第20節
透き通るような肌、それを恥じらうように隠す煌びやかなドレス。
大きな眼、そこに燦々と輝く綺麗な瞳。
真っ黒な長い髪、一歩一歩を紡ぐたびに、ふわりと揺れる香り。
そこに彩られた、黄色いリボン。
「あやめ…ちゃん……。」
私は、それを紡ぐ頃には、控室に入ってきた彼女に抱きつき、嗚咽を奏でていた。
「ゆりちゃん…。」
世界で一番、大好きな人。
「やっと、見つけたよ…。」
私の、大切な人。
「会いたかった…、会いたかったよ…。」
私の、愛する人。
「ごめんね…。」
みんなが、呆然と見つめる中で、私たちは、二人だけの世界に全てを委ねていた。
「ねえ、天使ちゃんが、新しい子に抱きつきながら、あやめちゃんって呼んでるよ…。どういう事?」
「し、知らないわよ。あやめちゃんが二人になったって事?源氏名被り?でも、天使ちゃんは、ゆりちゃんって呼ばれてるよ?何?知り合いって事?」
「どう見ても、知り合い以上でしょう…。何というか…、恋人…?みたいな…。」
「恋人って…、女の子同士よ…?」
「別に、恋愛に性別は関係ないでしょう…。」
「というか、会いたかったって、会えなかったってこと?」
「そういう事なんじゃないの?」
「え?どうして?遠恋?」
「私が、知ってるわけないでしょう…。」
「というか、あのリボン、色違いのお揃いよね。天使ちゃんがいつもつけてるやつ…。」
「本当だ。やっぱり、そういうことよ。」
「どういう事?」
「甘酸っぱい果実ってことよ。」
「どういう事よ…。」
「それより、天使ちゃんも可愛いけど、新しい子も綺麗ね…。」
「小悪魔ちゃんって感じね…。」
「ねえ、これって…、私たちの天使ちゃんが取られちゃうんじゃないの…?」
「あのね、天使ちゃんは、天使ちゃんのものだからね…?」
「そんな事より、今日、営業できるの?天使ちゃん、ぼろぼろ泣いちゃってるよ…。」
「天使ちゃんが無理そうなら、私たちで頑張ればいいじゃない…。」
「天使ちゃんが居なかったら、みんな不安でしょうが…。」
「ま、まだ、ママが居るわ。最後の砦よ。」
「自分たちで頑張ろうとは、ならないのね…。」
「し、静かに。それは、秘密よ。」
「はい、静かに。あやめちゃんも、ゆりちゃんも、座ってもらっていいかしら?」
騒めく控室に、お姉ちゃんの一言が、降り掛かる。
その刹那、ぴたっと旋律が止まった。
「もう、いろいろとわかったと思うけど、新人のゆりちゃんよ。挨拶してもらってもいい?」
ゆっくりと立ち上がるあやめ。
彼女は、私の名前を、源氏名にしてくれていた。
お姉ちゃんの言葉に、それを知り、私は、顔が熱くなる。
「私と、同じ事、思ってくれてたんだ…。」
それを確かめるように、私は、小さく囁いた。
「はじめまして。ゆ………………。」
紡ぎかけた音色が止まり、あやめが、お姉ちゃんを見る。
「すいません、早速ですが、源氏名を変えてもいいですか?」
「そうなると思ってたわ。天使ちゃんも、変えたいんじゃないかしら?」
二人の視線に、私は、思わず頷いた。
「あんまり良くないけど、理由が理由だからね、良いわよ。オーナーも、きっと認めてくれるわ。でも、お客さんには、自分たちなりの物語で、話しなさいよ。」
お姉ちゃんが、困ったような微笑みで、ため息を奏でる。
「ということだから、天使ちゃんも立って、ここに並んで。」
私は、頷き、あやめの隣に立った。
「ありがとうございます。…改めて、はじめまして、あやめです。」
「えっと…、今日から、今日から?ずっと…?えっと、今日からで良いのかな…。ゆりになりました、…戻りました?…なりましたなのかな?…あの、私です。」
