Episode-25
まさかこんなことになるなんて……。
殺さなかったことを後悔する――リークはジェミーの言葉を思い出し、喉の奥で絡みつく嫌な後悔を味わっていた。
自由都市ニルニアを出てまだ陽が昇りきっていない頃の南の森の中を歩いているリークの周りには、ジェミーの他に十六人はいる。そのほとんどが薄汚れた服を着ていた。幅の広いズボンを長靴の中にたくしこんでいる者もいれば、丈の短い革靴にたくしこまずにだらしなくそのまま履いている者もいる。数人が着ている革のベストは日に焼けて白っぽくなっていたり、手入れを知らないのか割れてしまっている。
そんな男たちの中にいる一人をちらりと見たリークは物憂げに息をついた。その男は二日前に自由都市ニルニアの東の街の中にある宿〈踊る肉と女〉の店主バリムに頼まれて拳闘賭博で闘った相手だった。
「あいつ、まだ俺のことを見てる」リークは信じられないといった様子で隣を歩くジェミーに話しかけた。
「ドーンはあまり話さない奴だ。目か拳か唸ることで感情を伝える」ジェミーは〝生き物は食べ物を食べる〟と言わんばかりに平然と言った。
数時間街道沿いに歩くと、やがて小さな村が見えてきた。
村の前まで来ると、バードンは歯を見せて不気味な笑みを作り盗賊達を振り返った。数人の盗賊達はバードンに応えるように暴力的な笑みを浮かべ、腰に差してある短剣や斧を手に持った。他の数人は渋い顔をしながらも仕方なくといった様子で武器を手に取り、誰かが止めてくれないかと期待するような目をあちこちに向けていた。そのほとんどがジェミーに向けられたものだったが、ジェミーは武器を抜くこともしなければ、誰かを止める様子も見せずに岩のように静観している。
盗賊達は村の外に張り巡らされた細い丸太の柵を乗り越えて村の中に入って行った。民家の陰を堂々と、それでいて音を立てずに進んでいく。
リークはジェミーを睨みつけるような視線を送った。止めてくれるのを期待していた盗賊たちも仕方なくバードンについて行ってしまっている。ジェミーはリークの視線を真っ直ぐと受け止めながら剣を抜いた。
「変な真似は考えるな。騒動に乗じて誰かを殺せば村人の中から犯人探しが始まる。犯人が見つかるまで一人ずつ――」
「わかってる……! だけど何もしないなんて!」
二人は小声で素早く言い交わすと武器を手に柵を乗り越え村の中へ入って行った。
村の中は日常の静かさを漂わせていた。家畜を移動させる細い枝を持った若い女、民家の一つ一つが所有する小さな畑で草取りをする男や夫婦らしき者達。数軒の玄関先に痩せた焦茶色の犬が繋がれている。ほとんどが耳を垂らして顎を前足にのせ目を瞑っている。だがそのうちの一匹が盗賊たちの隠れている民家の方に向かって吠えた。と、同時に女の悲鳴が上がった。
リークは悲鳴のした方へ急いで向かった。リークの前を歩くジェミーも早足だ。村の中に何事か確認し合う気の張った声が飛び交い始め、騒がしくなった。荒げる男の声と犬の吠え声が響き、村の中は一層騒がしくなった。リークとジェミーが民家の陰から滑り出て目にしたのは、背中を斬られ血を流しながら玄関前の地面に伏せる若い男だった。
リークは若い男が手に肉断ち包丁を持ったまま血を流し土の地面に倒れているその姿を見て怒りをつのらせた。その横では口を押さえられ、涙と怒りで目を赤く腫らし盗賊に覆い被さられながらも必死に抵抗する若い女がいる。
リークは咄嗟に刃を翻し、盗賊の背中を斬り払おうとしたが、その手をジェミーが握り、刃は盗賊の背中に当たる前に止められた。リークは怒りに染まった抗議の目でジェミーを睨んだ。ジェミーは小さく首を横に振ると村の広場の方へ目をやった。リークもそちらの方を見ると、そこには鍬や土のついた鋤を持って烈火の形相で走り寄って来る村の男達の姿があった。
リークとジェミーは鍬や鋤を手に襲いかかって来る男達の攻撃を受け流すと、腹や鳩尾を蹴り上げ動けなくさせた。ジェミーは迷いなく次々と村人に打撃を加え行動不能にしてゆく。
村の中は殺戮の嵐に蹂躙されていた。
二人の村人が逃げる背中を盗賊に斬られ地面に転がった。バードンは狂気に悦びの笑みを浮かべ村の男を切り倒していく。リークは歯を食いしばった。どうすれば!
