↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/18

第10話 お前は、この世界で何をした

 七月の第二週。その日は朝から雨が降り続いていた。喫茶店の窓は、湿気で内側から白く曇っていた。

 店内は冷房が効いているはずなのに、湿った制服が背中に張りつき、快適とは言い難かった。


 いつもの一番奥のボックス席に、三人分の飲み物が並んでいる。

 僕のアイスコーヒー。平坂のアイスティー。そして宮森さんの、なんだか複雑な色をしたクリームソーダ。試作品だそうだ。


「では、報告会を始めましょう」

 平坂がそう言って、ノートを開いた。几帳面な字がびっしりと並んでいる。相変わらず、こういうところは真面目である。

「まず宮森さん。東高のほうは?」

「はい。同級生百四十六人のうち、百十九人に聞けました」

「すごいわね。どうやったの?」

「クラスを回って、順番に」

 平坂の眉が、わずかに動いた。

「……なんて聞いたの?」

「『あなた、十月二十六日生まれですか? あと、前世の記憶ってありますか?』って」

 僕はアイスコーヒーを吹きそうになった。

「ド直球すぎるだろ!」

「だって、遠回しに聞くと、よく分からなくなっちゃうので」

「学校でどう思われてるんだ君は」

「もともと不思議ちゃんキャラで通っているので、ノーダメージです!」

 彼女なりの処世術なのかもしれない。


「で、結果は?」

「十月二十六日生まれの人はいませんでした。あと、前世の記憶がある人は四人いました」

「いるのかよ!」

「はい。前世はナポレオンと、猫と、ドラゴンと、あと『言えない』でした」

 またドラゴンがいた。というか、僕にDMを送ってきたやつと同一人物では?


 平坂が額を押さえて、静かにペンを置いた。

「……不来方くん。あなたは?」


 来た。

 僕はグラスの水滴を指でなぞりながら、視線を落とした。

「……特に、なかった」

「投稿は?」

「した」

「何件来たの」

「えー……」


 正確に言えば、自分の裏切り行為に気づいた後も、数日おきに文面を変えながら投稿はしていた。

 だが、通知が来るたびに画面を伏せて、まともに開いていない。

 やらなければいけないのは分かっている。分かっているのに、指が動かなかった。

 見つけてしまったら、どうするんだ。そう思うと、どうしても手が止まる。

 一応の投稿は、平坂への言い訳用だ。どっちつかずの自分に嫌気がさした。


「不来方くん」

「……悪い。ちょっと、今週は忙しくて」

 我ながら、下手な嘘だった。平坂は数秒こちらを見ていたが、それ以上は追及せず、ノートに目を戻し、「そう」とだけ言った。

 追及されなかったことに、僕はほっとした。そのあと、テーブルに頭を打ち付けたくなった。


「じゃあ、私の報告をするわ」

 平坂は、ノートを一枚めくった。

 そこには、数字が並んでいた。

「蓬莱市の人口は、約十五万人。それで、十六年前の年間出生数を調べたの」

「調べられるのか、そんなもの」

「市の統計資料よ。図書館に普通に置いてあるわ」

 普通に置いてあるらしい。素直に感心した。


「あの年は年間で、およそ千二百人。日ごとの数字までは公表されていないから、単純に三百六十五で割ると――」

「一日あたり、三人ちょっとか」

「そう。理屈のうえでは、十月二十六日にこの市で生まれた子どもは、三人か四人しかいない」

 宮森さんが、クリームソーダのアイスをつつきながら目を丸くした。

「でもここに三人いますよ?」

「そう、仮に生まれたのが四人だったとしたら、私たちを除いた最後の一人が、マンテの可能性が高い」

「じゃあ、その人を調べれば」

 そこで平坂はため息をついた。

「と、思うでしょ。それが簡単そうで、とんでもなく高いハードルなのよ」

 平坂はペンの尻でノートを軽く叩いた。

「今は個人情報の扱いが厳しいの。市役所の職員なら調べられるのかもしれないけど、それを教えてくれる職員はいないでしょうね」

 そこで一度、言葉を切る。

「それに、可能性を追っていくとますます絶望的になる。……例えば、生まれた時間が少しずれたら、どうなると思う?」

 そう、それは僕も危惧していたことだった。

「……日付が変わるってことか」

「そう。夜中の一時に生まれた子と、二十三時に生まれた子。仮に同じ『瞬間』に転生していても、誕生日は一日ずれてしまうわ。だから前後一日ずつを範囲に入れるとして、それだけで対象は三倍」


 十人前後。僕たち三人を除けば一桁だ。まだ現実的な数に思える。

 そう思った僕の顔を見て、平坂は小さく首を振った。

「まだあるわよ。この街で生まれた子が、この街で育つとは限らない」

「あ」

「いわゆる里帰り出産ね。お母さんが実家に戻って出産するの。その場合、生まれた場所はこの市でも、育ってるのはこの市の外かもしれない。逆に、今この市に住んでいる子が、よその街で生まれている可能性もある」

