26.街に眠る可能性
ガーネット様の言葉を受けて、私は商人としての顔を作って彼女に向き直る。
「私で力になれるなら、お話を聞きましょう」
ガーネット様はここで一度小さく息をつく。
「先ほどもお伝えしましたが、マルリックでは維持費や補填で出ていくお金は多いのに、それを補えるだけの収益が上がっていないんです。加えて、この地方を守る騎士たちへの補填もあります。夫がそうしていたように、私も続けてきましたが、このまま支え続けられるかというと……」
続きを言うことを躊躇うように視線を揺らし、言葉尻が細くなる。
みなまで言われなくても分かる。
マルリックは、マドラン地方において財源を確保するための要だ。
けれどそこが立ち行かなくなると、マドラン地方全体の財政が破綻する危険があると。
かといって、地方騎士団の補填分を減額することも難しいだろう。
「私は父から、領地経営の基礎は学んできたつもりです。 でも、商売の広げ方となると、どうしても見えないことが多くて。ブレア様は、きっと私よりずっとそういうことにお詳しいですよね」
「はい。本業ですから」
騎士たちの訓練方法については力になれないけど、商売ということであれば話は別だ。
「今日街を見て、何かお気づきになったことはありませんでしたか? 率直な意見を伺いたいんです」
私はすぐには答えず、お茶を口に含みながら、マルリックで見たものを頭の中で並べ直す。
温泉卵と蒸籠蒸しの施設。
碧の泉と市場の賑わい。
観光客の顔ぶれや、街の人々の声。
それ以外にも、この街について感じたこと……。
整理を終えた私は、カップを置くと、ガーネット様にあることを告げる。
「あの、それをお伝えする前に一つ、お願いがあります」
ガーネット様が少し身を乗り出す。
「碧の泉とは別に、もう一つ源泉があると伺いました。立ち入り禁止とのことでしたが、許可をいただければ見せていただけませんか? 私の方で、参考にしたいことがありまして」
ガーネット様は少し驚いたように目を瞬かせたけれど、すぐに柔らかく微笑んだ。
「それくらいのことでよければ、喜んで。明日ご案内します」
よし。
これで、私がガーネット様に会いたかった理由の一つは果たせた。
私はゆっくりと言葉を選びながら、感じたことを口にする。
「……まず、前提として。マルリックは、すでに十分魅力のある街です。温泉もありますし、食べ歩きもできる。景色も良くて、観光地としての土台はかなり整っています」
「ありがとうございます!」
「ただ、その魅力を、収益にきちんと結びつけられていないように感じました」
足湯も碧の泉も、無料で楽しめる。
温泉卵や蒸籠蒸し、屋台などに並ぶ食べ物の値段は非常に良心的だ。
宿屋だってうちの商会のものをはじめ、価格帯は全体的に控えめで、富裕層を迎えられるような高級宿はほとんど見当たらなかった。
今のマルリックは、手頃で気軽に来られる街としては成功している。
だけど商人目線で見れば、もったいないと思える部分がとても多かった。
逆に言えば、収益を伸ばすための改善策が、まだまだたくさんあるということだ。
私は少し考えてから、立ち上がった。
「実際に現場を見てもらいながら説明した方が早いかもしれません。もう一度、街を歩いてもいいですか?」
ガーネット様が少し驚いたように目を瞬かせたけれど、すぐに頷いた。
「もちろんです」
夕暮れ時の街は、昼間とはまた違う顔を見せていた。
空が茜色から徐々に夜の色を帯びてきて、屋台の灯りそれに合わせてぽつぽつと灯り始めている。
最初に足を止めたのは、足湯の場所だった。
「ここを見てください」
私はまだ足を浸している観光客の一団を指さした。
タオルを持っていない人たちも何人かいて、濡れてしまった足をどうしようかと困っている様子だった。
幸い何人かが予備のタオルを持っていたようで、事なきを得たようだ。