私は、少し混乱しながら俯く。
「天使ちゃん、がんばって。」
「天使ちゃんは、いつでも天使ちゃんだよ。」
「源氏名なんて、仮面なんだから、気にしなくて良いのよ。」
幾つもの囁きが、私を抱きしめてくれる。
「天使ちゃん…?」
その囁きに、あやめが、私を見つめた。
「いつの間にか、そう呼ばれてて…。あやめちゃんは、もうみんなから、小悪魔ちゃんって呼ばれてるの…。」
「ゆりは、天使じゃなくて、女神よ…。でも、それに気づいているのは、私だけってことね。」
何だか、誇らしげなあやめを見て、私は、微笑んだ。
再び自己紹介を始めるあやめの横顔を見つめ、私は、幸せに浸っている。
「先週まで、別のお店のお世話になっていました。そこも好きな場所だったのですが…。」
あやめが、隣に居る。
あやめが、隣に居てくれる。
「今月のガイド誌を見つけて、ここを知りました。」
あやめが、私の隣に居てくれる。
「これ、良かったら…。持ってきたので、見てない方は見てください。あ、安心してください。保存用と観賞用と布教用に三つ貰ってきたので、心配いりません。」
あやめと、一緒に居られる。
「表紙に注目してください。世界一可愛い子が、写ってますね。」
それだけで、もう、全部の色彩が、幸せの色に見える。
それだけで、もう、全部の旋律が、幸せの音に聞こえる。
「この子に会うために、前のお店を辞めてきました。」
「え。」
共鳴する旋律、固まるみんな。
その静寂の中で、思わずあやめに抱きついた私。
その腕に頬を擦り寄せる私の頭を撫でながら、あやめは、自己紹介を完遂した。
「何だろう…、何というか、……尊いね…。」
控室に、変な空気が溢れた。
この日のお仕事は、瞬く間に終わった。
初日から、たくさんのお客様を呼び込んだあやめ。
そして、病院の日という事もあり、私のお客様もたくさん来てくれる。
本当は、同じ席で接客をしたかったけど、最後まで、それはできなかった。
でも、すれ違う時の小さなウインク、席を通り過ぎるの時に小さく触れ合う手、タイミングを見計らって、一緒に入るトイレ、そこで交わす小さな音色。
いつものお店の、いつもの営業、いつもと違う彩りが、私に世界一のシンフォニーを奏でてくれた。
「あやめ…じゃなくて、今日から、ゆりちゃんだったね。なんか、今日は、本当に楽しそうだね。」
お客様が、私に微笑みかける。
「はい。楽しいです。顔に出ちゃってますか?」
「全身から出てるよ。病院で良いことあったの?」
「実はですね…。」
そっと、お客様に耳打ちをする。
「え、あの子って、雑誌に出てたりする子だよね。」
「はい。とっても綺麗でしょう。私、あの子が好きなのです。」
「もしかして、恋心?」
顔を赤く染める私に、お客様がイタズラっぽく笑う。
「………はい…。」
私は、俯いたまま、小さく囁いた。
「何か、嫉妬しちゃうな。ボトルおろして、気を引いちゃおうかな?」
「…いつもの甘いのがいいです。」
私は、お客様を、ちらっと見つめた。
「そこは、高いやつを選ぼうよ。」
お客様が、高いボトルと、一番安くて甘いボトルをおろしてくれた。
「これが、一番、好きなんです。」
二つのグラスに注いだ色彩。
私のグラスには、いつもジュースが入っている。
甘いボトルは、私しか飲まない事も、それがジュースだという事も、お客様は、知っている。
それでも、誰も、何も言わずに、楽しんでくれる。
だからこそ、お客様に喜んでほしくて、酔わずに酔う方法を、私は磨き続けた。
