第13話 進めば進むほどさらに細く
家に着いたのは、十時を少し過ぎた頃だった。
「なにそれ! 金魚!?」
玄関を上がるなり、まだ起きていた蒼真に見つかった。
宮森さんが「六匹もいても飼えないので」と、僕と平坂に二匹ずつ押しつけてきたのだ。
わざわざ金魚すくいの店に戻り、袋をもらってきた。店主もご愁傷様。
二匹飼えるなら六匹くらい飼えるだろうとも思ったが、黙ってもらっておいた。
「君を金魚担当大臣に任命する」
「名前つけていい?」
「いいぞ」
蒼真はしばらく考えて、「こっちがポチで……」と言い始めた。
母さんが押し入れから古い金魚鉢を出してきて、蒼真がはしゃぎながら水を入れ、父さんが「昔うちにもいたなあ」などと言い出し、結局、寝るのが遅くなった。
*
部屋に戻って、電気を消して、ベッドに転がった。
窓の外はまだ生ぬるい。さっきまで賑やかな場所にいたので、とても静かに感じた。
スマホを開いた。特に用があったわけではない。習慣だった。
そのままSNSのアプリを開いて、自分のプロフィールを表示する。
そのページに、あの投稿がまだ残っていた。
リュミアを探しています。
当方ユグレト。会いたし。DMを待つ。
#異世界 #転生 #生まれ変わり
四月に投稿したものだ。
我ながら、ひどい文面だと思う。「会いたし」って何だ。当時の僕は、これを大真面目に、格好いい文章のつもりで打ったのだ。
指を、削除ボタンの上で止めた。
止めたまま、しばらく動かなかった。
――なぜ消さないんだ。
もう意味のない投稿だ。リュミアはここにはいない。
消せばいい。それだけのことだ。
なのに指が動かない。
僕は結局、アプリを閉じて、スマホを枕元に置いた。
天井を見る。
分かってはいた。認めたくなかっただけだ。
今日、僕は一度も、リュミアのことを考えなかった。
浴衣を見たときも、たこ焼きで涙目になっているのを見たときも、射的が当たって素が出たときも、泣いているのを見たときも。
一度も、比べなかった。
前世で恋焦がれて、忘れられなくて、そのために恥を忍んであんな投稿までした相手を、今日一日、一秒も思い出さなかった。
腰まである、ウェーブがかったブロンド。
聡明で、慈愛に満ちていて――と、そこまで思い出して、僕は少しぞっとした。
顔が、うまく思い出せない。
いや、覚えている。覚えてはいるのだ。ただ、それは「美しかった」「優しかった」という言葉の羅列であって、目の前に浮かんでくる映像ではなくなっていた。
前世の記憶は、映画みたいなものだと思っていた。何度でも再生できるものだと。
そうではないらしい。
僕は寝返りを打って、枕に顔を押しつけた。
裏切りだな、と思った。
*
――全力でやる。そう平坂に断言した。
次に三人が集まるのは五日後だ。
『誕生日という手がかりそのものが、意味を失う』
あの雨の日、平坂はそう言った。だけど、今の段階で他に手掛かりがないのも事実だ。
平坂が一度捨てた手法を、僕なりに追ってみることにした。
家の用事もあるので、それまで実際に動けるのは三日しかない。
手ぶらであの席に座るのは、もう嫌だ。何かひとつでも掴んでおきたかった。
僕は次の日から動き始めた。最初の標的は台所にいる。
「母さん、僕ってどこで生まれたの?」
「なあに、急に」
「自分探しってやつ」
「気持ち悪いわね」
実の息子に言うことか。
それでも母さんは洗い物の手を止めて、二階の押し入れから古い菓子箱を嬉しそうに引っ張り出してきてくれた。
中に、母子手帳と、へその緒の入った桐の箱と、写真の束が入っていた。
「病院なら蓬莱中央よ。駅の南口」
「へー、そうだったんだ。蒼真もあそこだったよね」
言いながら母子手帳を開いた。
十月二十六日。午前四時十二分。
自分の生まれた時刻というものを、僕はこのとき初めて知った。
*
写真の束の中に、一枚、赤ん坊がずらりと並んでいるものがあった。
畳の部屋に、母親たちがそれぞれ子どもを抱いて座っている。全部で十組ほど。
「これは?」
「保健センターの、なんだったかしら。四か月健診のあとの集まり」
「この中に、僕と同じ日に生まれた子っている?」
「いるかもねえ」
「誰」
「覚えてるわけないでしょ」
母さんは写真を覗き込んで、端から順に指を滑らせた。
「この人はねえ、たしか、このあと引っ越しちゃったのよ。この人は、名前は出てこないけど、よく喋る人でね。……この子はあんたの同い年の、ナントカくんよ。ほら、同い年の」
同い年なのは当たり前じゃなかろうか。
写真の中に、十人の赤ん坊がいる。
この中の誰かが、そうかもしれない。
写真を見つめたが、まったく分からなかった。当たり前だ。
ひとり、左腕に痣がある子がいた。
肘から上の部分に広範囲に赤い模様が広がっている。