 宮森さんが、うんうんと頷いている。分かっているのだろうか。

「そうなったら、もう追いきれない。全県……いえ、全国が対象になるもの」


 たしかに、そうだ。

 僕たちは、たまたま近くで生まれた。それを根拠に「近くにいるはずだ」と思い込んでいたが、それはあくまで僕たちがそうだったというだけの話でしかない。


「それにね」

 平坂は、そこでペンを置いた。

 いままでの事務的な口調とは、少し違う声だった。

「ここまで可能性を広げてみると、もっと根本的な問題にぶつかるの。私、ずっと考えていたんだけど……そもそも転生って、いつ起きたものなのかしら」

「え? どういうこと?」

「私たちがこの世界に来たのは、どの瞬間なの? 生まれ落ちた瞬間? それとも、お母さんのお腹の中にいるとき? 受精した瞬間? 着床した瞬間?」

「あの」

 宮森さんが、みるみる顔を赤くして手を挙げた。

「そういうお話は、その、ちょっと」

「なぜ? 医学の話よ」

「そうなんですけど、そうなんですけど……」

 平坂は不思議そうな顔をしていた。何百年もの間に、そのあたりの感覚はすり減ってしまうのだろうか。


「話を戻すわ。もし転生した瞬間が『受精のとき』だったら、どうなると思う?」

「……えっと」

「出産予定日なんて、人によって二週間や三週間はずれるのよ。同じ日に受精しても、生まれる日はバラバラ。つまり――」

 平坂はノートの上で、何かを塗りつぶした。

「誕生日という手がかりそのものが、意味を失う」

 雨の音が、急に大きく聞こえた。


 そうか。

 僕たち三人の誕生日がたまたま一緒だったということが、あの仮説の唯一の根拠だった。

 だがそれは、三人が「生まれ落ちる瞬間」に転生したことを意味しない。三人が同じ日に生まれたという、ただそれだけの事実にすぎない。

 同じ日に生まれたのだから同じ日に生まれた人を探そう、というのは、よく考えれば、何も証明していないのだ。


「そのシステムが分からない限り、この方法でこれ以上絞り込むのは難しいわね」

 平坂は、そう締めくくった。

 冷静すぎる声だった。


 ――今だ、と思った。

 たぶん、この二週間ずっと、僕はこの瞬間を待っていたのだと思う。


「なあ、平坂さん」

「何?」

「……もう、やめないか」

 宮森さんの、ストローをかき混ぜる音が止まった。


「今の話を総合すれば、行き詰まったってことだろ。誕生日でも駄目、SNSでも駄目、しらみつぶしも無理。そもそも転生の仕組みが分かってないんだから、仮に二人揃えたって、何が起こるかなんて誰にも分からない」

 言いながら、自分の口がやけに滑らかなのが気持ち悪かった。用意していた台詞だからだ。

「仮にマンテを探しだせたとして、その次に必要なのは魔法を使うことだぞ。それはもうこの世界の理を外れてる。人探しとは次元が変わってくる」

 平坂は表情を全く変えず、僕を見ていた。見透かされているようで、早口になるのを必死で抑えた。

「それに、うちは一応進学校だからさ、受験のことも考えないと。いつまでも――」

「やめないわ」

 平坂の返事は、即答だった。

「なんでだよ」

「なんで、ですって?」

「今の世界の、何が不満なんだ」


 言ってしまってから、しまった、と思った。

 だが、止まらなかった。二週間ぶんの澱が、勝手に押し出されてくる。

「学校があって、家があって、飯が食えて、雨に濡れなくて済む家がある。あんたなんか、お嬢様に生まれて、みんなにちやほやされて。前の世界に、それ以上の何があるんだよ。戦いの果てに心臓を貫かれて死んだんだぞ、あんたも僕も」


「……ほう。ならば聞くが」

 平坂の目の色が、変わった。

「お前は、この世界で何をした」

「は?」

「剣を捨て、正義も捨て、危険を避け、醒めた顔で一歩下がったところから世界を眺めておるだけの男が、なぜ知ったような口をきく」

「……なんだよ、それ」

「前世でもそうじゃったろう」

 平坂は、テーブルに身を乗り出した。

「勇者ユグレト。あやつはいつでも、自分が正しい側にいると信じて疑わなんだ。疑うということを知らぬ男じゃった。今のお前も同じじゃ。何ひとつ賭けておらぬ癖に、賢しらに『やめないか』と来おった」


 胸の中心を、十五年ぶりに貫かれた。

 言い返せなかった。

 言い返せない理由が、自分でも分かっていた。彼女の言っていることが、僕が自分に向けて考えていたことと、ほとんど同じだったからだ。


 僕が絞り出した次の言葉は、一番言ってはいけないことだった。

「……そうやって、人のことばかり言うんだな」

「なに?」

「僕は少なくとも、この世界で生きてる人間のことを考えてる。あんたは自分のことしか考えてないだろ!」


 平坂の表情が、すっと消えた。

「……そうね」

 低い声だった。

「私は、自分のことしか考えていない」

 グラスの氷が、からん、と音を立てた。

「悪かったわね。付き合わせて」


 しまった、と思った。

 僕が言いたかったのは、そんなことではない。いや、少なくともこんな言い方をしたかったわけではない。

 だが、謝るには、言った言葉が的確で鋭利すぎた。


 雨の音だけが、やけに大きい。

 何もできなかった。

 僕は自分のアイスコーヒーを見つめ、平坂は窓の外を見ていた。曇ったガラスの向こうは、何も見えないはずなのに。


「あの」

 どうしようもない沈黙の中で、宮森さんが声を上げた。

「再来週、うちの近くで夏祭りがあるんですけど」


 僕と平坂が、同時に彼女を見た。

「屋台がいっぱい出て、花火も上がるんです。うち、毎年お店休みにするので、その日は暇なんですよね」

 一体何の話をしているのだろう。

 この張り詰めた空気の中、この子だけが、まったく違う気候の中にいた。

「三人で行きませんか?」


 ――今もって、僕には分からない。

 あれが、僕たちを見かねて気を利かせたのか。それともいつも通り、何ひとつ空気を読んでいなかったのか。

 ただ、確かなことがひとつある。

 あのとき彼女がそう言わなければ、僕と平坂の関係は、たぶんあの雨の日で終わっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。