27.ブレアへの正式依頼
伯爵邸へ戻って夕食を共にした後、私たちは改めてガーネット様と向かい合った。
応接室の灯りが柔らかく部屋を照らす中、ガーネット様は少し居住まいを正してから、私に向き直る。
「今日、街を歩きながらお話を聞いて……正直、驚きました。私が何年もかけて悩んでいたことへの答えが、たった数時間の視察の中から出てくるなんて」
「商売柄、そういうことを考えるのが好きなんです。ガーネット様だって、ずっとこの土地と領民のことを考えていますよね? それと同じです」
そう答えたら、ガーネット様の肩の力が一瞬だけ抜けた。
だけどすぐに表情を引き締めると、少し間を置いてから彼女は言った。
「ブレア様。今日あなたとお会いして、このマルリックのためにも正式にお力をお借りしたいと思いました。ですので――レイバン商会として、マルリックの観光事業の立て直しに関わっていただくことはできますか?」
「……それは、レイバン商会への正式な依頼ととらえても?」
ガーネット様は深く頷く。
「はい、そうです」
私はすぐには答えず、少し考える。
レイバン商会は、自分たちの理念に基づいた店や物を作り、商品を開発し、貿易をする。
基本的には、自分たちがやりたいことを商売にしている。
一方で今回のように、外からの依頼を受けて立て直しに入ることもある。
それ自体は珍しいことじゃないんだけど……。
私はゆっくりと口を開く。
「可能です」
ガーネット様の表情がほっと緩みかけたその直後に、私ははっきりとした口調で続けた。
「ただし、うちは安くありません」
「覚悟の上です。それで、具体的には……」
すべてを算出してみないとはっきりとした金額は分からないけど、概要でよければと前置きして続ける。
「関わり方によって、金額は大きく変わります。 提言書と計画書の作成のみであれば、五十~百万ダルクほど。 商品の開発や宣伝までお引き受けするなら、五千万は見ていただく必要があります。 さらに施設の設計や工事の監修まで含めるとなると――最低でも一億ダルクは下りません」
「一億っ、ですか」
もちろん、ガーネット様の意向を無視することはしない。
収益が出て、なおかつお客様にも満足いただける形に作り変える。
ただ、ガーネット様の表情と、大まかに予測できるマルリックの財政状況を考えれば、この金額の支出がかなりの負担になることは分かっていた。
だから私は、今回三つの選択肢を示した。
計画書だけでも数字を上向きにさせる自信はあるものの、金額の問題を除けば、三つ目の丸ごと請け負う形が一番効果を出せることも分かっている。
ただ、最初にかかる費用が莫大である以上、このマルリックにそれだけの資金をすぐに動かせる財力があるとは思えなかった。
内心では、現実的には一番初めの案か、余力があるなら二番目に落ち着くだろうと考えていた。
ガーネット様は少しの間俯き、唇を噛み締める。
だけど、ゆっくりと顔を上げたガーネット様は言った。
「……分かりました。では、レイバン商会にすべての監修をお願いすることはできますか」
それは静かだけど、迷いのない声だった。
ただ、気になることはあった。
「失礼ですが、その金額を出せる余裕はありますか? 現状を鑑みるに、一度に一億ダルクを捻出するのはかなり厳しいのでは」
隣でオーウェンが微かに息を呑んだのが分かった。
ただ大きな金額が動く以上、曖昧にせず、確認しておかないといけないことだった。
ガーネット様は少しの間、静かに私を見つめていた。
それから、ゆっくりと口を開く。
「実は、嫁いだ時に持参した個人の財産が手つかずで残っています。それを全て充てます。ちょうど一億ダルクあります。足りない分は、マドランの予算から捻出してお支払いいたします」
その言葉を聞いて、私はガーネット様が本気だということを理解した。
同時に、娘に一億ダルクの支度金をぽんと渡せるモーリス公爵という人物の圧倒的な力を、改めて実感した。
彼女は、本気でマルリックを変えたいと思っている。
それなら、私の答えは一つだ。
「分かりました」
私はにこりと微笑んだ。
「ただ、ガーネット様の個人財産は、万が一の時のために手元に置いておいた方がいいかと思います。代わりに今回の工事費、開発費、その他諸々にかかる費用は、まず全てうちが出しましょう」
ガーネット様が目を見開く。
「そ、そんな……それでは申し訳が」
「ガーネット様には、もともとその提案をするつもりでいましたから。その代わり、今回うちが再整備に関わる観光施設や事業から得られる収益の五%を、三年間だけレイバン商会に渡してください。後払いで構いません」
かかる費用は膨大だ。
