第22話 今日の真白くんのほうが
「それから、君には言っていなかったけど」
僕は膝の上で手を組んだ。
「僕は、平坂さんを元の世界に戻すのを、途中で邪魔しようとしてた」
「え」
「魔王を勇者のいない世界に返すのは人類に対する裏切りである、っていう理屈をつけて。でも本当はきっと、平坂さんがいなくなるのが嫌だっただけだ。与えられた仕事をわざと放り出して、忙しいって嘘をついてた」
「……真白様が?」
「夏祭りの日に白状して、正直に謝ったよ。そんな人間だ、僕は」
僕は、床を見ていた。
「だから、君にどうこう言える立場じゃない。むしろ、君のほうがずっとまともだ」
「……なんで」
宮森さんが、掠れた声で言った。
「なんで、そんな話をするんですか」
「フェアじゃないと思ったからだ」
僕は顔を上げた。
「君は今、平坂さんだけが悪いって思ってるだろ。それが間違ってるとは言わない。でも、それだと僕が汚れてないみたいになる」
「……」
「僕が、あっちで何人殺したと思う?」
宮森さんが、息を呑んだ。
「数えてない。覚えてもない。顔も名前も一つも出てこない。僕たちは、戦争のための道具だったんだ」
僕は、自分の手のひらを見た。
「平坂さんが町の名前を覚えてないのと、たぶん、同じだ。魔王という存在は、ただのシステムだ」
*
長い沈黙があった。
テレビの中で、誰かがまた笑っていた。
「……私も、ですか」
宮森さんの声は、ほとんど聞こえないくらいだった。
「三十体、凍らせたって」
「ああ」
「相手は、誰だったんですか」
「知らない」
僕は正直に言った。
「僕も知らない。君も知らないだろう。でも、あの三十体にも、たぶん」
そこで言葉に詰まった。
清春の話を思い出していた。飯を食い、土に潜り、かがり火を焚き、子どもがうっかり鳴いて怒られる。
これを言うのは残酷かもしれない。でも、言わないわけにはいかない。
「――帰ってくるのを待ってた誰かが、いたんだと思う」
宮森さんが、両手で顔を覆った。
*
しばらく、彼女は動かなかった。
僕も何も言わなかった。言うべきことは、もう全部言ってしまっていた。
やがて、宮森さんは顔を上げた。目のふちが赤かったが、涙は出ていなかった。
「……私、ずるいこと考えてました」
「うん」
「憎める相手がいるって、ちょっと楽なんです。全部その相手のせいにできるので」
彼女は、膝の上で拳を握った。
「でも、永遠ちゃんが謝らなかったのが、ずっと引っかかってて」
「謝らなかったな」
「謝られていたら、私、許さないといけなくなってました」
「……」
「謝られたら、この話は終わっていたと思います。彼女、それが分かってて謝らなかったんですよね」
僕は、答えられなかった。
たぶん、そのとおりだ。彼女は憎まれることを受け入れていた。
*
「この悲しみは」
宮森さんは、少し笑おうとした。
「たぶん、一生消えないです。まだ思い出したばっかりなので、これからもっとひどくなるかもしれません」
「うん」
「でも、それと、あの人たちを憎むのは、別のことでした」
彼女は、はっきりとそう言った。
「ダリューゼも、マンテも、自分の仕事をしていただけです。……それでも私の家族は死にました。でも、それは」
言葉を探しているようだった。
「それが、戦争なんですね」
*
僕は、深く息を吐いた。
「……ありがとう」
「なんで真白様が言うんですか」
「分からん」
本当に分からなかった。
ただ、胸のどこかが、ようやく少しだけ動くようになった気がした。
「平坂さんってさ、この店に来られなくなったら困るだろ」
僕は、思わず口に出していた。
「あいつさ、家でも学校でも、ずっと平坂永遠をやってるんだ。この前、家まで送ってったとき、家政婦さんが出てきた瞬間に、顔が切り替わったんだよ。彼女にとって、素に戻れる場所が、この店の奥の席しかないんだ。だから――」
僕は、そこで止まった。
宮森さんが、僕をじっと見ていたからだ。
「……なんだよ」
「あの」
彼女は、丸眼鏡の奥で、ゆっくりと瞬きをした。
「真白くん、永遠ちゃんのこと、好きなんですね」
*
時間が、止まった。
「――は?」
「今の、ぜんぶ、そういう話でしたよ」
「いや、違う。あれは、その、状況の説明であって」
「早口でした」
「早口じゃない」
「めちゃくちゃ早口でしたよ」
宮森さんが、少しだけ笑った。
久しぶりに見る、まともな笑顔だった。
「なーんだ。そうだったんですね」
「だから違うって」
「はいはい」
僕は反論しようとして、うまい言葉が一つも出てこなくて、諦めて頭を掻いた。
橋本の顔が浮かんだ。
――それ、たぶん一番タチが悪いぞ。
うるさい。
*
「あ」
そこで僕は、彼女の言葉に引っかかった。
「今、なんて呼んだ」
「え?」
「僕のこと、様って、つけなかっただろ」
宮森さんは、きょとんとして、それから自分の口元を押さえた。
「……ほんとだ」
彼女は、少し考えるような顔をした。
そして、静かに言った。
「私、勇者様に憧れてたんです」
「うん」
「アルストロメリアだったころは、真白様のこと、すごくかっこいい人だと思ってました。強くて、正しくて、迷わない人だと」
「実物は?」
「……」
何か言ってくれ。
「でも」
彼女は、真面目な顔になった。
「今日の真白くんのほうが、私は好きです」
*
僕が何か言う前に、彼女は立ち上がった。
「お店、開けます」
「今から?」
「まだ営業時間なので。お父さんが心配しているし。……お客さん、来ないですけど。」
「来ないのか」
「来ないですね」
そういえば、そういう店だった。
宮森さんは階段を降りて、ドアの札を裏返した。
かたん、と音がした。
『営業中』
*
「明日、来られますか」
彼女はカウンターの内側に戻りながら言った。
「みんなで。清春さんにも、私から連絡します」
「……いいのか」
「はい」
「怒ってないのか」
「怒ってますよ」
彼女は、あっさりと言った。
「たぶん、これからもずっと怒ってます。忘れないと思います。……でも、それはそれとして、お店に来てもらわないと困るので」
「困る?」
「貴重な常連さん三人ですから。うち、赤字なので」
また商売の話だった。
この子は、やっぱり強い。
*
僕はドアに手をかけて、それから振り返った。
「じゃあ、明日」
「はい」
宮森さんが「あ」と声を上げた。
「そうだ。真白くん」
「なんだ」
彼女は、カウンターの向こうで背筋を伸ばした。
丸眼鏡を、指でくいと押し上げる。
そして、今までで一番綺麗な笑顔で、こう言った。
「六本足の獣の名前は、プガーニャです」




