでいてカイザスモーンの答えは的確なものを返していない。その返した答えに謎があって、師が質問をする。カイザスモーンは答えに対する自分の考えを話し始め、その中に含まれている知らない言葉を師が質問している。会話はどこにたどり着くんだろうとシーナは考えながらも、靄のようになってしまった思考が追いつかない上に、満腹という至福の海の中に溶けてしまいどうでもよかった。それでも眠りに落ちることはなく、なんとか耳だけを傾けて、二人の話を風の音を聞くようにして耳を傾けた。
「だからな、神秘ってのは万物の力であり自然の力なんだよ」何度も言わせるなと口吻を洩らすカイザスモーン。
「つまり、魔法はその自然の力を結晶を媒介させて操るのだから、神秘と同じなのではないのか?」全く悪びれずに訊き続ける師。まるで面倒臭い子供のようだとシーナは思った。
「んー……。そうじゃない。自然の力がルスといって、神秘は別の力オルスも使って……あぁ! 面倒だ。そもそもルヴァが魔法なんかを作り出したから――」
「待て待て、ルヴァが魔法を作り出したのか? 我々の歴史では、神の化身が降り立ち聖戦を終わらせた後から魔法が現れている。ということは神の化身からの授かりものか?」
「神の化身神の化身とうるさいな。ルヴァは神でもなんでもない。まったく、これだから〈神導教〉は良くねぇんだ」
「〈神導教〉? それなら知っている。王を神聖なものとする教えだ。王家には神の化身の血が流れる。〈神導教〉では神の化身は神と同等と見なされる。つまり王家は神聖なものとして見られ、権力を誇示することができる」
シーナは不快感を感じた。野原を歩いている時に、伸びすぎた下生えが素肌を引っ掻く程度のものだ。だが見逃せなかった。
王家が権力を誇示するですって? シーナは幼い頃の記憶を引っ張り出した。
数々の人の笑顔に囲まれていた父と母。侍従に決して威張ることはせずに、常に慈しみを持って接していた。だからこそあの夜、全てを失った夜に、侍従長の婆やは帝国との敗戦後のわたしの身を案じて、辺境の村に身を隠させたのだ。王家が権力を誇示する? そんなことはない! シーナの眠気は飛んだが、長椅子にもたれたまま魔法使いとカイザスモーンの会話を盗み聞いた。
「あぁそうだ。ようやくまともなことを言ったな魔法使い。千年近く前だ。お前達のいう神の化身の一人、〈ネル=ダグラス〉が死ぬ前に、ルヴァやルヴァとアスロスの混血を神として讃える者達がいる世界の未来を案じて〈神導教〉を撤廃したようだ。国民の前で同じく血が流れるのを見せて、同じ生き物なのだということを知らしめたみたいだ。ルヴァの血は銀色に近いから逆の効果もあったって話だったがな。まぁ、方法はどうだっていい。腕を切り落としたとか、色々と違う話があるからな。だが、それを気に食わない者達もいたわけだ。ルヴァ自体はいなかったそうだが、アスロスとルヴァの混血の中に〝自分達は特別だ、庶民とは違うのだ〟と信じる連中だ。そしてアスロスと同等に生きるのが耐えられずに〈ネル=ダグラス〉と袂を別った。それから、国と王が各地で乱立したが、〈ネル=ダグラス〉の撤廃宣言は徐々に広まり、神秘を扱えない混血の王達は権力を世代ごとに弱めていき数々の王国が消えた」
「では、王家が自らの血を特別なものにするために、同等の人間である事実を隠すために、歴史を消し去ったということもあり得るのか?」
「それが混血王の常套手段だぞ魔法使い。まぁ、そんな国が残っているならこの目で見てみたいがな。小便引っ掛けて笑ってやる! 国として成り立っているのであれば、それはそれで良き王なんだろうけどな」
「どうだか」魔法使いは吐き捨てるように言った。「だが、王家が魔法に優れているのは血のせいだったという仮説が本当だったとは。私の仲間が知ったらどれだけ喜ぶか」
「なんだ、お前は学者とか呼ばれる何かなのか?」カイザスモーンは立ち上がって、炊事場の方へ歩いて行った。シーナは見えなかったが、戸棚を開けた音がし、硝子と硝子がぶつかる音がした。そしてすぐに戻ってきた。
「私は魔具や魔法の根源に関わることを研究していた」
「ふーむ。つまらん仕事だな」嘲るようにカイザスモーンは言った。
「いや、実に楽しかった。実に……幸せだった。娘とともに研究していた時期もあった」声を弱くした魔法使いが何を思い出しているのかをシーナは悟った。