「足湯を楽しんだあとで、足を拭くものがないと困りますよね。せっかく気持ちよく温まっても、最後に困ってしまったら少し残念です」
とはいえ、今まで無料だった足湯そのものを、いきなり有料にするのはおすすめしない。
気軽に利用できることも、この場所の魅力だからだ。
「なので、足湯はこれまで通り無料にして、必要な人だけタオルを購入したり、有料で借りたりできるようにするのはどうでしょう?」
高い物でなくていいのだ。
利用する側からすれば、必要な時にすぐ手に入るだけでも十分便利なはずだ。
「あとは、このすぐ隣で気候に応じた飲み物を販売しても面白いと思います。夏は冷たい物、冬は温かいもの。その売り子にタオルの販売や貸し出しも任せれば、新しく人を雇う必要もありません」
「なるほど……! 小さなことのようで、確かに積み重なれば大きな差になりますね」
ガーネット様は手元のノートに素早く書き留めていく。
彼女が書き終えるのを待ってから、次に向かったのは蒸籠蒸しのエリアだ。
夜の時間帯でも、昼と変わらず多くの人で賑わっていた。
私は壁に掛けられた料金表に目を向ける。
「ここの料金設定ですが、あまりにも安すぎる印象を受けました」
「私も初めはそう思いました。主人のお父様の時代からこの値段だそうです」
となると、二十年ほど前からだろうか。
だけどその時代と比べたら、物価は少し上がっている。
蒸籠蒸しの材料を用意する人の人件費や設備費を考えたら、赤字なんじゃないだろうか。
周囲に聞こえないよう小声でガーネット様に尋ねたら、彼女は苦い顔になる。
「ですが、あまり高くすると来てくれなくなるのではないかと……」
「地元の方は食材を各自で持ち込んでいるので、これまで通りでいいと思いますが。観光客は旅先だと、財布の紐が緩みます。それに、ここで用意されていた食材自体もどれも良質な物でした。価値があるものには、それなりの価格を付けるべきです」
あと、今は係の人に蒸してもらった料理を食べているけど、自分で蒸して作る体験型にしてみて、体験料を取る方法もある。
「食材も今は決まったセットのものになっていますが、ある程度自分でも選べるようにして、というのも面白そうですし。あ、でも選ぶのが面倒な人もいるので、これまで通りの決まったメニューは残しておいた方がいいですね」
他にも思いついた案をどんどん口に出していき、それらをガーネット様が先ほどと同じようにメモに記していく。
蒸籠蒸しのエリアを出て、まだまだ賑わいを見せる大通りを歩きながらも、私は気になったことを片っ端からガーネット様に告げる。
そして最後に辿り着いたのは、碧の泉だった。
薄暗い夕暮れの光の中でも、コバルトブルーの色は昼間とはまた違った趣を見せていて、とても美しかった。
が。
「個人的に、この場所が一番もったいないと思いました」
「碧の泉がですか?」
「はい。この碧の泉は、この国だけでなく、この大陸の中でも類を見ない景観です。しかもそんな特別なものが、無料で見られます。もちろん、このまま無料で開放するのも一つの考え方です。ただ、ここでしか見られないものなら、入場料を取るという選択肢があってもいいと思います」
とはいえ、今まで無料だった場所をすべて有料にすると、反発も出るのは避けられない。
だから、私なら無料で見られる場所は残す。
だけど同時に、お金を払ってもいいからもう少し近くで見られたらいいかなとは思う。
そう告げると、ガーネット様が少し眉を寄せた。
「でも、安全のために近づけないようになっていますし……」
「ちゃんと調べないと断定はできませんが。距離を縮めることは可能かと」
それに今の柵はかなり視界が悪い。
間隔を広げるだけでも見え方は変わる。
泉の傍の障害物を取り除けばもっと全体を見渡すことができる。
「他に、夜のライトアップも面白いですよね」
例えば、周囲に篝火台を並べてみるとか。
炎の色とコバルトブルーの対比は、昼間の美しさとはまた別の魅力になるはずだ。
