第6話 十月二十六日
「アル」
僕は、その名前を口の中で繰り返した。
確かに、魔王討伐の旅を共にした仲間の一人の名だ。
平坂によると、僕たちの転生の原因を作ってしまった要因の一つでもある。
思わず彼女の顔をまじまじと見てしまった。そばかすと丸眼鏡の、どこにでもいそうな女の子だった。
「……えっと。昨日の話、聞いてた?」
「はい。聞くつもりはなかったんですけど、その、声が大きかったので」
だろうね。返す言葉もない。
「一応言っておくけど、あれは、その、ごっこ遊びというか」
「そうなんですか。昨日は演劇部とか言ってましたよね」
おお、鋭い。平坂よ、早く来てくれ。僕はアドリブがきかない男なんだ。
確かに昨日は、平坂との会話の中でアルの名前を出した。
無関係の人間が、たまたま聞こえたその名前を使って、「私がアルです」なんてこと言うか普通?
となると、まさか本当にアルなのだろうか。
そんな偶然あるわけがない。
いや、昨日の平坂の話を総合すると、あり得るのか。いや、どうなんだ。
今まで考えたこともなかったが、もしも世間に転生者だとバレてしまったらどうなるのだろう。
精神病院か、はたまた人体実験か。
本当にこの子がアルの生まれ変わりだと確証が持てるまで、下手な事は言えない。
「ええと、じゃあ君はそのアル? って人の生まれ変わり? ってこと? 僕たちのはあくまで演劇の脚本上の話だけど、転生とか本当にあるんだねー。へー、そりゃすごいなー」
苦し紛れの言葉に、彼女は眼鏡を光らせながら続けた。
「さすがユグレト様、私を警戒して情報を与えないようにしていますね。……私が魔族ではないかと疑っているんですね?」
いや違う。会話がまるで噛み合わない。
「で、ではここで異世界クーイズ!」
僕は、SNSで偽物を選別するために用意していた質問を、いくつか投げてみることにした。
「あくまで脚本の話だけど」と頭に付けた上で、前世の世界にしか存在しない六本足の獣の名前。八割の建物が温泉の中に建っている街の名前。旅人であれば誰もが知っている歌のタイトルなどを質問してみた。
彼女はそのすべてに、おっとりと首をかしげてこう答えた。
「うーん……その辺はあんまり覚えてないですね……」
うん、そんな都合のいい記憶喪失があるか。九割九分他人だ。
と、ここで、まだまだ話したそうな彼女を一旦引き離すため、さらに最高の作戦を思いついた。
僕は目の前に置かれたアイスコーヒーを一気飲みした。
「あー、実はすごく喉乾いてて。おかわりもらえますか。次はホットで」
メニューを指さして注文すると、彼女はにっこりと笑って言った。
「承知しました。では後でゆっくりお話ししましょうね、ユグレト様」
そう言って、彼女は一度カウンターへ引っ込んでいった。
僕は椅子の背にもたれ、天井を仰ぐ。
なんだったんだ、今のは。
からかわれているのか、単に不思議な子なのか、それとも――いや、まさか。
*
カランカラン。
ベルが鳴った。
「不来方くん、待った?」
平坂だった。制服のまま、涼しい顔で向かいの席に滑り込んでくる。
「なんで疲れた顔をしているの」
「いやそれは後で話すけど……ちゃんと尾行は撒いてきたか?」
「笑顔で挨拶したらみんな大人しく解散してくれたわよ」
「怖っ」
僕は力業で撒いたというのに。
この老獪さ、さすがというべきか。
そこへ、ホットコーヒーを運んできた自称アルが、平坂を見てぴたりと足を止めた。
そして、深々と頭を下げた。
「ダリューゼさん、いらっしゃいませ」
平坂の眉が、ぴくりと動いた。
「……不来方くん。これは、いったいどういうことかしら」
「昨日の話、全部聞かれてた」
「……」
平坂が、無言で額を押さえる。ざまあみろ、と少しだけ思った。
「でね、彼女、アルの生まれ変わりなんだって」
「は? あのクソウザ赤髪女?」