「そこの嬢ちゃんか?」
「いや、シーナは弟子だ。娘の名はカリヌだ。そのことは関係ないな。話を戻すが、王家にはルヴァの血が流れているということは、その神秘という力が使えるのか?」
「まぁ焦るな魔法使い。長くて退屈な話には酒が必要だ。飲め!」
杯に液体を注ぐ音がし、グラスを打ち合わせたような甲高く硬い音がしたと思うと、沈黙が流れた。シーナは自分が起きていて、話を盗み聞いているのを悟られたのではないかと、はやる心臓を掴んで落ち着かせたい思いに駆られた。
「んっ! これは強いが、この抜ける香りは素晴らしい!」魔法使いが今にも踊り出しそうな高揚した声で言った。
「おぉ! やはりアスロスは酒の味はわかるんだな! 昔、三十年眠らせた蒸留酒を貰ったことがあってな、ヴェルグ式で真似して造ってみたものだ。なかなかいいだろう?」
「これも……その――」
「何かの小便ってことはない。安心するんだな」
シーナは安堵から笑いそうになってしまったが、すぐに平常心を取り戻し、話の続きを待った。
「それでなんの話だったか……そうだ神秘が使えるかどうかだったな。血が混じってりゃあ使えるとは聞いているな。しかも、血の濃さは関係ないって話だ」
「では、王家の権力が世代ごとに弱まっていったという話は、神秘が使えないというわけではないのか?」
「あぁ、それは限度の話だ。例えば、焚き火のために使う神秘の量と、森を燃やす神秘の量。これらを扱うのに血の濃さは関係ない。ただ、その神秘を操る以前の一つの問題に、血の濃さはある程度関わっているという話だ。いわば神秘の開花みたいなもんだな。通り抜ける扉が大きいか小さいかの違いみたいなもんだ」
「神秘の開花か……。神秘の量と言ったが、限界はあるのか?」魔法使いは自らの思考に入り込みながら質問しているために、口調が速い。
「どうなんだろうな、俺様にもわからん。神秘は少し操れるが、ルヴァほどじゃないからな。そう言った話を聞くならルヴァに聞いた方が確実だろうよ」
「ヴェルグも使えるのか?」
「あぁ、だがルヴァなんかと比べたらお遊びみたいなもんだ。アスロスだって使うと聞いたぞ? 体を活性化させる神秘の技の一つだ、ほら、予知夢だったり死んだ人間が見えたりってやつだ」
魔法使いは膝に立てた腕の上に顎を置いて唸ると、荷物の中を探って一つの本を取り出した。
「それはなんだ?」とカイザスモーンは興味を含んだ声で言った。
「『魔の書』だ。我々アスロスが魔法を扱うために学ぶための書だ。今までの話からすると、魔法は、魔具を利用して神秘の一部を扱っているものだと理解した。ルヴァが魔法を造ったという言い方をそなたがしたことからもそれがうかがえる。いや、事実なのだろう。魔具を作るためには、魔具に魔紋を施すための秘石が必要だ。その秘石は神秘の力で作られるのではないか? もしそうならば、私に神秘を教えてくれ、もし秘石を作れるようになれば、魔具を用いて人々の暮らしをより豊かにできる! それができれば貧困に喘ぐ者の多くが……一日を生き抜くためのたった一つのパンを得るために、虫けらのように働く移民も、病気の家族を養うことができずに、雨も凌ぬあばら家に住まねばならないような者達に最低限の暮らしをさせることができる! どれだけの者達が救えることか。私はそれを目指して魔具の研究をしてきたのだ。さぁ教えてくれ、こう見えても私は優れた魔法使いとして名を馳せた時期もあった。その『魔の書』だって私が書いた物だ、生涯を研究に捧げ多くのものに希望を与えたいからだ! 魔法を扱う腕は王すら認めた! 見込みはあるはずだ!」
まるで金槌で打たれるのを待つ、熱せられた鉄のごとく高揚している魔法使いの声を聞いて、シーナは驚いた。こんなにも熱い気持ちで研究をしていたのだと。その研究が王家を冒涜することになるかもしれないという蓋に抑え込まれて燻っていたのなら、王家をよく思わないのも納得だ。そして師は、今この瞬間に燻っていた全てが報われると信じている。シーナさえもが息を飲んでカイザスモーンの言葉を待った。
「無理だ。魔法と神秘は似たようなもので違うもんだ。言っただろう? 神秘を開花させるにはルヴァの血が流れていないとな」
床に重々しい魔法使いの絶望そのものが落ちたかのように、硝子の杯が落ちる音がした。




