第9話 これはどう見ても裏切りだ
それから数日が過ぎたが、事態は一ミリも動かなかった。
僕に与えられた任務は、SNS担当である。
とはいえ、やることは前と大して変わらない。
「十月二十六日生まれの転生者を探しています。マンテという名前に心当たりがある方は連絡ください」と投稿してみたが、返ってくるのは相変わらず、イタズラか、妄想を抱えている人たちからのメッセージばかりだった。
中には「私も転生者です。前世はドラゴンでした」という猛者もいた。ドラゴンの生まれ変わりとは、なかなか凝った設定だ。
「でさ、その新しいゲームが、時間溶けまくってやばいのよ」
僕がスマホの画面を見つめていると、隣の席から橋本がゲームの話を投げかけてきた。
「お前、ゲームばっかりしてて大丈夫か? もう少しで試験期間に入るぞ」
「だって家に帰っても、やることなくて暇なんだよ」
そこまで言ったところで、橋本の目が冷たく光った。
「……お前と違って彼女もいないしなあ」
怖い。あの日以来、勘違いされている。違うと言っても鼻で笑われるのだ。
「そこまで隠さなくても」と返される。
平坂は確かに美人だ。美人だけど、何というか存在に現実味がない。テレビの中の芸能人というか、遠い世界の住人みたいな、壁を感じてしまう。
中身が元魔王というのはさておき、趣味も、好きな食べ物も、どんなところに住んでいるかも、何も知らない。何も見せようとしないのだ。
そんな平坂が彼女? あり得ないだろう。あり得ないよ。あり得ない。……たぶん。
平坂からは、毎日のように進捗を尋ねるメッセージが届く。
既読をつけてから返信するまでの時間が、日に日に長くなっていた。
教室で顔を合わせるのも気まずい。だから今は、マンテ探しに集中したい。
「一応聞くけど、橋本の誕生日は何月?」
「え? 俺、来月だけど。何? お祝いしてくれんの?」
宮森さんと出会ったときに感じた、何かに引き寄せられているような感覚。
この感覚が正しいのであれば、マンテは思ったより近くにいるのかもしれない。
まさか橋本がマンテ……なんて展開を期待したが、違ったようだ。
「ファミレスで飯くらいおごってやるよ」
「贖罪のつもりか」
「だから違うって」
そんな会話をしつつも、僕と平坂が付き合っているだなんて、本当は橋本も思っていないのだろう。
なぜなら釣り合っていないからだ。二人の間のギャップがあればあるほど面白いから、いじってきているのだチクショウ。
レア度URの平坂と比べれば、僕なんてNだN。ノーマルかノーヴィスか知らないが、とにかく下の方。勇者の記憶があって、かろうじてRくらいか。
そこで考えるのを止めた。自分で自分を傷つけて、僕はもうボロボロだった。
*
その夜、僕は何かヒントになるのではないかと、「転生」や「生まれ変わり」といったキーワードについていろいろと調べていた。
そんな中、面白い記事を見つけた。
――戦士症候群。
八十年代に漫画やオカルト雑誌の影響で、そういうムーブメントが起こったらしい。
曰く、何者でもない若者が、何者かになるために、前世の記憶を作り上げるのだ。
そして、その記憶をたよりに仲間を集める。
オカルト雑誌には「前世の仲間を探しています」といった投稿があふれていたらしい。
とある人物によると、それは「アイデンティティーの自給自足」と評されていた。
なかなかに厳しい評価だと思う。
今の時代だと、SNSなどでも同じ現象が起きている。
過激なことをして動画を全世界に公開することで、他人に認められようとする。
戦士症候群が内向きのベクトルだったのに対し、こいつらはベクトルが外向きなのだ。いや、インターネットが外向きにさせてしまった。その結果、人様に迷惑をかけて、社会問題にまでなってしまっている。
よく考えてみると、僕がやったSNS投稿は、八十年代の自称戦士たちがやっていたことと同じではないか。