設備の整備、碧の泉の改修、お土産の開発、宣伝…… 全て合わせれば、おそらく一億におさめることは難しい。
だけどそれだけの投資をする価値が、このマルリックにはあると判断している。
一方で、ガーネット様はしばらく言葉を失っていた。
「……本当に、よろしいのですか。その条件ですと、費用を回収できない可能性もあるのでは。そうなったらブレア様にとって、何の利益も取れないと思うのですが」
正直に言えば、今のままでは完全に赤字である。
だけどそれは、現在の収益規模を前提にした話だ。
収益が上がれば、五%という数字の意味も変わってくる。
そしてその収益を上げるのは、他でもない、私の仕事だ。
――それに、もう一つ考えていることがある。
マルリックには今、富裕層を受け入れられる宿がない。
昨日泊まったあの宿くらいだ。
そして、周辺の土地には、整備が必要だけどかなり広い場所があったのは確認済みだ。
なら、私があの土地を購入して、富裕層用の宿を建てればいい。
バリエスの前哨戦とでも考えればいい。
彼らがマルリックにお金を落とせば落とすほど、観光収益が跳ね上がる。
うまくいけば三年で回収どころか、倍以上の利益になる可能性もある。
慈善事業のつもりは、毛頭ない。
「ガーネット様にとっても、うちにとっても、損のない話にするつもりです」
肩をすくめると、ガーネット様はくすりと笑った。
それから彼女は、決意をにじませた顔で言った。
「分かりました。その条件で、ぜひお願い……」
「ですが、少し待ってください」
私は穏やかに、だけどはっきりと彼女の台詞を遮った。
「今すぐにではなく、せめて一晩、じっくり考えてからにしていただけませんか?」
ガーネット様が驚いたように瞬きをする。
「今夜改めて内容を整理したものを文書にまとめてお渡しします。それをご覧になってからお返事をいただければ十分です」
「……あなたは、不思議なお方ですね。てっきり、契約を急かされるものだと思っていました。機を逃さないようにするのが商売というものかと」
そういう商人も多いし、かくいう私だって、オーウェンやアインとの契約はその場で即座に決めた。
だけどお金が大きく動く話は、別だと思っている。
「どれだけ良い話でも、納得のないまま進めた契約はいつか必ず綻びます。ガーネット様が本当に納得した上で決めてほしいんです」
マルリックを想うガーネット様の決断には、ここに住む人たちの未来が乗っている。
商人として利益はほしいけど、それでも、彼女には後悔してほしくなかった。
「なにせ私の信条は、関わった人たちが全員幸せになる商売をする、なので」
私がそう告げると、ガーネット様は少しの間、私の顔をじっと見る。
それから、ふっと微笑んだ。
「分かりました。ではじっくり熟考した上で、改めてお返事をさせてください」
「よろしくお願いします」
その夜、私は伯爵邸で用意してもらった部屋に入るなり机に向かった。
頭の中にあるものを全て紙に落とす。
足湯の改善案、蒸籠蒸しの価格設定、碧の泉の整備と夜間観覧の仕組み、富裕層向けの宿の建設計画、お土産の開発案、宣伝の方針――。
それぞれの概算費用と、回収までの見通し。
ガーネット様が読んで判断できるよう、できる限り分かりやすく整理する。
数時間後、文書はガーネット様の手に渡った。
部屋に戻ると、オーウェンはまだ起きていた。
「先に寝ていてください。私はまだ少しかかりそうなので」
「書類はもう渡したんじゃないのか?」
「ええ。ですが、今のうちから具体的な開発計画を練り始めたいなと」
ガーネット様からの正式な返事はまだだけど、もしも前向きな返事をもらえた時に、すぐに動けるようにしておきたい。
「分かった」
それだけ言って、オーウェンは横になるのかと思いきや、なぜか部屋の外へと出て行く。
しばらくして戻ってきた彼は、私の手元にそっと温かい飲み物を置く。
「ありがとうございます」
私は小さくそう返して、また手を動かし続けた。
背後でオーウェンがベッドに入った衣擦れの音を感じながら、私はマルリックの地図を広げ、ひたすらにペンを走らせる。
頭の中では既に、三年後のマルリックの姿が動き始めていた。
翌朝。
朝食を終えた後、ガーネット様は改めて私たちを応接室へと招いた。
テーブルの上には、昨夜私が渡した文書が置かれていた。
「昨夜、じっくりと拝読しました。やはり、あなたにお願いしたいと思います。レイバン商会に、マルリックの観光事業の立て直しを」
ガーネット様の顔には昨日と変わらず、迷いはなかった。
彼女は私へ手を差し伸べる。
「お任せください。 私が関わる以上、損はさせません」
私も彼女に倣って腕を伸ばすと、その手をしっかりと握った。




