第21節
コンビニのイートイン。
並んで座る柔らかな影。
並べられた温かいココア。
小さな囁きが流れる。
穏やかな微笑みが溶け合う。
「まだ、信じられないな…。」
あやめが、静かに奏でる。
「私も…。」
お互いが、手に持つココアを見つめ、その揺めきが、窓を彩る。
「ごめんね…。急に、居なくなって…。」
あやめが、意を決したように、紡ぐ。
「あの日、ゆりが、あの家に帰った日、先生に相談した日、私、覚悟を決めたの。」
あやめの手が、少し震えている。
「大人は、ゆりを守ってくれないって、わかったから…。私が、守らなきゃって…。すぐに迎えに行こうって、必死に働いたの。でも、やっと迎えに行けるって思った時には、もう連絡も取れなくて…。」
「ごめんなさい…。あの人……パパ…に、スマホを壊されちゃったから…。」
「いいのよ。それって、ゆりのせいじゃないし、何も言わずに動いちゃった私が、全部、悪いんだから。それでね、ゆりの家に行ったんだけど…。」
「ごめんね…、私、今、ネカフェで生活してて…。」
「え、アパートとかじゃないの?」
「うん…。契約しようと思ったら、保証人とか、いろいろあるみたいで、できなかったの。」
「そっか…。」
あやめが、小さく頷いた。
柔らかな微笑みが、私を包む。
その微笑みに、私も頷いた。
「家には、もう近寄ってない?」
「うん。」
「じゃあ、何も見てないんだね?」
「何も…?」
「ううん、何でもない。ゆりは、これからのことだけを見てれば良いの。」
「これからのこと…。」
「…おうちに帰ろう。」
「…。おうち、無い…。」
「わ、私たちの、おうち…。」
「え…。」
「……気持ち悪がらないでね…。」
「どうして?気持ち悪いことなんて、ないよ?」
「着いたら…、わかるよ。」
私たちは、ココアを楽しみ、コンビニを後にした。
のんびりと歩く夜道は、少し風が冷たい。
それが、何だか心地よかった。
背中に感じる影が、少し寂しそうに揺れている。
「もう、私は要らない?」
そう聞こえた気がして、私は振り返った。
透き通る空に、煌めく星。
私に話しかけた私の声は、影と共に、月明かりの中へと溶けていった。
「あなたは、大切だよ。」
立ち止まり、見上げる月。
私は、そっと囁く。
あやめの柔らかな手のひらが、私の手を包み込んだ。
その温もりに、私は今を取り戻す。
「月、綺麗だね。」
あやめの音色が、私を撫でる。
「うん。あの星を見て。寄り添ってるみたい。」
「私たちみたいだね。」
絡み合う指の温もりを確かめ合いながら、私たちは、あやめの家へと向かった。
それは、おしゃれなマンションだった。
「可愛いお部屋だね。」
敷地を歩きながら、私は微笑んだ。
「アパートでも良かったんだけどさ…。」
「マンションの方が、よかったの?」
「どっちでも良かったんだけど、セキュリティのこととか考えると、ちょっとね。」
「泥棒とか…?」
「それも、そうだけど…。安心して。ここは、セキュリティもしっかりしてるから。」
一階は、全部が駐輪場と駐車場になっている。
部屋に入るには、エレベーターを使うしかない。
「これを使わないと、お部屋のある階には行けないのよ。」
そう言って、あやめは、私にカードを渡してきた。
「やってみていいの?」
「もちろんよ。でも、二枚しかないから、無くさないようにね。」
「すぐに返すから、平気だよ。」
私は、微笑みながら、カードをタッチする。
動き出すエレベーター。
階を押さずとも、登っていく。
「ホテルみたいだね。」
私は、あやめの手を握りながら、笑った。
「この部屋だよ。」
あやめは、そう言って、ドアノブの下にカードをかざすように促す。
「エレベーターと同じかな?」
私がタッチすると、穏やかな音色と共に解錠音が小さく響いた。
「オートロックだから、部屋を出る時は、カードを忘れないこと。覚えておいてね。」
「ねえ、もしかして…、これからも、遊びに来ても良いってこと?」
私は、振り返りながら、期待を奏でる。
「ふふ、どうだろうね。」
あやめは、私の頭を撫でながら、穏やかに微笑む。
玄関の隅に並べられた、二つの靴。
スニーカーとブーツ、どちらも、あやめの好きそうなデザイン。
好みは、変わっていないのね、そう思いながら、小さく微笑んだ。
