第22回 顧雍、孫登の死を見送る
太子の孫登は人格に優れ、その能力も孫権の後継者として誰もが相応しい、と考えていた。
しかし、唯一の欠点を挙げれば、子供の頃より体が強い質ではなく、その体質は今も変わらないところであった。
孫登は顧雍を先生と慕い、尊敬をしており、頻繁に顧雍邸を訪ねて来る。家人にも仰々しい出迎えは不要である旨を伝えているので、今は孫登が出入りをしているのを気にすることはほとんどなくなっていた。
孫登が言う。
「先生。政の要諦をお教えください。」
「太子。もし、その様なものがあるなら、私が教えて頂きたいくらいです。要諦とまでは言えませんが、心がけ程度であれば、お伝え出来ます。」
「では、政の心がけとは何でしょうか。」
「静と動、でしょうな。」
「静と動・・・。」
「ええ。まず、静であることが私の理想です。つまり、何もしなくとも、国も民も困らない。」
「何もしない・・・。」
「そうです。何かをするのが、動、です。動かざるを得ない、若しくは動いた方が国や民のためになるのであれば、躊躇うことなく動くべきです。」
「なるほど・・・。私からすると、国政を預かる者は動であるべきだと思うのですが・・・。」
「動いた以上は結果を出さなければなりません。そして、動かざるを得ない状況になるということは、外的要因としては戦や外交であり、内的要因としては何か問題が発生している、と言うことです。」
「なるほど・・・。そういうことが無く、政情が安定していれば、こちらが何もしなくともよく、静の状態が望ましい、ということでしょうか。」
「そうです。人間、何もしないというのは実に難しいのです。常に改善、改革を考えるのも悪いことではありませんが、あまりにも小にこだわると、今度は大が見えなくなります。そうなれば、本末転倒ということになります。」
「なるほど、よくわかりました。それが、皆が先生を沈黙の宰相、という所以でございますね。」
「私が、沈黙の宰相・・・。」
「ご存知ありませんでしたか。先生は無駄口を叩かず、必要な時のみ言葉を発し、その言葉は必ず的を射ていると評判でございます。」
「ははは・・・。その様に言われているのは知りませんでした。」
この様に、日々、孫登は学ぶことを怠らず、謙虚な姿勢で人に接することのできる人物であった。
しかし、この孫登の命の灯は突然、消えた。
享年三三歳の若すぎる死であった。
悲しみが呉の国全体を覆った様な感じであった。
そして、もっともこの死に衝撃を受けたのは皇帝であり、父である孫権であった。孫登の話が出るたびに涙するというほどの悲しみ様であった。
顧雍も孫登の死には少なからず、衝撃を受けた。
体が弱いのはしょうがないことであり、そこは将来の側近たちがしっかり補佐すれば何とかなる、と思っていたのである。突然の訃報に顧雍も涙したが、自分がここで立ち止まることは許されない、ということを顧雍は理解していた。
「冷静に淡々と職務を行う、それ以外は不要だ。」
顧雍は自分にそう言い聞かせ、今までと変わらずに政務にあたった。しかし、孫権はそうではなかったのである。