「アイデンティティーの自給自足」という言葉が突然自分に向けられた気がして、スマホをベッドへ放り投げた。
「にいちゃん、ここのボス強すぎ」
ノックもなしに入ってきた蒼真が、僕のベッドに腹ばいになって携帯ゲーム機を睨んでいる。自分の部屋でやれ、と何度言っても聞かない。
画面を覗き込むと、剣を構えた少年が、いかにも禍々しい格好をした何かと向かい合っていた。ファンタジーもののRPGらしい。
前世での戦いを思い出し、少し興味が湧いた。
「それ、どういう話なんだ」
蒼真が、驚いたように顔を上げた。
「にいちゃん、ゲームの話とか興味ないじゃん」
「まあ、なんとなく」
弟は待ってましたとばかりに、身を起こして喋り始めた。
「あのね、この世界には魔王ってのがいてさ。めちゃくちゃ悪いやつなの」
「ほう」
「村を焼くの。人間を家畜みたいに柵に入れて飼ってんの。あとお城の王様に呪いかけて、じわじわ苦しめて殺したんだよ。趣味で」
「……趣味で?」
「そう。趣味で。あとね、子どもをさらって兵隊にするんだよ。ひどくない?」
ひどすぎる。というかそれ、本当に小学生がやっていいやつなのか?
「で、その魔王を勇者が倒しに行くんだけど、今仲間集めしてるとこ」
蒼真は画面を掲げてみせた。少年の頭の上に、体力を示す数字が並んでいる。あんなものが見えたら、どれだけ楽だっただろう。
「まあでもさ」
弟は、ごく当たり前のことのように続けた。
「勇者がいなかったら、人類なんてとっくに滅んでるよね」
一瞬、心臓が跳ねた。
蒼真は僕の顔色になど気づかず、また画面に戻っていく。ぴこぴこと軽快な音が鳴っている。
落ち着け。
ゲームの魔王と、平坂は違う。分かっている。ダリューゼは人を家畜にしていないし、子どもをさらってもいない。……たぶん。少なくとも僕は、そういうことを聞いた覚えがなかった。
だが。
僕は、天井を見上げた。
僕は今、何をしている?
魔王を、元の世界に帰そうとしている。
勇者ユグレトが死んだ、あの世界に。
魔王を倒せる者が、もういない世界に。
背中に、冷たいものが走った。
考えてみれば当たり前の話だ。あの世界の人々は今ごろ、魔王が倒れたことを知って、喜んでいるはずだ。
何百年、いや、歴代の魔王との戦いを考えると、千数百年ぶりの平和を、噛みしめているはずだ。村を建て直し、畑を耕し、子どもに読み書きを教えているかもしれない。
その世界に、僕は魔王を送り返そうとしている。
しかも、よりによって、勇者だった僕の手で。
「……最悪だ」
思わず声に出た。蒼真が「なんか言った?」と顔を上げたので、なんでもない、と首を振る。
なぜ今まで、こんな単純なことに気づかなかったのだろう。
いや、分かっている。
あの喫茶店で、平坂に頼られた。二人だけが分かる話ができるのが、思いのほか嬉しかった。放課後の人探しなんていう、ちょっと探偵じみた真似が、それなりに面白かった。
クラスの連中に冷やかされるのも、正直、悪い気はしていなかった。あの平坂永遠と、自分だけが共有している秘密がある。自分が特別な人間になったような気がして、気持ちよかったのかもしれない。
何が元勇者だ。
前世の記憶があるだの、同い年の連中とは違うだのと、心のどこかで思っていたくせに。結局、綺麗な女に頼られて舞い上がっていただけじゃないか。
そう、僕はいい気になっていたのだ。
一度は世界を救った男が、たった数日で、その世界を売り渡す側に回っていた。
向こうの人たちからすれば、これはどう見ても――
裏切りだ。
スマホが震えた。
『進捗はどう?』
平坂からのメッセージだった。まるで監視でもされているかのようなタイミングで、「逃げられないぞ」と言われているようだった。
僕はしばらくそれを眺めてから、画面を伏せて、枕に顔を埋めた。




