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Belief of Soul〜繋ぐ者達〜  作者: 彗暉
第1章
17/75

Episode-17

 リークは〈踊る肉と女〉に顔を向けた。交差点の一角に構えたその店は焦茶色の木造の二階建てで、二階には格子の硝子窓のついた部屋がいくつも並んでいる。二階には一つの部屋の明かりがカーテン越しに見られる。まだこの時間帯に部屋に上がるやつはいない。

 幅の広い緑色の両開きの扉の上に小さな看板がぶら下がっている。肉断ち包丁を持った女人と二本足で立った豚が向き合った絵だ。扉を開けると喧騒と生暖かい酒精の空気が目に見える壁のように押し寄せてきた。

 広い酒場は満員だ。何人もの給仕の女が戦場にいるように険しい顔で盆に飲み物を入れた木の酒杯や、焼いた厚切りの肉を載せて駆け回っている。よくもまぁこぼさずに運ぶものだと見るたびに感心する。

 客は染められていない亜麻や綿の上着に綿のズボン、泥のついた長靴や編み込みの質素な靴を履いたもの達が大勢いる。騒がしい陽気な民謡音楽〝女が欲しけりゃ豚になれ〟を奏でる音楽師達が部屋の一角で絶え間なく曲を奏でている。金属の細い線を数十本張った木製の楽器で小刻みに拍子をとり、横笛奏者が陽気な音色を奏で、打楽器奏者が皮を張った小さな太鼓で早い拍を打っている。思わず足踏みを踏みたくなり、手近な女を踊りに誘いたくなるような曲だ。

 街の男どもが全員集まったような熱気が立ち込める中をリークは進んでいき、〈夢見る魚〉の三倍はある長さの仕切り台に向かっていった。仕切り台の止まり木はほとんど埋まっている。静かに酒を飲む者も杯に指を打って音楽にのっている。

 仕切り台の向こう側にいる体格の良い店主のバリムが一瞬リークに視線を走らせ、リークが仕切り台に到達すると同時に酒杯を仕切り台の上に置いた。

 この〈踊る肉と女〉では最初の一杯はニャックと相場が決まっていた。もっとも一般的な酒で、青い果実を用いたこの酒は蒸留酒の中でも王道と言えるものだった。

 リークとしては酒ではなく水でもよかったのだが、酒場には酒場なりの決まりがある。リークは銅貨を二枚ポケットから出してバリムに渡そうと仕切り台の向こう側に手を伸ばした。だがバリムは顔を顰めてそれを受け取らなかった。

 バリムは硝子の酒杯を磨いていた手を止めて仕切り台に両手を突き身を乗り出してきた。何やら話したいことがあるようだ。リークは眉を上げて楽しそうな笑みを浮かべてバリムに耳を貸した。


「久しぶりだな! お前は〝明日も来る〟と言って平気で二星間はこないんだからな。そのやる気のない目に会いたかったぞ。そんでだ、その銅貨を受け取ってもいいが、それを渡さずに儲けられる話があるぞ、リーク」


 リークはバリムが何を言いたいのか理解して顎を掻きながら申し訳なさそうに眉を下げた。


「悪いなぁ親方。今日はそんな気分じゃないんだ」


 バリムは唇を湿らすと真剣な眼差しで食い下がった。


「悪い話じゃない。今夜はボロ負けなんだ。どうにかして取り返さないと、給仕の一つ星分の給料が払えない」


「そりゃ大変なことだな」リークは爪の間を眺めながら考えた。今日はあまり目立ちたくはなかったんだけどな。だいたい、人に会いにきたわけだしな。


「悪いなぁ親方。今日はできない」


「頼む。もしも勝ってくれたら今季、いや、風の季もお前だけタダにしてやる」


「おいおい、あんたの首を繋ぐくらい重要なことなんだろう? 報酬がそれだけならやる気も起きないな」


 バリムは唸った。リークはバリムの丸っこい拳を見ていやらしく微笑んだ。


「昔みたいに親方自身で戦えばいいじゃないか」


 バリムは首を振った。


「もう何星期も戦ってない。手も柔らかくなっちまった。なぁ、損失分を引いた額から二割もやる。それと、一星期の間は飯も酒もタダにしてやる」


 リークはニャックを一口呷り酒場内を見渡した。器用に男達と卓上の間を料理を載せた盆を持ちながら動き回る給仕の女が六人。大抵の給仕の一つ星の給料は、銀貨十五枚程だ。日に換算すると銅貨五枚程。河港で働く人夫と同じようなものだ。ここの酒場はもう少し高いかもしれない。


「うーん。あの可愛い給仕ちゃん達の何人が路頭に迷うんだ?」


「二人ぐらいだろうな」


「ほー。幾ら負けてるんだ?」


 リークが横目でバリムを見た。バリムは唇に力を入れながら背筋を伸ばした。


「四十負けてる」


 リークは悪戯な笑みを浮かべながらニャックに口をつけた。二口飲んでから、仮漆を塗装され綺麗な光沢と色合いをしている仕切り台の上に酒杯を勢いよく置くと、バリムに向き合った。


「幾ら賭けるつもりなんだ? 四十じゃ、俺に取り分なんてないもんな」


「もう五十くらいからしかあいつは賭ける気は無いそうだ。取り分も考えて八十賭ける」


「おいおい……」銀貨八十枚あったら、そこそこの宿場のいい部屋を一つの期の間貸し切れるぞ。リークは苦い笑いを浮かべた。


「なら四十儲かるわけだ。銀貨八枚が俺の懐に……って、たったの八万ニルしかないじゃないか。少ない気がするぞ。給仕の一人や二人失っても一つ星くらい越えられるだろ? それにたったの三十日くらいこの町ならやってけるさ。親方、今回は痛い教訓だと思って負けのままにしておいたらどうだ?」


「いいや…! 負けたままで終りたくない。あんなやつらに金を巻き上げられてたまるか」

 バリムの怒りを殺しきれずにいる表情を見てリークは薄ら笑いをやめた。


「なんだ? 親方を逆撫でするような輩なんて盗賊くらいだろう?」

 バリムは仕切り台に落としていた目に恐ろしい威圧を湛えてリークの目を見据えた。


「そうか……今、下にいる奴らは盗賊の奴らがいるんだな? だけどそいつらが自分から名乗ったとは思えないんだが」


「当たり前だろう。だが風貌でわかる。間違いない」


 リークはバリムの性分を知っていた。盗賊に深い恨みがあることも知っていた。そんな奴らが自分の築き上げたこの王国で甘い蜜をすすっているのが耐えられないのだろう。リークはやれやれと言った様子で銅貨をポケットに収めた。


「まぁ、嫌な客ってのは客からしても嫌なやつだからな。追っ払うついでに金子でも巻き上げてやろうじゃないか」

 バリムの目に入っていた力が拍子抜けするほどどこかへ行ってしまった。バリム自身リークが請け負うとは思わなかったらしい。


「それじゃあ受けてくれるんだな?」


「あぁ。いいか、タダだぞ? 最上級のニャックを一日何杯飲んでもタダだぞ?」


 バリムは困ったように歯を噛み合わせたが、渋々頷いた。


「よし。ならやろう」


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