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残響  作者: ことは
9/21

第9節

この部屋は、もう安らぎの場所じゃない。

ただ、私を包んでくれる温もりだけが、私を繋ぎ止めてくれている。

「あやめちゃん、学校は…。」

スマホを睨めるあやめに、私は囁いた。

「サボっちゃった。」

あやめの笑顔が、私に刺さる。

「ごめんね…。」

「私が、サボりたくてサボっただけよ。」

あやめが、私に寄り添いながら微笑んだ。

「ごめんね…。」

「私のコーデだから、変になるかもって心配したけど、可愛い子は、何でも似合うね。」

あやめは、私の体を優しく拭き、服を着せてくれた。

それを思い出す様に、私の肌を包み込む布に触れる。

「私は…。」

狂おしいほどに、私の奥へと広がる。

あやめがしてくれること、あやめのかけてくれる言葉、あやめの全部。

だから、どうしても、伝えたい。

なのに、それの紡ぎ方を思い出せない。

「いつも、ごめんね…。」

零れ落ちる雫の様に、私は何度も囁いた。

「そろそろ、ゆりが可愛いこと、認めてくれてもいいんだよ?」

あやめの温もりが、私を包み込んだ。


小さく響く、着信音。

あやめのスマホが光る。

それを手に取った表情が、少し柔らかく彩られた。

「ゆり、私の家においで。」

「迷惑かけちゃう…。」

「そう言うと思ったから、お母さんに聞いたのよ。お父さんも良いって言ってくれたよ。」

「でも…。」

「私と一緒に居るのは、嫌?」

「…居たい。」

「じゃあ、一緒に荷物をまとめよう。」

カーテンの隙間から、茜色の光が差し込んだ。


大きなリュック。

そこに詰め込むのは、教科書と、制服。

それと、あやめとお揃いで買った服。

それだけで、もう詰め込めそうにはなかった。

でも、それだけで、十分だった。

もう、私には、何かを持つ勇気が生まれない。

あやめは、それを見つめながら、もう一つのリュックを広げている。

「絵本と、このクマ…ぽんちゃんは絶対でしょう。それから、コスメと…、ゆり、下着と靴下も忘れてるよ。」

次々とリュックに仕舞い込んでいく、あやめ。


「ねえ、レシピ本もあるのね。いつも、何も見ないで作るから、何でも作れると思ってたよ。」

「ごめんね…。頑張って、覚えたの…。」

「そっか。ゆりが、いつもご飯作ってるんだね。」

「うん…。」

「お泊り会の時の、ゆりのご飯美味しかったな。」

「あやめちゃんに、食べてほしかったから…。」

「…私のために覚えたの?」

「一緒に暮らすときのために…。」

私の音色に触れた瞬間、あやめが、飛びつく様に私を包み込んだ。

「もう、本当に…、愛しすぎるよ。」

私は、柔らかな温もりに、ぼんやりと、その色彩を眺めていた。


「ねえ、この本、借りてもいい?」

「うん…。」

「私も、全部、覚えるから。」

「お父さんとお母さんに、作ってあげるの?」

「それもそうだけど、二人で暮らすときのためにだよ。」

「私の作るのは、嫌?」

「私、家事分担しないからね。全部、一緒にするの。」

「うん…。」

その音色が、心の奥へと染み込んでいく。

「さあ、準備の続き、しよう。」

「ごめんね…。こんなに、たくさんのことしてもらって…。」

あやめは、柔らかな微笑みの中に、小さなため息を彩った。


ただ詰め込むだけの私と違い、それは、綺麗に彩られていった。

「これも、要るよね。というか、全部要るに決まってるよね。」

弾む様な笑顔が、部屋に響く。

「もう、逆に、後でも良いやって思うのは、何?」

振り返るあやめの瞳を彩るのは、崩れる様に嗚咽を奏でる私。

「ごめんね、全部、すぐに持っていきたいよね。」

いたずらっぽく微笑む音色は、私を包み込むあやめの腕の中で反響した。

「ゆりの大切なもの、私が背負うから。」

あやめが握りしめたリュックが、その旋律に包まれた。


「立てる?」

差し伸べられた手を握り、私は頷いた。

ゆっくりと立ち上がろうとすると、全身の痣が悲鳴を上げる。

私は、思わず、その場に座り込んだ。

「お父さん、迎えにきてくれたから、玄関までは、がんばれる?」

「がんばる…。」

もう一度、私は立ち上がる。

リュックの重みが、私を踏み潰そうとしてくる。

私は、そのまま倒れてしまった。

「うん、私が間違ってた。ちょっと待っててね。」

あやめは、二つのリュックを持ち上げると、階段を駆け降りていった。


あやめは、すぐそばに居てくれている。

なのに、小さな世界に取り残された様で、急に不安が襲いかかる。

その揺るがない色彩に、私は嗚咽を奏でるしかできずにいた。

再び聞こえる階段の音。

「ごめんね、ゆり。大丈夫?」

慌てた様に、あやめが、私を包み込んだ。

「ほら、乗って。」

背中を差し出す、あやめ。

「私、重いよ…。」

「リュック二つよりは、軽いわよ。」

「でも…。」

「お姫様抱っこしてほしいの?」

「…それは……、少し…。」

「あはは、でも、階段が危ないから、おんぶで我慢してね。」

「ごめんね…。」

私は、ゆっくりと、あやめに身を委ねた。


階段が軋む。

あやめがつけてくれた白いリボンが、影を揺らす。

背中を撫でる様に、風が通り抜けた。

「ごめんね…。」

「…。」

一段ずつ、ゆっくりと降りていく。

私の部屋からは、静寂が漏れている。

「重くないかな…?」

背中に揺れる、私の吐息。

「…。」

「ごめんね…。」

玄関に差し込む光。

遠くに、雨音が響いた。

私は、ゆっくりと、リビングへと振り返る。

磨りガラス越しに彩られた、真っ暗な色彩。

何故だか、そこに影が立っている様で、私は目を背けた。


「逃げるの?」

私の声が、耳を撫でる。

私は、聞こえないふりをして、背中に顔を埋めた。



しゃがみ込むあやめの背から、私は、ゆっくりと降りる。

「ごめんね。階段では、流石に喋れなかった。」

二人で靴を履きながら、あやめが微笑んでくれた。


その小さな旋律は、いつも囁いていた音色。

なのに、紡げなかった音色。

それは、ずっと伝えたかった言葉。

紡ぎ方を忘れていた言葉。

茜色に煌めく、あやめの笑顔が、それを導いてくれた。

それでも、私は、俯くことでしか、それを紡げそうにない。


「ごめんね。……ありがとう。」


握りしめたあやめの裾に、私は小さく吐息を奏でた。

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