Episode-28
魔法使いよりも十歩ほど後ろで、シーナの心は折れかけていた。
体の……。感覚が……。ない。
目の前に手をかざすことすらできない状態にまで追い込まれ、目の前にあった魔法使いの足跡が雪に埋もれていくのを見つめた。同じように自分の命も消えるのだと。
あぁ、眠い。駄目……だわ。足が、体が、瞼が、重い。
諦めかけ、旅の記憶を思い返していた。せめて最後はいい思い出をと、脳裏を駆け巡る記憶は幸せだった。
――全ての元は、信念だ。
シーナは魔法使いの言葉を思い出し、己をここまで導いてくれた魔法使いと自然の美しさに涙しそうになった。だが、もう体が動かない。どうすればいいのかわからない。
突如、風が無くなった。一瞬だったが、いきなりどこかの部屋に入ったかのように風が無くなり音も聞こえなくなった。自分の呼吸と弱い鼓動だけを感じる。気づいたらシーナは前のめりに倒れていた。シーナは悟った。死んでしまったんだ。
しばらく倒れたまま途方にくれた。何かの物語の中では、死んだ後は灼熱の世界に放り込まれ、そこで見るも恐ろしい魔王に魂の選別をされ、悪いものは食われて魔王の胃の中で未来永劫苦しむと言われている。他には、魂は肉体を離れて動物の体に取り憑いて生きながらえるというのもあったが、これは嘘だろう。動物にだって魂はあるし、話せないだけで感情もあるのだ。そう、ある。あの頃、宮殿の庭で感じていた自然のささやきや、感じていたものが幻想でなければ。
またある本では、魂は〈紅の王〉と呼ばれる北に聳える天を貫く大山の麓に導かれるなんていう話もあった。でもどれも違う。死んだ場所――もう駄目だと諦め投げ捨てた場所で苦しみと虚無が永遠と続くのだ。今、わたしはそこにいるんだわ。
そのとき、前方から雪を掻き分けて進んでくる音が聞こえた。そうだ、もう一つお話があった〈死神と男〉の話だ。その死神は特別な大鎌で魂だけを体から切り取るという。今聞こえてくる足音はあの物語に出てくるような魂を蒐集している死神だろうか? あり得る話かもしれない。魔法という不可思議な力がある以上、死神はいないなんて言い切れるだろうか?
足音がどんどん近づいてくる。迎えにくる死神も雪の中を歩かなければならないなんて大変だなと頭のどこかで水面ではじける泡のように小さく考えた。だがそんな思考は生きたいと思う一心の弱い炎にかき消される。
死神が、頭の前で止まった。見上げる気力もない。物語通りなら、それはそれは大きな鎌を持っているはずだ。生きたいのなら死神に睨みの一つでも送るべきだわ。そう思いながらも顔も動かない。ただ頭を動かして睨みつける信念も強さもないなんて。わたしは死んで当然だわ。
シーナは自分に対する悔しさだけを胸に秘めて死神の鎌を待った。だが死神は、シーナの肩をむんずと掴んだ。
大きな手だ。続いてシーナは肩を揺さぶられた。きっと生きているのを確認してから鎌で首を切って首から魂を抜くつもりなんだわ! シーナはせめてでも抗おうと目を瞠いた。 せめて死から逃げないで睨んでやるわ!
「おい、おい! 嬢ちゃん! シーナ! 寝るな!」
シーナは顔を上げた。上がったことにも驚いたが、それ以上に死神はこんなにも生々しい人間の声をしているのかと仰天したからだ。だが、髭を凍らしたとんがり帽子の魔法使いだとわかると、感情よりも先に涙が滲み一筋の涙が頬をつたう前に凍るやいなや、どっと安堵の涙を零した。
――わたしは、生きている。生きている!
これほどの強い安らぎに、魂を震わせないはずがなかった。何に感謝をしているのかもわからないまま感謝し、声をあげて泣いた。
「あぁ! 師よ! わたしは生きている。あぁ!」
魔法使いはシーナを立たせると、しゃくり泣くシーナを揺さぶった。
「諦めるな! 時間がない! 私の魔法もそう長くはもたん! おい! 聞いているのか? 乗り越えろ! 向き合え! 自分が選んだ運命だろう、責任をもって生きろ!」
魔法使いは、風の障壁すらも通り越してくる吹雪に負けないように叫ぶと、泣き続けて何を言っているかもわからないシーナの頬をひっぱたいた。毛皮で覆っているために痛くはないはずだったが、シーナはぴしゃりと泣くのをやめ、芯のある強い眼差しを魔法使いに向けた。
「いいか! この吹雪は普通じゃない! とにかく今は歩け! いつまでもつか私にもわからん!」
シーナは真っ赤になった目と、力強い頷きで意を示す。魔法使いと共に力強く歩み始めた。
自分で選んだ運命に、責任をもって……生きる! シーナの涙は凍ったが、それはくじけることのない熱を宿していた。