例えば、こういう風に目に見える特徴があれば分かりやすいのだが。
「にいちゃん、なにしてんの」
蒼真が冷蔵庫を開けながら覗き込んできた。
「お前のもあるぞ」
箱の底に、もう一冊、母子手帳が入っていた。表紙の色が違う。
「ふーん」
蒼真は一秒だけ見て、麦茶を持って行ってしまった。
小学生には興味のないテーマか。
*
昼から、保健センターに電話をしてみた。
十六年前にこれこれこういう集まりがあったんですけど、母が参加者の方にお世話になったそうで、ぜひお礼を言いたいそうなんですけど名前も分からなくて……。
みたいな嘘をべらべらと並べてみたのだが、さすがに当時の資料は残っていないとのことだった。
まあそうだろう。僕もそこまで期待はしていなかった。
次行ってみよう。
*
僕は二人にメッセージを送った。
『変なこと聞くけど、生まれた病院ってどこか分かる?』
宮森さんからは三分で返ってきた。
『みずのレディースクリニックです! 今もありますよ』
平坂からは、十分後だった。
『蓬莱聖和病院よ』
そのあとに、一行だけ足された。
『同じところだと思った?』
『思った』
『残念ね』
地図アプリを開いて、三つの場所に印をつけた。
同じ病院ではなかった。ばらばらだ。ただ、一番離れている二つでも、直線で三キロあるかないか。
僕は、その三つの印を囲むように、画面の上に指で円を描いてみた。
病院は、わりと市の境に近い場所に位置していたため、円はあっさりと市の外へはみ出してしまった。
――里帰り出産って知ってる?
雨の日に、平坂はそう言った。
この市で生まれた子が、この市で育つとは限らない。逆に、今この市に住んでいる子が、よその街で生まれている可能性もある。
僕は、円の外側をしばらく眺めていた。
それから、地図を閉じた。
隣の市まで含めれば、対象は倍以上になる。よその市の資料をどう当たればいいのかも分からない。
病院の位置からのアプローチは失敗かもしれない。
次だ。まだ手はある。
*
蓬莱市立図書館は、蓬莱高校から駅までの道沿い、市役所の隣にある。
平坂は、あの雨の日に市の統計を持ちだしてきた。年に何人生まれたか、という数字だ。
だが図書館にあるのは、数字だけではない。
母さんに母子手帳を見せてもらったときに、軽く聞いてみたのだ。
「とある日に生まれた子を探すにはどうしたらいいと思う?」
「えー? ケーキ屋さんに行けば、毎日看板出てるじゃない。『ナントカ君おたんじょうびおめでとう』って」
「そういうことじゃなくてえ……」
「あ、新聞とか広報誌に、そういうコーナーなかったかしら。生まれた子の写真付きで」
「……え? 天才じゃん」
というわけで図書館に来てみた。自転車で二十分、着いた頃には汗だくだった。
見苦しくないように、入り口付近で冷房にあたり、十分に汗を乾かしてから、ミッションを開始した。
「あの、十六年前の広報誌って、見られますか?」
カウンターの若い女性の司書さんは、僕の顔を一度見て「郷土資料室ね」と言った。
『広報ほうらい』のバックナンバーは、灰色の合本になって棚に並んでいた。
僕は十六年前の十月号を開く。その中に、「こんにちは赤ちゃん」という欄があった。
生まれた日と、赤ん坊の名前と、保護者の名前と、町名、顔写真も載っている。
十月二十六日生まれは……いない。
それもそのはず、十月一日に発行される十月号に載っているわけないじゃないか。
改めて十一月号を、いや、広報作成の締め切りを考えれば十二月号か。
予想は当たった。
「これ、載ってる子と載ってない子がいるんですか」
僕は司書さんに聞いた。
「市の広報課とかに聞かないとわからないけど」
あ、間違えた。司書さんが広報誌を作っているわけでもないのに、つい聞いてしまった。
それでも司書さんは、優しく教えてくれた。
「出生届を出したときに『広報に載せますか』って聞かれるんじゃないかな」
そうか。
最初から、全部は載っていないのか。
僕の生まれた時間は早朝四時だった。平坂は前後一日ずつを加えていたが、二十七日は除外してもいいのかもしれない。
しばらく考えたが、結局二十七日も候補に入れることにした。可能性を広げすぎると対象が多くなるので、バランスのとり方が難しい。
十月二十五日が一人、二十六日が一人、二十七日が二人。
三日ぶんで、四人だった。
平坂の計算では、この市では一日に三人ちょっとが生まれている。三日なら十人前後のはずだ。
つまり、半分以上は、はじめからこのページ上にいない。
僕も平坂も宮森さんも載っていない。載せない方が多いのだ。
すごく細い道だ。しかも、進めば進むほどさらに細くなっていく。
それでも端まで歩いてみよう。僕にできるのは、そのくらいしかなかった。




