第5回 顧雍、会稽郡丞となる
会稽太守の孫策が死亡したことにより、中央ではその弟の「孫権」を若干一九歳であるが、その後継者として認め、会稽太守に任命した。
この時、新たに「会稽郡丞」に任命されたのが顧雍である。
「郡丞」とは、太守の補佐役であり、場合に応じては代理となる者の事である。
本来であれば、孫権は会稽郡の郡治である「山陰県城」に入るべきであるが、呉郡の郡治である「呉県城」に留まった。
理由としては、二つある。
まず、江東全域を統括するには、場所的に呉県城が最適であること。
そして、もう一つの理由は、山陰県城は、孫策がかつての城主であった「王朗」と戦った時に、荒廃してしまい、そこで執務を行うのが物理的に難しいというものがあった。
では、会稽郡丞となった顧雍はどこにいたのか。
顧雍も山陰県城が荒廃している理由から、呉県にいた。
ある日、孫権から呼び出しがかかった。
顧雍は拝礼し、挨拶をした。
「会稽郡丞を拝命しました顧雍元歎、参上致しました。」
「うむ・・・。元歎、と呼ばせてもらってよろしいか。」
「もちろんでございます。」
「元歎よ。そなたのこれまでの県長、県令としての治績の話は聞いている。そこで、大役を任せたいと思っている。」
「大役、でございますか。」
「ああ。私は会稽太守に任命され、元歎は会稽郡丞に任命された。元歎、郡丞の役割とは何だ。」
「はい。太守様の補佐、そしてご不在の場合など、必要があるときにその代理をつとめることです。」
「その通りだ。そこで、大役と言うのは元歎、会稽郡に関する一切を、お前に任せたいと考えている。」
「一切、と言うと・・・。」
「政はもちろん、軍事を含めての話だ。」
「太守様。私は、武官としての経験は全くありませんが・・・。」
「知っている。しかし、それでも、県長、県令として、軍の改革をしてきたであろう。」
「県と郡では、規模が違います。まして、郡の軍を預かる都尉に関しては、官位も私より上になります。」
「しかし、それは太守より全権を委任されていれば問題なかろう。」
「確かに、そうではありますが・・・。」
「まあ、いい。私としては既に決めたことだ。元歎、お前に会稽郡に関する太守の権限、一切を委ねる。この命令は、会稽郡に駐留する軍人たちにも私の命令として届けておこう。」
「畏まりました・・・。精一杯、つとめさせて頂きます。」
こうして、顧雍は郡丞として、会稽郡太守の代理をつとめるという大仕事を孫権より、任されたのである。




