第19話 戦争のための兵器
「終わった?」
道場の裏手に回ると、道場とは別の、二階建ての家屋があった。玄関の引戸が空いており、清春が箒で掃き清めていた。
不良だと思っていた清春が箒を持つ姿に、少し驚いた。
「最近、人生を見つめ直してんの」
清春は僕の表情に気づいてか、そう言った。
「道場に戻ってこいって言われたか」
「言われた」
「だと思った」
「ちょっと待ってろ」
彼は家の中から持って来たコーラの缶を、僕に放ってよこそうとした。
「バカやめろ炭酸……!」
言い切らないうちに缶が飛んできた。
よく冷えていて、受け取った瞬間に手のひらが痺れた。
庭から回り込み、僕たちは縁側に座った。
八月の午後で、蝉がうるさかった。
「親父、お前が来なくなってから変わったんだよ」
清春が、コーラを開けながら言った。
「お前の強さに、精神論で勝たせようとしてたろ。その理不尽さに気づいたらしい」
少し申し訳ない気がした。
「俺も親父が丸くなったからって調子に乗ってこうなっちまった。親父、昔はマジで怖かったんだけどさ。俺が高校で剣道やらねえって言ったときも、何も言わなかった」
「そうか」
「金髪にしたときも、何も言わなかった」
彼は自分の髪を引っ張って、少し笑った。
「怒られると思ったんだけどな」
それは、怒ってほしかったかのように聞こえた。
*
しばらく、どうでもいい話をした。
夏休みの宿題がどうとか、取り巻きの誰々が彼女にフラれたとか、そういう話だ。缶の底が濡れて、縁側の床に丸い染みができていた。
そのうちに、話は自然にあちら側へ流れた。
「そういやさ」
清春が、缶を揺らしながら言った。
「あれから、ちょいちょい思い出すんだよ。夢とかじゃなくて、なんか、突然」
「無理するなよ」
「無理してねえよ。勝手に来るんだ」
彼は空を見上げた。
「でも、なんか変なんだよな」
「変?」
「普通の生活してんの」
僕は、コーラを口に運びかけた手を止めた。
「普通って?」
「いや、今と常識が違うから、普通っつーのも違うか」
魔族とはほとんどが戦場でしか顔を合わせたことがない。魔族の普通の生活について、聞いたことも考えたこともなかった。
「城にデカい広間があってさ、いろんなのがいるんだよ。喋ってるやつもいるし、喋れねえのもいる。喧嘩してんのか挨拶してんのか分かんねえのもいる」
人類はただ一種類なのに対し魔族とは、魔核という器官をもち魔力を宿す、いろんな種類の生き物の総称だった。
「一応、城で暮らしてるやつらは魔族の中でもエリートというか、役職持ちだったのかな」
「そうかもな」
「いや、でもガキもいたな」
「子ども?」
「なんの子かは分かんねえ。人型のもいたし、そうじゃねえのもいた。とにかくうろちょろしてて、城の中は賑やかだった」
人類側の感覚では、魔王城とは魔王が住む城。魔族を統治するための中心となる場所だ。
城の周りにだんだんと人が集まって城下町ができていくように、魔王城そのものが城下町を内包し、生活の場になっていたということだろうか。
じゃあ僕たちが魔王城に突入した際に殺した魔族たちは、いったい何だったんだ。
蝉の声が、やけに大きく聞こえた。
「なんか、思ってたのと違うよな」
清春は、自分でも不思議そうな顔をしていた。
「もっとこう、悪の組織みたいなのを想像してたんだけど。みんな自分たちなりに頑張って生きてただけなんだよな」
*
僕は、何も言えなかった。
何千年もの間、言葉の通じない者同士が魔王の威光の元に集まり、同じ屋根の下で、それぞれのやり方で暮らしていた。そうやって続いた国。
人間の尺度でいえば無秩序と言えるかもしれない。でも、彼らにとってはただの日常だったのだ。
僕たちは、その城を落とした。
あの広間で飯を食っていた者たちがどうなったのか、僕は知らない。知ろうともしなかった。魔王を倒せば世界が救われると、そう信じていたから。
――いや。
戦争はあったのだ。それは間違いない。人間の街も焼かれたし、僕の仲間も死んだ。そこは動かない。
だが、それは「邪悪な魔物の群れによる災厄」ではなく、ただの戦争だった。
そんなもの、人間同士でもやっていた。