リークのほんの数歩先で盗賊と村の男が戦っていた。村の男は棍棒を持ち、短剣を持った盗賊に振りかぶる。盗賊は歯を剥き出しにして間一髪で躱した。村の男の振りが遅くなる。額には汗が滴り、顔には疲労から不安が浮き出ている。盗賊が目を見ひらき鋭い息を吐きながら一歩踏み込んだ。村の男は苦痛の叫びとともに棍棒を取り落とした。手首から大量の血が流れ出ている。盗賊は笑い声をあげながら村の男の胸めがけて短剣を突き刺した。リークはその盗賊の後ろから剣を突き刺そうと剣を繰り出す。だが、手首まで痺れるほどの強さで横から剣を叩き落とされた。剣を叩き落としてきたのはジェミーだった。その顔は押し殺した怒りがにじみ出ている。
ジェミーは飛ぶように走りバードンに近づくと、バードンが振り下ろそうとしていた片刃の剣に自らの剣を当てて受け止めた。
バードンは歯を剥き出し、目を獣のようにぎらつかせてジェミーに斬りかかった。ジェミーはそれを受け流しつつ反撃に転じ、バードンもそれに応じた。二人は数回斬り結んだ末に距離を置いた。
「お前ってやつは本当に目障りだな。ちょっと遊んだだけだろうよ。……やめだ」
二人の剣の打ち合いを見た盗賊達は既に暴力の手を止めていた。村人達も武器と言えぬ武器を握り恐怖に肩を聳やかし辺りを窺っている。ジェミーが周りの村人に目を走らせながら大声で言った。
「もう抵抗はやめろ! 私たちの遊びは終わった。命は奪わん! だがお前たちが戦うというならば来るがいい! 遊びを終わらせてやる!」
バードンは鼻で笑うと、怖気づいて腰を抜かしている村人の服で片刃の剣を拭き鞘におさめた。
静まり返った中、最初の悲鳴を上げた女がいた民家から盗賊が出てきた。何事かと言わんばかりに目をきょろきょろとさせて顔は満足そうに紅潮し、腰の帯を締め直している。民家の玄関先で最初に切り倒された包丁を手に持ったまま若い男の死体を跨ぐと、盗賊は鼻を掻きながら口を開こうとした。盗賊の背後――民家の中から一人の人影が出てきたかと思うと、盗賊は苦痛の悲鳴を上げて地面に倒れこんだ。その背中には小刀が突き刺さっていた。
盗賊の背後に立つ老人は、長い白髪に灰色と白い髭を蓄え、左の目の上と口を腫らしていた。
「わしの……わしの……息子を。よくも」
老人は目を真っ赤にさせ、唾を垂らしながら一人の盗賊に斬りかかった。盗賊は老人の動きが遅いことを笑いながら、尻を蹴り上げた。盗賊たちの間で笑いが起き上がり、数人が近づいて老人をからかった。老人は震える手に持った頼りない小刀に全ての怒りを乗せて何度も斬りかかり、目を血走らせて周りを睨みつけた。
リークは途方もなく深く膨張していく怒りに剣を持つ手を震わせた。一握りも残っていない理性を殺すかの如く絹のように細い深呼吸をすると、バードンを見据え剣を握り直した。こいつさえいなければ。
リークはバードンに近づこうと足を踏み出した。その、時後ろで老人の呻き声が聞こえ、リークは首がちぎれる勢いで振り返った。
老人は地面に崩れ落ち、その傍らには老人の小刀を握ったジェミーが老人を見降ろしている。まさか、ジェミーは殺したのか? リークは口の中がからからに乾くのを感じた。
