Episode-29
神にも悪意があるのかと思わせる吹雪の終わりは唐突だった。まるで藪の中を歩いていたら、平地に出たかのように吹雪から抜け出した。二人が振り向いて見上げた先、ほんの数歩で近づけてしまう距離から、越えてきた頂上までを吹雪が渦巻いて隠している。
「なんて、不吉な吹雪だ。こんなもの、ありえない」魔法使いは唖然としている。
確かにこれは、恐ろしい。シーナも恐怖から息を震わせた。
「だが、これを見て唯一希望を持つとすれば、こんな想像を超える気象は自然とは別の何かの作用を受けているのかもしれん。もしかしたら、魔法にも似た神秘という技の仕業かもな。王の先祖の話も、もしかしたら本当かもしれん」
二人は少し下った所に突き出た岩の上で小休憩をとった。湯を沸かす時間にも満たないほんの少し前までは、日差しの刺さる快晴が広がるこの景色を信じることはできなかったであろう。
二人は、吹雪渦巻く混沌とした頂上の方を、まるで目を離せば追ってくるのではないかと不安そうに見ていた。だが、唐突に魔法使いが笑い始めた。それは小さな笑い声から、酒場で面白いことがあったかのような笑いに変わり、ついには頭をのけぞらせて豪快に笑った。
シーナも、最初は怪訝な表情で魔法使いのようすを見ていたが、たまらずつられて笑った。二人とも何がおかしいのかもわからないまま、涙を滲ませて腹が痛くなるほど笑った。魔法使いが水を飲もうと皮袋を取り出して笑いは終息に向かったが、石のように凍っているのを見てさらに笑い転げた。その笑いを止めたのは、大した風もないのに滑り落ちていく雪だった。二人はその雪を見ると、涙を滲ませて余韻を味わいながらも、自然の顎の中にいることを思い出し、鋭い目で広がる斜面を見やった。
「雪崩でも起こったらたまったものではないな。ふぅ……。こんなに笑ったのは久しぶりだ。いつだったかも記憶にない。おかげで腹が痛い」
「わたしもです」
くすくすと再び笑うと、二人は荷物を背負い直し畝状になっているデウリエ山脈の最後の峰を越えるために、山を下り始めた。
天候にも恵まれ、先ほどの峰が辛過ぎたおかげか、慎重に足場を選ぶだけで難なくやり過ごせた。見過ごすことができなくなってきたのは空腹だけだったが、お互い抜かりなく進んだため、愚痴をこぼすこともなかった。
波のように連なったデウリエ山脈の最後の一つを越えた先に広がっていたのは、北へと伸びる二本の連峰に挟まれた高原だった。腰ほどの高さしかない針葉樹がそこかしこに生えていて、白と黒の二色しかなかった大地に命の色をそえている。
シーナは白と黒ではないその景色を目にした時、初雪の降り始めに出会った時に湧き上がる、なんとも言えない喜びと期待感に似た衝動に心をはずませた。魔法使いもシーナの湧き上がる喜びに応えるように笑顔に滲ませてシーナを振り返った。
「ここが、審判の地アルビテルだ。文献通りならな。久々に雪の上で寝なくてすむぞ。石を少し積み上げれば風よけになるし、暖をとるための木には困らない。今夜はぐっすり眠れそうだ」
シーナは休息の時間を想像して笑顔を見せると、日差しに手をかざした。
「日が落ちる前にはたどり着けそうですね」
ほどなくして二人は高原に降り立ち、低木の針葉樹の中を巨人のような気分で優雅に歩いていた。高原の雪は溶けたのか地面は岩と礫で覆われ、その間から低木の針葉樹が数本ずつ生えて、小さな木立を点々と作り出している。
右手の東に位置する連峰を、日の光が冷たい黄金に染め上げ、左手の西の連峰は太陽を背にしているために影が落ち、寡黙な門番のような雰囲気を醸している。
シーナは飛翔する矢のように北を見据えた。高原は、北のほうで左右の連峰が繋がっているため、楕円形を半分にしたような形をしている。あの北の山を越えれば、新たな世界がわたしを待っている。
風の音と針葉樹が揺れる音、大地に足を踏み出す度に鳴る荷物の金具の音、砂利の音以外は隠れてしまったのか、とても静かな時間を二人は歩き続けた。だが、そんな中絶えず騒がしく、それでいて一切物音を立てないものもあった。シーナの頭の中だ。彼女のせわしなく回る思考は魔法のことで頭がいっぱいだった。死の間際で抱いた、自分の運命を生き抜いてみせるという信念が、シーナに活力を漲らせていた。
「どの辺でご飯にしますか?」と、それほど歩いていないのに、『魔の書』を読む時間が恋しいあまりに、前を歩く魔法使いの背に声を投げた。
魔法使いは意地悪い笑みとともに振り返ると、「東の山が暗くなったらだ」と返し、短く笑った。
シーナは、右手の山が黄金に染め上げられている頂上から中腹までを見て、日が落ちるまでにもう少しかかることを予想すると、あからさまに肩を落として見せた。
「ほら、いくぞ。今日の飯当番は私がやろう。嬢ちゃんは本でも読んでいるがいい」と、魔法使いはシーナの心中を察したのかそう言うと、散策するように軽い足取りで歩き続けた。
シーナは紅茶のほのかな香りを楽しむかのように満足気に小さく微笑むと、荷物の肩掛けを整えて魔法使いの後を追った。




