第23回 顧雍、孫権を止められず
孫登は、自分の後の太子にふさわしいのは弟の「孫和」であると遺言に残した。孫権もその意をくみ取り、二四二年、孫権六〇歳の時に太子に孫和を据えた。
これで、後継問題は落ち着いたかといえば、そうではない。
孫権は孫和を太子にしたが、その一方で、孫和の異母弟である「孫覇」を魯王に任命し、太子である孫和と同格の待遇をするようになったのである。
この決定を顧雍はどう考えていたかと言えば、「反対」であった。
顧雍の考えでは、嫡出の順位というものは重んじるべきであり、孫覇が後継者候補に出てくる時点でそれは間違えである、と思っていた。
しかし、孫登を失ってからの孫権の精神は不安定であり、顧雍がこの後継問題に口を出して反対をすれば、政に大きな影響が出る、と思い、意見することを控えた。
あとは、何と言っても顧雍の年齢も既に七五歳と高齢であり、本来であれば引退をしていてもおかしくないところまで来ていた。
しかし、現状で後進に道を譲れば、必ずや孫権の逆鱗に触れ、若き才能を失いかねないと思い、老体に鞭を打って政務に励んでいる状態であり、後継問題の方まで口を出すことが出来なかった、という側面もある。
そして、とうとうこの時がやってくるのである。




