第4話 誰かを守って死ぬ必要もない
「元の世界に戻りたいの。だから手伝って」
喫茶店での平坂の言葉が頭の中から離れず、自室のベッドの上で無為な時間を過ごしていた。
元の世界に戻りたい? 手伝え?
今の世界の方が余程いいと思うが。
街は綺麗で、誰でも教育を受けられて、武器を持たずとも暮らしていける。スマホもあるし。
文化レベルなんて比べ物にならないじゃないか。
今の日本に生まれついて、それでもなお元の世界がいいと言うのか。
やっぱり中身は魔族だから、感覚がまるで違うのか。
と言うか、そもそも戻ることが可能なのか。
ダメだ。頭がごちゃごちゃして考えがまとまらない。
机に向かい、今日聞いた内容をノートに書き出して、まとめてみることにした。
*
平坂が語った、異世界転生の原因。
魔王城の玉座の間での最終決戦で、実は裏でこんな事が起きていたらしい。
ダリューゼの爪がユグレトの心臓を貫いた瞬間、僕の仲間であったアル(平坂の言葉で言うところの、クソウザ魔法使いの赤髪女)が転移魔法を使った。
恐らく、最も近い人間の街へユグレトを転移させ、そこで治療させようとしたのだろう。
まあ心臓を一突きだからな。どちらにせよ無駄だったと思う。
ちなみに転移魔法と簡単に言っても、向こうの世界ではレア中のレア、超天才と言われたアルにしか扱えない、空間に干渉する秘術である。
同じタイミングで、ユグレトの剣はダリューゼの核を貫いていたが、それを見た魔王麾下の幹部である、邪法使いのナントカ(平坂はマンテ? とか何とか呼んでいた)がダリューゼに対し蘇生魔法を使った。
僕は知らなかったが、魔力に満ちた魔王の死は、身に溜め込んだ魔力を暴走させ、周囲を巻き込んで大爆発を起こす可能性があったらしい。
自分の身を守りたかったのか、単純に主を失いたくなかったのかは知る由もないが、マンテとやらはさぞ慌てたことだろう。
人類の転移魔法と魔族の蘇生魔法。ふたりの魔法は体系も別々で、全く互換性のないものだったが、奇跡的に絡み合い、転生魔法として発動してしまった。
別々の言語で書かれたプログラムを組み合わせ実行してみたら、一応は動いたけど予想外の挙動だった、ということだろうか。
そして僕たちはこの世界に生まれ変わった、と。
*
平坂は、同時に転生魔法を受けた者たちは、同じ日、同じ場所に生れ落ちるのではないかと予想した。だから僕の誕生日を聞いてきたのだ。
実際、平坂と僕は誕生日が同じ、十月二十六日だった。
家の場所も同じ蓬莱市内で、中学の時の校区こそ違えど、割と近いことが分かった。ひょっとしたら同じ産科病院で産まれた可能性もある。
転生の原因は分かった。
今までは原因なんてどうでもよかったし、こんなこと考えたこともなかった。
しかし、経緯が分かったところで元の世界に戻る方法が分かったわけではない。
ノートを投げ出し、再びベッドに飛び込んだ。
*
平坂と話ができた事は正直嬉しかった。まあ、あれだけの美人だし。
二人だけが分かる共通の話題っていうのも悪くない。
だけど、僕を呼び出した理由は、結局のところ元の世界に帰るための情報収集の一環なのだ。
そこまで考えて、僕はごろりと寝返りを打った。
利用されただけ、と言ってしまえばそれまでだ。分かっている。分かってはいるのだが、なんというか、地味に効いた。
……いや、利用も何も、こっちはまだ手伝うと返事すらしていないのだが。
「にいちゃん、まだ起きてるー?」
ノックもなしにドアが開いた。
弟の蒼真だった。小学五年生。最近は口の減らない生意気盛りだが、困ったときだけは妙に素直な顔をする。手にはタブレットと、丸まったプリントがあった。
「算数、教えて。百分率ってやつ」
「今、何時だと思ってんだ」
「まだ九時じゃん」
「それ、いつ提出の宿題だ」
「明日!」
堂々と宣言するな。
叱っても逆効果なのは、これまでの経験でよく分かっている。なにせこちらは、前世を含めればそこそこいい大人なのだ。魔王討伐の道中、仲間の無茶には散々付き合ってきた。弟の宿題くらい、どうということはない。
ため息をひとつついて、僕は体を起こした。
プリントを覗き込む。要するに、割合というものがまるで飲み込めていないらしい。
「蒼真の好きなポテチ、一袋に百枚入ってるとするだろ」
「そんな入ってないよ」
「たとえだよ。で、そのうち三十枚をお前が食った。全体の何割食べた?」
「……三割」
「それが三十パーセント。同じことを、言い方だけ変えてるだけだ」
蒼真の目が、ぱっと見開かれた。
「なんだ、そういうこと!」
「じゃあ二百枚入ってて、三割食べたとしたら、食べたのは何枚?」
「さ……ろく……? 六……六十枚だあ!」
覚醒したらしい。現金なもので、さっきまでの半泣きはどこへやら、猛烈な勢いで残りを解き始める。
その横顔を見ていたら、なんだか力が抜けた。
宿題提出の前日の夜に泣きついてくる弟がいて、一階からは「蒼真ー、お風呂ー」と母さんの声がして、冷蔵庫にはたぶん、明日の弁当のおかずが入っている。
これのどこに、不満があるだろう。
剣もいらない。魔法もいらない。誰かを守って死ぬ必要もない。
平坂は、こんな世界を捨ててまで、あの物騒な世界に帰りたいと言う。
やっぱり、僕には分からない。
「にいちゃん、ありがと!」
プリントとタブレットを抱えて、蒼真は嵐みたいに部屋を出ていった。
静かになった部屋で、僕はもう一度ベッドに沈む。
……分からない、はずなのに。
天井を見上げていると、気づけば僕は、テーブルを挟んで意地悪く笑う平坂の顔を思い出していた。
「儂じゃ儂、魔王ダリューゼじゃ」――あの、心底楽しそうな声も。
僕は鼻の頭を掻いて、寝返りを打つ。
くそ。あれだけコケにされておいて、何を思い出しているんだ、僕は。
手伝うべきなのか、断るべきか。
明日、学校で顔を合わせたら、何て言えばいいのだろう。どんな顔をすればいいのだろう。
難問が、胸の奥に残っていた。




