第23話 帰るために必要なもの
翌日、僕たちは四人で集まった。
平坂は僕や清春よりも先に来ていて、宮森さんと一時間ほど話をしていたらしい。
それを聞いてひやりとした。宮森さんの昨日の話からして、喧嘩になるようなことはないだろうと思ったけど、まさか昨日の今日で一対一で対峙していたとは。
だけど僕が店に入ったときの二人の表情は、とても穏やかなものだった。
恐らく平坂は謝ることはしなかっただろうし、宮森さんも許すだなんて言わなかっただろう。
平坂も宮森さんも、そのことについて何も言わなかった。ただ、早めに来て二人で話をしていたという事実だけを述べた。
二人は普通に飲み物を頼み、普通に学校の話をした。
たぶん、それでいいのだと思う。
終わったわけではない。宮森さんは怒っていると言った。これからもずっと怒っていると。それでも店を開けた。その距離の取り方が、この四人の形なのかもしれない。
「あ、真白くん、シロップなかったですね」
「ああ、もらえる?」
清春が「え」という顔をした。
「今、真白くんって言った?」
「言いましたけど」
「様は?」
「やめました」
「なんで」
「なんとなくです」
清春は納得のいかない顔で僕を見た。僕は肩をすくめた。
平坂は、その一連のやり取りを黙って見ていた。
何か言うかと思ったが、彼女はアイスティーをひと口飲んで、見ているだけだった。
問題は、僕のほうだった。
四人が元に戻った。それは良かった。
良かったが――僕はまだ、問題を抱えている。
*
九月の教室は、まだ暑い。
エアコンは入っているが、日当たりがいいように作られている教室は、まるでビニールハウスだ。
三日ほど迷ってから、僕は昼休みに平坂の席へ行った。
「ちょっと話せる?」
彼女は少しだけ目を見開いて、それから周囲を見た。
女子が三人、こちらを見ている。ミーハーな女子が今にも身を乗り出しそうになっている。
「……ここじゃ無理ね」
「どこかいいとこない?」
平坂は少し考えて、立ち上がった。
「ちょっと待ってて」
*
三分ほどで戻ってきた彼女の手には、鍵があった。
「なんだそれ」
「屋上の鍵だけど」
「屋上って、開いてるのか」
「開いてないわ。だから借りてきたの」
「借りてきた?」
「ええ。無断で、生徒会室から」
「それ、盗んだって言うんだぞ」
「借りたのよ。返すもの」
「返せば何してもいいのか」
「そうよ」
即答だった。
この人が本気で悪いことをしようとしたら、たぶん誰も止められない。
*
四階のさらに上、狭い階段を上がった先に、その扉はあった。
平坂が扉を開けると、思ったより重い音がして、光と熱が一気に流れ込んできた。
「うわ」
思わず声が出た。
屋上に出るのは、初めてだった。
地面よりも十数メートル太陽に近いだけで、かなりの温度差を感じる。
「なんだ、けっこう広いんだな」
本当に屋上に出ていいものか、確かめるように足を進めた。
給水塔があって、フェンスがあって、あとは何もない。防水処理された緑色のコンクリート以外、色もない。
「不来方くん」
振り返ると、平坂は腕組みをしたまま、扉の脇から動いていなかった。
庇が張り出していて、そこだけ細い日陰になっている。彼女はきっちりその中に収まっていた。
「出ないのか」
「日焼けするもの」
「そうか」
「あなた、暑くないの」
「暑いよ」
暑いが、それはそれとして、屋上というのは思っていたよりずっと居心地が良かった。
男子は高いところが好きなのだ。
*
フェンスまで歩いて、そこから街を見た。
低い屋根が並んでいて、その向こうに川があって、さらに向こうに海の縁が細く光っている。あの川沿いで、七月の終わりに花火が上がった。
左手に、緑の濃い塊があった。
明王山だ。
あの一番上に、彼女の家がある。長い塀と、瓦屋根の門と、庭園と、全体像が分からないほど広い日本家屋。