「終わりだ。武器をおさめろ。もう十分楽しんだだろう。やりすぎれば奪えるものを作る村が減ることになる。バードン、お前だってわかってるだろう? 砦で待ってる奴らを待たせすぎるのも問題になるぞ」
バードンはジェミーの言葉を鼻で一笑し、手を腰に当てて首を振った。
「もっともだ。だけどな、俺たちに抵抗するのは気に食わねぇ。その老人にわからせないと気がすまねぇんだよ」バードンはぎらついた目を村人たちに向けた。
「いいかお前ら! お前たちを残らずに殺すことも家畜のように扱うことだってできる。だがそれはやらねぇ。俺たちが来たら要求分のものを黙って差し出せばいい。それだけだ。お前たちがそれを忘れないようにさせてやらなきゃならない。おい、ドーン」
バードンはドーンに顎を使って倒れる老人を指した。ドーンは大股で動かない老人に近づいてゆく。ジェミーの握った剣がわずかに揺れたのを見て、ドーンは顔を顰めて立ち止まり、ゆっくりと腰の剣を抜いた。ドーンと睨み合ったジェミーはリークにしか読み取れない程のほんのわずかな不満の色を浮かべたが、剣を腰におさめて二歩後ろへ下がった。ドーンの指図によって、細身で前歯のない盗賊が民家の戸口に置いてあった小ぶりの切り株の椅子を転がして持って来ると、ドーンは老人の体を持ち上げて老人の右手を切り株の上に載せた。バードンが近づいてゆく。
リークは老人が身じろぎし呻き声を洩らしたのを聞いて安心するように息を吐いた。それでも安心しきることはできない。バードンは何をする気だ? リークはジェミーに疑問の目を送ったが、ジェミーは老人だけを見ている。
バードンは老人に近づく途中で一人の盗賊の腰に差さった小ぶりの手斧を手に持った。
まさか……。
リークは喉がへばりついて唾も飲み込めない。
バードンは切り株に載せられた老人の右手を広げた。
「いいか? よーく見ておけよ。次に俺たちが――」
手斧を真っ直ぐと振り下ろした。老人の悲鳴と共に親指が落ちる。
「来た時に――」
手斧が鈍い音を立てて老人の人差し指を断つ。
「少しでも抵抗したら――」
振り下ろされる斧に、老人は絶望と悲痛に足と体をばたつかせて叫んだ。
「こうやって――」
村人の女が震える手で口元を覆い涙を流した。
「一人ずつわからせてやる。覚えておけよ」
バードンは五回手斧を振り終えると、満足そうに獰猛な笑みを浮かべて村人の一人一人を見回した。手斧を投げ返すと、老人を地面に蹴り倒した。切り株には指が五本。老人は右手の手首を強く握り戦慄いている。
俺は何をしているんだ? なぜ動けなかった? 自らを犠牲にしてでも老人を助けるべきだった。俺は……俺は〈黒銀〉だ。〝闇に生きる小さな輝き、希望を与え闇を切り裂かん〟これが俺たちだ。希望も与えず闇である悪に対峙してもいないのに〈黒銀〉なんて笑わせるな。
リークは村人たちに目をやった。夫婦で肩を抱き寄せて恐怖に涙を流す者、地面に腰を抜かしただ涙を流す者、母親の前掛けに顔を埋めて戦慄く子供と紙のように軽く薄い今にも破れそうな勇気を出して子供の背を撫でる母親。そして老人の指を失った痛みと怒り、絶望にまみれた鳴き声。
俺はなんとしてでも止める。この盗賊団を壊滅させてみせる。
リークは静かな山の下に脈々と流れる岩漿のように怒りと信念を練り上げ、盗賊の一人一人を目に焼き付けた。
俺はこいつらを〝なんとしてでも〟葬ってみせる。