もちろん、近くで火を使っても問題ないかの安全確認は必要だけど。
「磨いた金属板や白い石を反射板にして、炎の背後に置いて、少ない光源で広い範囲を照らす方法もありますよね」
そうなると最終的には例えば、こんな感じだろうか。
「すこし柵の幅は広げて、柵越しに見るだけなら無料のまま。ですが、安全に近くから見られる観覧台を作って、そちらは有料にする。あるいは、夜の特別観覧だけ料金を取る。無料で楽しめる余地を残しながら、お金を払えばもっと特別な体験ができるようにするんです」
言いながら、他にも思いついたことを口に出す。
「そうだ、それにここに来る前から思っていたんですけど、碧の泉にちなんだお土産を開発しましょう。コバルトブルーのソーダに、青い温泉まんじゅうとか。買って帰る人は絶対にいます。そうすれば一人当たりの消費額も今よりぐっと大きくなりますから。それに……」
「ブレア、少し落ち着いてくれ」
突然、これまで黙って付き添っていたオーウェンの静かな声が、私の言葉を遮る。
彼は穏やかな表情のまま、視線だけをガーネット様の方へ向けていた。
慌ててガーネット様を見ると、手元のノートを必死に走らせながらも、追いつかない様子で小さく口を開いては閉じている。
「……申し訳ありません。少し、まとめてお話しすべきでした」
つい熱が入りすぎてしまった。
私はガーネット様に素直に頭を下げる。
「い、いえ! 全部とても面白い案で、聞き逃したくなくて……」
ガーネット様は慌てて首を振ったけど、ノートを持つ手が微かに震えているのを見ると、かなり必死だったんだろう。
「でしたら、今日のところは一旦ここまでにして、詳しい内容は、明日にでも文書にまとめてお渡しします」
「ありがとうございます。……本当に、次から次へと出てくるんですね」
ガーネット様は感心したようにそう言って、碧の泉を見渡した。
「少し確認してきたいことがあります。周りを歩いてきてもいいですか?」
「もちろんです」
そうしてガーネット様は、従者を伴って泉の周囲をゆっくりと歩き始めた。
残された私とオーウェンは、並んで碧の泉を眺める。
夕暮れの光が薄れ、泉のコバルトブルーが闇の中でも静かに輝いていた。
しばらく黙っていたオーウェンが、ふと口を開く。
「……今回の視察の間、ずっとあんなことを考えていたのか」
「あんなこととは?」
「足湯を見れば改善策が浮かぶし、蒸籠蒸しを食べながら値段を計算して、碧の泉を見ればお土産の案まで出てくる。俺にはとても真似できない」
「そういうのを考えるのが好きな一族なもので」
私が素直にそう答えたら、オーウェンは少し笑ったあと、柔らかく目を細めた。
「知っている。だから、止めるのが少し惜しかったくらいだ」
「え?」
「君のそういうところを、俺は好ましいと思っている」
「…………」
まさかこんなにストレートな誉め言葉を正面から受けるなんて。
さすがに少し照れる。
思わず無言になっていたら、近くにいた観光客らしき数人の声が聞こえてきた。
「ねえ、あの二人、すごく雰囲気良くない?」
「ほんとだ。なんか見てるこっちがドキドキする」
「もしかして、あれって噂の溺愛夫婦じゃない? ほら、王都の……」
「え、本物!?」
別にそういうつもりは全くなかったんだけど。
私が内心でそう思っていたところへ、戻ってきたガーネット様の声が降ってきた。
「あら……お邪魔でしたかしら」
見ると、ガーネット様が口元に手を当てて微笑んでいた。
「邪魔だなんてとんでもないです」
私がそう答えると、ガーネット様はくすくすと笑いながら言った。
「お二人は本当に噂通りなんですね」
否定は……さすがにできない。
なのでにこりと笑顔を作り、私はオーウェンの腕をそっと取ると、オーウェンも特に何も言わずに自然と私の方へ体を寄せた。
――だけど彼の口元が、普段の演技の時とは少し違う緩み方をしていたことに、私は気づかなかった。