だが、ここから見ると、何も分からなかった。
木しか見えない。
あれだけ大きな家なのに、少し離れただけで、緑に紛れて跡形もなくなっている。
*
「で、なあに」
日陰から声がした。
僕はフェンスから離れて、彼女のほうへ戻った。庇の下は狭かったので、僕は日向に立ったままになった。
「えっと、順を追って話していくから」
「分かったわ」
僕は息を吸った。
「まず、僕たちが今まで考えてきたことの確認だ。アルとマンテを揃えれば転生魔法をもう一度起こせるかもしれない。そういう前提でここまで来た」
「ええ」
「ただ、二人とも記憶が曖昧だった。記憶を全て戻すことで、魔法を扱う力も戻るんじゃないかと思ってた」
「そうね。それが一番現実的な線だと思っていたわ」
「これに関しては、まだ成果はさっぱりだ」
僕は続けた。
「それに僕は、仮に魔法そのものが使えなくても、方法はあると考えてた。向こうの魔法にも理屈はあったはずだ。どういう条件で何が起きるのか、それが全部分かれば、この世界の技術で同じことを再現できるかもしれない」
「……そこまで考えていたの」
「考えるくらいしかできることがなかったからな」
こっちの世界は、あっちより文化レベルが遥かに上だ。魔法が超常現象ではなく、ただ僕たちが知らない物理法則だったのなら、いつか誰かが同じ結果に辿り着けるかもしれない。
それが何年後か、何十年後かは分からない。それでも、可能性はゼロではない。
「だから僕は、そう悪くない話だと思ってたんだ。時間はかかるけど、道はあるって」
「ええ」
僕は、そこで言葉を切った。
足元のコンクリートが、上履き越しに熱かった。
「で、ここで石の話になるんだけど」
*
僕は、全部話した。
八月に道場へ行った日のこと。帰りに清春と階段に座って話したこと。彼が「手のひらが熱かった」と言ったこと。革の紐で首から下げていて、寝るときも風呂のときも外さなかったと言ったこと。
そして、その石の見た目のこと。
「赤とか、金とか、緑とか。動かすとチカチカって次々変わる、って言ってた」
平坂の表情が、初めて動いた。
「花火の夜に、平坂が言ってたのと同じだ。オルジェナ山脈の洞窟の、岩肌の話だ。松明を動かすと壁がいっせいに光る、って」
「……ヴェイナね」
「え?」
「その石の名前よ。ヴェイナ鉱石」
彼女は、庇の影の中で、少し目を伏せた。
「あの洞窟の岩肌からしか採れないの。持ち出せるとすれば祭祀の長だけ。……でも、持ち出していい理由なんて、本来ひとつもないはずよ」
風が吹いて、フェンスが低く鳴った。
「僕は、あのとき知らないふりをした。清春には何も言わなかった。まだ確かめてもいないことで、平坂さんを不安にさせたくなかった」
僕は、彼女の顔を見た。
「――というのはたぶん、半分嘘だ」
「半分?」
「確かめるのが怖かった。確かめたら、伝えなきゃいけなくなるから」
*
言い終わって、僕は黙った。
言うべきことは全部言った。何日もかけて順番に組み立ててきたものが、きれいさっぱり無くなった感じがした。
平坂は、しばらく僕の後ろの景色を見ていた。
「……つまり」
彼女が口を開いた。
「ヴェイナが、蘇生魔法の要だった可能性がある」
「ああ」
「そしてヴェイナは、オルジェナの洞窟にしかない」
「たぶん」
「その洞窟は、向こうの世界にある」
「……ああ」
「帰るために必要なものが、帰る先にある、と」
平坂は、そこで初めてこちらを向いた。
「よく気づいたわね」
「気づきたくなかったよ」
*
僕は、次の言葉を待った。
罵倒でも、沈黙でも、何でも受け止めるつもりでいた。彼女が泣いたら、どうすればいいのかは分からなかったが、それでもここに立っているつもりだった。
だが平坂は、思ってもみないことを言った。
「不来方くん」
「なんだ」
「あなた、変わったわね」