いつか、作業療法室でもらった宿題。
その答えの一つを、私は、今日、気づくことができた。
今日、あやめが、私の傍に来てくれた。
それが、私にたくさんのゆとりを彩ってくれた。
だから、私は、答えに気づくことができた。
「ありがとう…。」
遠くの席で、お客様と微笑み合うあやめを小さく見つめ、私は、想いを奏でた。
店が閉まり、酔い潰れる女の子たち。
私は、いつものように掃除を終えて、辛そうな子に声をかけていく。
その中には、あやめも居た。
「あやめちゃん、大丈夫…?」
「飲み過ぎちゃった。もうへろへろ。嬉しくて、つい…。」
「お酒、飲んじゃったの…?」
「ん?ジュースだよ。お腹たぷたぷ。」
ぐったりとしながら、横になっていたので、酔っていると思っていた。
みんな、そうだったから。
でも、あやめは、気持ち悪くなるくらい、ジュースを飲んでしまっていた。
私は、それが何だかおかしくて、思わず笑ってしまった。
「あやめちゃん、いつもしっかり者なのに、珍しいね。」
「それがね、お菓子に、アルコールが入ってたみたいで…。」
「あら…、やっぱり酔ってたのね…。」
「そうなのかな?そうかも、そうだったら、どうする?お姫様抱っこしてくれる?してくれるよね?ねえ、ぎゅーってしよ?再会できたのに、まだ、ちゅーもしてないよ?」
少し呂律の回らない音色で、勢いよく奏でたあやめは、そっと瞼を閉じる。
触れ合う唇に、香るアルコール。
やっぱり、あやめは、凄く酔っていた。
「見ちゃいけないものを、見てしまったわ…。」
「ね…。でも、どうしてかな、目を離せない。離したくないわ…。」
「ガン見よ、ガン見。目に焼き付けるのよ。」
私たちを囲む音色さえも気に留めず、私たちは、温もりを分かち合った。
「歓迎会を考えていたけど、この惨劇は、無理そうね…。」
「まあ、しゃあないな。今日、過去一の売り上げやったし。」
お姉ちゃんとオーナーが、部屋に入るなり、ため息を奏でた。
「これは、本当に、ナンバーがひっくり返りそうね。」
「何や、もう負け宣言か?」
「私のナンバーは、何でも良いわよ。給料も変わらないし。」
「もう乙女やないってことやな…。天使ちゃんを見習いや…。」
「ゆりちゃんも、ナンバーなんて気にしてないわよ。シークレットにしてるくらいだし。」
「ん?なら、何が気になるん?」
「みんな、ゆりちゃんを崇拝してるところあるでしょう?人間関係が、歪まないかしらって…。」
「まだまだ、甘いな。どっちもナンバーも売り上げもシークレットや。あやめちゃんが目立ち過ぎて、他店に目をつけられたら困るしな。」
「オーナーは、後ろ盾もないですものね…。」
「一応、繋がりはあるで。せやないと、初日で潰されてるわ。」
「…そこは、聞かないでおきますね。」
「待って、待って。黒ないで?ややグレーなだけや。」
「これ以上、聞くと、巻き込まれそうなので、聞きません。」
「どんな怖いこと、想像してんねん…。」
「ん、一言で表すなら、ケチ関西人の、可哀想な末路…。」
「…泣くで?」
「慰めてあげましょうか?」
「ええの?」
「嫌です。」
「何でやねん…。」
「何でやねえん。」
突然、鳴り響く旋律に、控室に居た全員が飛び跳ねる。
ただ一人、それを奏でた少女を除いて。
「あ、あやめちゃん…。」
それは、拳を高く突き上げ、楽しそうに笑っている、あやめの姿であった。
「あの子が、不動のトップに君臨し続ける理由、今日一日だけで、何となくわかったわ…。」
お姉ちゃんが、頭を抱えながら、小さくため息を奏でた。