「お邪魔します。」
その音色と共に、靴を脱ごうとする私を、あやめは引き止める。
「ただいまって、言ってほしいな…。」
私は、その言葉に、体が宙に浮きそうになる。
「うん。ただいま。」
「おかえりなさい、ゆり。」
私たちは、玄関で、お互いの温もりを確かめ合いながら、小さな時間に溶け合った。
洗面台を借りて、手を洗う。
隣には、あやめがいる。
お泊まり会を思い出して、私は、心が弾んだ。
不意に、瞳を彩ったのは、二本の歯ブラシ。
使われた黄色の歯ブラシと、新品の様なピンクの歯ブラシ。
「あやめちゃん、誰かと暮らしてるの?」
私は、首を傾げた。
「ん?どうして?」
そんな私を見つめ、あやめも首をかしげる。」
「歯ブラシが二本あるから、誰かと暮らしてるのかなって。」
「…これから、一緒に暮らすんだよ。」
「もしかして、恋人ができたの…?」
「できたというか…、ずっと恋人だと想ってる。」
その音色に、私は、固まってしまった。
リビングへと歩く、あやめ。
少しぎこちない様に感じるのは、きっと、私が変な質問をしてしまったせい。
「ここ、ゆりの席だから。」
差し出されたのは、くまの刺繍のピンクのクッション。
「可愛い。あの家に置いてきちゃったポンちゃんにそっくり。」
私は、クッションを思わず抱きしめて、床に座る。
「それ、座るためのクッション…、まあ、いいけど。」
「え、ごめんなさい。」
「いいのよ、好きに使えば。」
あやめは、穏やかに微笑んだ。
「そうだ、カードキー、無くす前に返さないと…。」
私は、ポッケに仕舞ったカードキーを取り出した。
「ねえ、ゆり、今年の誕生日は、何もしてあげられなかった…。だからさ、ささやかなプレゼントかもしれないけど…、受け取ってほしいの。」
そう言って、カードキーを差し出す私の両手を、柔らかく包み込んでくれた。
「えっと…。」
鼓動が、リビングを包み込む。
手のひらが伝わる、あやめの温もりが、爆ぜる様に熱くなる。
あやめは、私を見ようとはしない。
私も、包み込まれた手を見つめる。
少し震える手。
その小さな旋律に顔を上げる。
あやめもまた、顔を上げた。
絡み合う視線。
「誰かと一緒に暮らすのじゃなくて、ゆりと一緒に暮らしたいの。」
「うん…。うん、…ありがとう。」
その音色に、私は、嗚咽の中へと、言葉では足りない想いをのせた。
「よかった…。」
二人の雫が溶け合う中で、私たちは、微笑みを分かち合った。
買ってきたサラダを、二人で分け合う。
冷たくなった唐揚げが、何だか温かく感じる。
コンビニ限定の紅茶は、シャルドネの香りが至福を彩る。
気づけば、決めていた席が、くっついている。
柔らかな微笑みが、私たちのBGM。
「そういえば、テレビを見なくなったの?」
この部屋には、テレビがない。
私は、元々テレビを見なかったけど、お泊まり会の時は、一緒に見ていた。
それが、少しだけ懐かしくて、私はあやめを見つめた。
「テレビってさ、不意打ちで嫌なニュースとか流れるでしょう?」
「うん。…それ、ちょっと怖いよね……。」
ニュースよりも、ニュースで思い出してしまう自分が、怖い。
「だからよ。」
あやめの微笑みが、私の瞳を優しく包み込んだ。
「そうだ、銭湯行こうよ。」
お腹も満たされて、二人でのんびりしていると、あやめが弾む音色を奏でた。
「近くにあるの?」
「もちろんよ。それが、この部屋にした決め手の様なものよ。」
「嬉しいな。銭湯、懐かしいね。お泊まり会の時に、一度だけ行ったね。また行こうねって約束したまま、まだ行けてないけど…。」
「これからは、何度でも、約束を果たせるよ。」
私は、あやめの手を取り、微笑みの中で、ゆっくりと立ち上がった。
ぽかぽかの体と、ふわふわの心。
手を繋ぐ影が、ゆらゆらと弾んでいる。
「気持ちよかったね。」
「うん。天国だった。帰りは、コンビニでアイスだね。」
あやめの提案に、私は飛び跳ねた。
「やった。こんな時間に甘い物だなんて、罪だね。」
「たまには良いのよ。今日は特別な日だから。」
「うん。同棲記念日だね。」
微笑み合う影が、ゆっくりと、その道を進み続ける。
それは、これからも、ずっと彩られる旅路の様に、温かく、鮮やかに紡がれていた。