「……は?」
「今の話、六月の時点のあなたなら絶対に言わなかったでしょう」
僕は、言葉に詰まった。
「言わないどころか、隠したまま、私が勝手に諦めるのを待っていたと思うわ」
「……そうだな」
否定できなかった。
「夏祭りのあと、日焼けするまでいろいろ動いていたみたいだし」
ばれていた。かっこ悪いと思って言えなかったが、認めることにした。
「まあ、徒労に終わったけど」
「それに、栞がまたお店に呼んでくれたのって、きっとあなたが動いてくれたんでしょう?」
僕は答えなかった。答えなくても、伝わっていた。
「私、あの子に何もできなかった」
彼女は、少しだけ目を伏せた。
「何を言えばいいのか分からなかった。謝るのは違うと思った。だから、何もしなかった」
「……」
「あなたのおかげよ」
*
平坂は、そこで一度、深く息を吸った。
そして、庇の影から僕の方へ一歩踏み出した。
「ありがとう」
僕は、たぶん間抜けな顔をしていたと思う。
「いや、待ってくれ。今のは礼を言われるような話じゃないだろ。僕は今、平坂さんの計画が根本から無理かもしれないって言ったんだぞ」
「そうね」
「怒っていいんだぞ」
「怒らないわ」
彼女は、はっきりと言った。
「都合の悪いことを、都合の悪いまま持ってきてくれたじゃない。しかも、隠そうとすれば隠せた話を」
「……」
「私の夢に、ちゃんと向き合ってくれたということでしょう」
僕は、フェンスの向こうを見た。
海の縁が、細く光っていた。
なんと言えばいいのか分からなかったので、結局、何も言わなかった。
耳が熱かったのは、たぶん日射しのせいだ。
*
「じゃあ、いつも通り集まりましょうか」
しばらくして、平坂が言った。
その声は、もういつもの調子に戻っていた。
「確認しないといけないわ。記憶を全部取り戻したとして、それでもヴェイナがないと駄目なのか。代わりになるものはないのか」
「……確認って、どうやって」
「マンテを呼び出すのよ」
僕は、彼女の顔を見た。
「危険だろ。この前、清春が消えかけた」
「ええ。だから、本人に決めさせる」
平坂は、目を逸らさなかった。
「私が命じたら、あの子は絶対に断らないもの。それは駄目。ちゃんと説明して、嫌なら嫌でいいと言ったうえで、選ばせるわ」
僕は、少しだけ驚いた。
前世で、絶対的な力をもって全部を束ねてきた人が、そういう言い方をした。
「……平坂さんも、なんか変わったんじゃない?」
「そうかしら」
「そうだよ」
「じゃあ、お互い様ね」
*
扉を開けようとして、平坂が思い出したように振り返った。
「そうだ。私からも報告があるの」
「なんだ」
「弁論大会、私が出ることになったわ。正式に決まったの、今朝」
彼女はポケットからスマホを出して、画面を見せてきた。
近隣八校が集まる、なんとかという名前の大会の要項だった。
「テーマがあるのか」
「大枠だけね。演題は自分で決めるけれど、それに沿わせるの」
僕は画面をのぞき込んだ。
そこには、こう書かれていた。
『私たちがつくる未来』
「……ふわっとしてるな」
「ものすごくふわっとしているわ」
「これ、何を喋ればいいんだ」
「知らないわよ。今から考えるの」
彼女はスマホをしまって、少しだけ肩をすくめた。
「よかったら、応援に来て。学校からもバスが出るはずだから」
「行くよ」
即答だった。自分でも驚くくらい早かった。
平坂が、ふっと笑った。
「即答するのね」
「……なんとなく」
栞の言葉を思い出し、鼻を掻いた。
「日にちは十月二十六日。空けておいて」
それを聞いて手が止まった。
「それ、僕たちの誕生日じゃないか」
「そうよ」
彼女は事も無げに言って、重い扉に手をかけた。
「言うほどのことかしら」
言うほどのことだと思う。
僕たちが生まれた日で、たぶん、僕たちが死んだ日でもあるのだ。