もう素を隠す気もないらしい。
赤髪、と言われて思わず、テーブルにコーヒーを置く彼女の髪に目をやった。
赤毛、というほどではない。ただ、色素の薄いその茶色は、店の照明の下で見ると、たしかにわずかに赤みを帯びているようにも見えた。
……いや、考えすぎだろう。髪の色が薄い日本人なんていくらでもいるし、生まれ変わり前の身体的特徴を引き継ぐなんて理屈はない。
「まだ確証がないんだけど、どうしよう。……どうしたらいい?」
平坂は僕の顔をちらっと見ると、大きなため息をついた。
「情けない」って小さく聞こえた気がしたけど、聞こえないふりをした。
「女よ、貴様も転生者と申すか。ならば儂に確信させてみよ。己が前世の記憶、語ってみせるがよい」
平坂は大げさに手を振りかざし、王のような振る舞いで彼女に語り掛けた。
なるほど、あえて大げさにすることによって、演技っぽく見せているのだ。
これだと仮に彼女が転生者でなくても、言い訳はできる。
やだかっこいい。さっきから感心させられるばかりだ。
彼女はトレイを胸に抱え、しずかに、けれど確信に満ちた声で言った。
「私にも、前世の記憶があるんです。私は、勇者ユグレト様とともに魔王ダリューゼと戦った騎士――アルストロメリア=ロードランドレッドライトの生まれ変わりです」
僕と平坂は、ゆっくりと顔を見合わせた。
そして、僕は安堵のため息を吐き、平坂はくすりと笑った。
だって、そうだろう。
アルストロメリア。それは、この世界の花の名前だ。花屋の店先で、値札を付けられて売られている。前世の世界に、そんな名前の人間がいるわけがない。だって言語そのものが違うのだから。
しかも、苗字がロードランドレッドライトときた。どう考えても、この世界の英語由来のネーミングだ。
つまり、彼女の名前は、この世界の命名感覚だけで組み立てられている。
要するに、ただの中二病である。元々の妄想、自分なりの設定があった上で、たまたま僕たちの会話を聞いて、それらを結び付けてしまった、というところだろうか。
「えーと。そんな名前の仲間はいなかったなあ……」
「そもそも、あちらの文化圏には基本的に苗字なんてないわ」
平坂が続けた。
「みんなこの世界で言うところの下の名前だけ呼ばれているの。まあ一応、私の配下に数人、ちょっと特殊な少数民族の生き残りがいたけど、彼らは苗字というか、血統をあらわす言葉を名前の前に付けて名乗っていたわね」
余計なことを言うな、という僕の表情を読み取ってか「という設定よ。演劇の」と平坂は付け加えた。
「悪いけど、君の言ってるのは、たぶん……えーと」
彼女を傷つけないように、慎重に言葉を選ぶ必要がある。
コーヒーに砂糖とミルクを入れ、かき混ぜながら考える。
「ユグレト様」
笑われても全く動じなかった彼女が、不意に言った。
「前世でもよくそうやって、ディゼラにカポカのミルクとメナ糖を入れて飲んでましたよね」
コーヒースプーンを持つ手が止まった。
ディゼラとは向こうの世界でポピュラーな飲み物だ。ディゼという植物の実を乾燥させ、粉末状にして湯に溶かして飲む。
栄養満点で冒険者や労働者階級には人気だが、味が薄いので、カポカという家畜から採った濃いミルクと、メナという植物の花弁から抽出した糖を入れるのが普通だ。
なんでそれを?と言おうとしたが言葉にならない。
「ななな」
「不来方くん」
平坂が、僕の言葉を遮った。
その顔から、笑みが消えている。
「一応、聞いておこうかしら。あなた、誕生日はいつ?」
彼女は、きょとんとした顔で答えた。
「十月二十六日ですけど」
僕の手から、スプーンが滑り落ちた。
金属がソーサーに当たり、甲高い音が響く。
平坂は、何も言わなかった。
作りかけの微笑みが、口元で固まったまま動かない。
店内に、コーヒーの匂いだけが、やけに濃く漂っていた。




