第24回 (最終回)顧雍、死す
二四三年、顧雍が亡くなった。享年、七六歳であった。
丞相をつとめて約二〇年間、呉の「理性の柱」として、全身全霊を傾けて政務に邁進した。
孫権は顧雍の死を聞いて腰が抜けて、しばらく立てず、その死を悼んで涙した。そして言う。
「もう、あの静かで無駄のない助言を私は聞くことが出来ないのか。普段は話さず、そして話せば必ず的を射たものであった・・・。これまでの功績を称え、諡号は“粛侯”とする。」
顧雍は死に際に特段、何も言い残すこともなく、静かに息を引き取った。まさに、顧雍らしい、静かな死であった。
■おわりに
顧雍の話す言葉に無駄は無く、孫権自身も、顧雍は口数こそ少ないが、話す内容は常に的を射ていた、と激賞していたと言われています。
顧雍の死後、孫権は誰も丞相を任命していません。
顧雍に代わる人材がいなかったのか、丞相という政務を取り仕切る役目の者を孫権自体がもう必要としていなかったのか、その理由ははっきりとはしません。
しかし、もし、顧雍が丞相として政務を担当して国内を整えていなければ、呉の滅亡と言うのはもっと早かったのでは、といっても言い過ぎではないと思っています。
実際、顧雍の死後、呉の国力は徐々に低下し、混迷を極めていきます。
軍人ではないので、戦陣での派手な活躍などは存在しませんが、内政担当の筆頭として、ここまで徹底して国に尽くした人物は、三国志の中でもそれほど多くは見当たらないと思います。しかも、丞相と言う重職を担い続けたのは、比較対象になるのは、諸葛亮くらいに思います。
「沈黙の宰相」という、顧雍の魅力は出し切れたかわかりませんが、ここで終わりとさせて頂きます。
それでは、また次回作でお会いしましょう。
涼風 隼人
■参考文献
・歴史群像シリーズ⑰三国志上巻⑱三国志下巻(学研)
・世界史劇場 正史三國志 神野正史(ベル出版)
・地図でスッと頭に入る三国志 渡邉義浩(昭文社)
・「三国志」の政治と思想 渡邉義浩(講談社選書メチエ)
・正史 三国志1~8 陳寿・今鷹真・井波律子・小南一郎(ちくま学芸文庫)
■参考情報(インターネット掲載情報)
・ウイキペディア
・三国志人物伝
・今日も三国志日和
・もっと知りたい!三国志
・後漢と三国
・歴史の史実研究所
・歴史の読み物
・正史三国志人物列伝 英雄と凡人のその真実
・いにしえ中国史
・草の実堂
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