Episode-27
夜の寒さは身も心も凍らせた。潰された希望が残す残滓のような、生きることを半ば諦めた時にも似た億劫さが、口を鉛さながらに重くさせ、前を歩く魔法使いとシーナの間には必要なことだけを伝える声だけが飛び、それさえも乾いた風たちが玩具をとりあうようにしてさらっていった。
シーナは吹きすさぶ風に心が折れかけていた。ふと、どうしてこんな旅しているんだろう。あったかい湯に頭まで浸かってのぼせてしまいたい――そんなことが頭をよぎっては、村を出たときの喜びで拭ったが、雨の降る中で床を拭くようなもので、気づけば、なぜ? と自問していた。
それでも情けない心だけではなかった。容赦ない自然を感じていた。吹きすさぶ鋭い風は、シーナが今まで纏ってきた運命に対する怒りや憎しみといった衣をたやすく切り裂き、等身大の自分を思い知らしめる。その無垢な心は圧倒的な自然の力の前に、己を呑み込まんとしていた負の感情がどれほどちっぽけなものなのかを理解し感じさせていた。そして概念という人が創った哀れで小さな箱へ到底入りきらない大きなものをもつ自然の偉大さに心を震わせ涙した。それは悲しみや喜びの涙ではなく、敬嘆、安息、感謝、畏怖、それらを混ぜこぜにしたものだ。こうしてシーナの心は自然の力に揉まれていくうちに深まっていき、己が俗世で身に纏ったやりどころのない憎悪や怒りを俯瞰できるようになった。
シーナと魔法使いは黙々と北を目指して日を跨いでいった。シーナは足の裏や側面にできた水ぶくれの痛みをこらえながら歩き続けた。魔法使いはシーナを気遣い歩く速さを抑えたが、シーナには気休めにもならなかった。だが、二人は口論することもなく、互いを気遣い歩を進めていった。シーナは怒りで自らを焚き付けなくとも、指環の魔法が使えるようになった。
やがて、吹雪が二人を襲うようになった。前かがみになって歩かなければならないほどの傾斜を、縄でお互いの体を結んで岩と雪だけの山腹を登り始めた。ついにデウリエ山脈に入ったのだ。
雪面は太陽に照らされ光によって距離も曖昧に感じられ、どこがどこだかもわからない。シーナは肌を貫く銀の光から肌を守るために、顔には布を巻き、必死に魔法使いの足跡を見て追いかけ、時折背中を見るために顔を上げては、とんがり帽子をかぶり、杖を持つ姿を見て安堵した。
ここまでの環境になると、歩きながらの読書は無理だった。その上、魔法を使うと頭が疲れて集中力が落ち、ひどい時は体を酷使していないのに畑を耕した後のように動けなくなることもあるため、指環も使わなかった。
心もとない食料を節約しつつ、何日も歩き続けた。吹雪に襲われるのは毎夜のことで、その度に魔法使いが魔法を使って土人ならぬ雪人に雪を使った半球状の簡易的だが心強い室を造った。
魔法使いの魔法なくして歩くことも不可能な吹雪に出会うこともあった。それは三つ目の最も高い山脈を越えようとしていた時だった。頂上は何日も雲で覆われ、その頂がどこにあるのかさえ想像するのが難しいほどの悪天候を纏っていた。吹雪が止むまで待つ話も出たが、二人は議論することもなくそれを諦めた。いつ止むかもわからない、食料もあとわずか……。もう時間がなかった。二人は意を決して進むことにした。それがもはや捨てる物も無くなった最低限の身なりで死へと飛び込むようなものであってもだ。
吹雪の中を歩むのは容易ではない。目の前にかざした手の先すら見えない中、腰まで積もった雪道を、確実に一歩ずつ進んでいく。寒さを感じる以外の五感は全く意味をなさなかった。一歩一歩進み続ける瞬間にも体に雪が積もっていく。
魔法使いは杖を両手で持ち、下を向いて吹雪に真正面から挑んで進み続けた。時折後ろを振り返るが、振り返ったところで何も見えはしない。体に結わえた縄が適度な緩みを保ち続けていることだけが、シーナの存在を教えていた。だが不安は絶えず、やがて縄が張り詰めた。魔法使いの心を寒さ以上に冷たいものがかすめていく。シーナが足を止めたのだ。
魔法使いは吹雪にかき消されながらも怒号をあげて魔法を発動させた。杖に自分の体が流れ込んでいってしまう感覚を感じるほどに、ありったけの精神を研ぎ澄ませ魔力を送った。宝珠が翡翠色を帯びたかと思うと、魔法使いを中心に風が渦巻いた。その風は半球状に広がって拡大し、やがて大きさが定まると風の壁を生み出した。魔法使いは体に力が入らず、前のめりに倒れそうになった――命を奪わせてたまるか……。一つの未来を二度と、奪わせて、たまるか! 魔法使いは風前の灯火の信念をかき集め、雄叫びをあげて踏ん張った。