国と国が、ぶつかっていただけだ。
だとしたら。
僕は、なんだったのだろう。
選ばれし者。世界を救う者。神託によって見出された、光の側の人間。そう呼ばれて、そう信じて、僕は二十数年ぶんの命を使い切った。
だが、あれがただの戦争だったのなら。
――勇者とは、戦争のための兵器だったのか。
戦うために見つけ出され、戦うために磨かれ、戦うために使い捨てられた、一振りの剣。
そう考えると、ずいぶん筋が通ってしまう。
巫女が神託で「勇者」を選ぶ。選ばれた者は国から名誉を与えられ、旅に出され、敵国の首魁を討ちに行く。
金を出すのは最初だけ。給金は出ない。装備の修理費も自腹だ。
だが勇者たちは文句を言わない。
なにしろ、世界を救う旅なのだから。
過酷で当たり前と、本人たち含め誰もが思っている。
これ以上に安上がりな兵器が、他にあるだろうか。
*
「あ、そうだ」
清春が、思い出したように言った。
「一個だけ、やたら鮮明なやつがあるんだ」
「なんだ」
「手のひらが、熱かったんだよ」
彼は右手を開いて、じっと見た。
「ずっと握ってたんだよ、なんか。石みたいなやつ」
「石?」
「そう。こう、握りこめるくらいの。普段は首から下げてたんだ、革の紐で」
「大事なものだったのか」
「うん。寝るときも外さなかった気がする。風呂のときも、たぶん」
清春は、自分の胸のあたりを軽く押さえた。
「なんつーか、めちゃくちゃ大事にしてた。あれがないと駄目だ、みたいな感じで」
「それ、どんな石?」
「光るんだよ」
彼は無邪気に言った。
「赤とか、金とか。あと緑も。動かすと、チカチカって次々変わるんだ。きれいだった」
*
聞き覚えがあった。
『そこの岩肌に、特殊な鉱石が混じっているの。松明を持って入って、それを動かすでしょう。そうすると、壁がいっせいに光るの。赤とか、金色とか、緑とか。火を動かすたびに、次から次へと』
花火の夜、土手で。熊のぬいぐるみを抱えた平坂の、静かな横顔。
『あそこはね。墓所なの』
『私の、両親の』
*
「……そうなんだ」
僕は、そう答えていた。
自分の声が、驚くほど冷たかった。
「まあ、そんだけなんだけど、重要なのかと思って。思い出したらまた言うわ」
清春は缶を飲み干して、伸びをした。
僕は、コーラを持ったまま、動けなかった。
考えるな、と自分に言い聞かせた。
まだ何も分かっていない。石が光っていたというだけの話だ。あの洞窟の石だと決まったわけじゃない。似た鉱石など、いくらでもあるかもしれない。
――だが、肌身離さず持っていた。
寝るときも、風呂のときも外さなかった。あれがないと駄目だ、と本人が言っている。
祭祀の長まで務めた男が、それほど大事に身につけていたものが、ただの綺麗な石だったのだろうか。
何かの目的のために持っていたのではないか。
平坂は、マンテは弱く、戦闘向きではないと言っていた。
その彼が最終決戦で最前線にいて、一番大きな役割を果たした。
――蘇生魔法。
もし、あの石がなければ、あの魔法が成立しないのだとしたら。
そして、あの石が、あの山脈の、あの洞窟にしか存在しないのだとしたら。
帰るために必要なものが、帰りたい場所の中にある。
扉の鍵が、扉の内側に置いてある。
*
「不来方? どうした」
「いや」
夏のものとは違う、冷たい汗をかいていた。
僕は立ち上がって、空になった缶を清春に渡した。
「なんでもない。帰るよ。これサンキューな」
「おう。また日にち決まったら連絡くれ」
「ああ」
蝉が鳴いていた。
日はまだ高くて、影が濃くて、アスファルトの匂いがしていた。
僕は、確かめる方法を知っている。
清春の中に散らばっているマンテを、もう一度呼び出せばいい。彼女なら、たぶんできる。
だが、それをやれば、清春が消えるかもしれない。
そして、確かめてしまったら、僕は彼女に言わなければならなくなる。
帰りたい場所へは、もう二度と手が届かないと。
――僕は、平坂が傷つく姿を見たくないのだ。
僕は自転車を押して、道を歩き始めた。
ずっと同じことをぐるぐると考えていた。
言わなくていい。
まだ、何も確かめていないのだから。




