第17回 顧雍、合肥新城侵攻に反対をする
西暦二三三年、孫権は、曹魏の合肥新城への攻撃を行うことを宣言した。
合肥に関しては、かつても孫権がその奪取に意欲を燃やして出兵したが、魏の名将「張遼」に撃退された過去を持つ。
合肥新城は、魏の名将「満寵」が合肥城をより防御に適したものとして、新たに築城したものである。
合肥城より内陸に築城し、呉軍が得意とする水軍を使えないようにし、陸戦を強いられる場所に築城されている。
陸遜は言う。
「陛下、今回の合肥新城への侵攻は反対致します。」
「理由を申せ。」
「まずは、以前の合肥城より内陸に築城され、水軍が使えないこと。更に、完全に防御に徹した造りで、曹魏の名将である満寵が築城をし、自ら守っており、攻めるに難い城だからです。」
「しかし、合肥を何とかしない限り、我ら呉が北に勢力を伸ばすのは非常に難しくなる。」
「それはおっしゃる通りです。しかし、今はまだその時ではないと考えます。」
「では、その時はいつ来るのだ。」
「・・・。まずは国力の増進、そして、曹魏に綻びが生じるのを待つべきです。」
「話にならん。上大将軍が反対しても、私は今回の作戦をやめる気は無い。丞相、戦費、兵糧は大丈夫か。」
「そちらの心配はありませんが、上大将軍の意見、今一度、お考え下さい。」
「丞相も反対か・・・。しかし、合肥新城の出来たのを黙って見過ごすことは出来ぬ。よって、作戦は決行する。」
こうして、陸遜も顧雍も反対した新合肥城への侵攻が開始された。
孫権の肝いりの作戦であり、自ら親征することにした。
合肥新城の兵力は一万程度との報告を受けており、今回孫権が用意したのは五万の兵であった。
孫権軍は意気揚々と上陸を果たし、合肥新城に向かって行くが、ここで満寵の伏兵にかかる。まずは弓矢での攻撃を行い、呉軍がひるんだところに軽歩兵を突撃させた。
押し込んだところで、とどめは軽騎兵の突撃であった。
結局、孫権自らの親征にも関わらず、呉軍は合肥新城に触れることなく、退却を余儀なくされたのである。




