第18回 顧雍、再度の合肥新城への侵攻を見守る
孫権の合肥への執念は衰えなかった。
再び合肥新城侵攻を宣言したのである。
しかも、今回の作戦の規模は前回をはるかに上回るものであり、それに費やす国費も莫大である。
今回は孫権自ら一〇万の兵を率いるほか、陸遜と諸葛瑾は漢水から襄陽へ、そして孫韶と張承は淮水から広陵・淮陰へ進軍するという三方面での軍事活動を同時に展開するというものであった。
これは、蜀漢の諸葛亮の北伐に合わせての行動であり、魏の主力がそちらに振られると見ての作戦であった。
孫権自らが立案した、満を持しての作戦であった。
孫権が顧雍に聞く。
「昨年は伏兵にしてやられたが、今回はこちらも十分に準備を重ねた。まさか魏の方でも、これだけの大軍を我が呉が起こすとは考えていまい。」
「確かに、おっしゃる通りです。しかし、動員する兵力、作戦展開面の広さから言えば、前回の数倍の規模であり、その分、莫大な国費を要します。」
「金が無いからやめろと申すか。」
「いえ。この戦で国庫が空になることはありません。しかし・・・。」
「しかし、何だ。」
「もう一度同規模以上の軍事行動を起こすとなると、国は立ち行かなくなります。今回成功すればそれでよし、しかし、万一敗退するようでしたら、少なくとも数年間は積極的な軍事行動をお控えください。」
「・・・。わかった。必ずや、勝利をおさめて見せよう。丞相は、留守を頼む。」
顧雍は、拝礼して退出した。
顧雍としては、この作戦を止めたいところであるが、皇帝である孫権がここまでこだわる以上、その行動を容認せざるを得なかった。失敗したときの国庫の状況を理解してもらえたのが唯一の救いであった。
孫権は一〇万の兵で合肥新城を包囲した。
しかし、籠城を決断した満寵は、少ない兵力の中、積極的に火攻めを行い、呉軍の攻城兵器の破壊を試みるなど、自ら戦況を動かしてきた。
そして、満寵の守る合肥新城に全く隙を見いだせず、呉軍の兵士の士気が低下してきた頃、何と魏では曹叡が合肥新城への応援のため、親征を決定したという情報が入ってきた。この決定を聞き、孫権は全軍に撤退を命じた。
かなり大掛かりな軍事行動であったにもかかわらず、またもや何の成果も挙げられずにこの戦いは終わったのである。




