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【受賞作・書籍化】婚約破棄をでっち上げられた商人令嬢は、面倒ごとを避けるため堅物騎士と契約結婚します。〜これで仕事に集中できる!〜  作者: 春樹凜
第三部 新婚旅行とそれぞれの想い

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25.オーウェンへの依頼


 

 街の案内も終わり、私たちは再び伯爵邸へと戻ってきた。

 応接室に通され、今度は別のお茶が用意される。

 当然こちらもマルリック産のものだ。

 

 窓の外には、夕暮れに染まり始めたマルリックの街並みが見えた。

 昼間に見た白い湯気が、今は茜色の空の下でやわらかく揺れている。

 

 ガーネット様は私たちの正面に腰を下ろすと、ほっとしたように微笑んだ。


「今日は本当にありがとうございました。お二人に街をご覧いただけて、とても嬉しかったです」

「こちらこそ。案内いただいたおかげで、この街のことがもっとよく分かりました」


 私がそう返すと、ガーネット様は、それなら良かったですと頷いた。

 けれど、その笑みはすぐに少しだけ揺らぐ。

 カップを両手で包むように持ち直し、ガーネット様は一度視線を落とした。


「……実は、お二人にご相談したいことがあるんです」


 さっきまでの明るさはなくなり、どこか陰りのある静かな声だった。


 ……なんとなく、そんな気がしていたのだ。

 モーリス公爵が気に入っているとしても、私たちはガーネット様と面識がない。

 それでも会いたいと言われた時点で、何か別の理由があるのだろうとは思っていた。

 

 私は背筋を伸ばす。

 隣に座るオーウェンも、自然と表情を引き締める。

 ガーネット様は私とオーウェンを交互に見つめた後、表情を曇らせつつ口を開いた。


「ご覧いただいたとおり、マルリックは、観光地としては恵まれている方だと思います。訪れてくださる方も多いですし、街の人たちも観光で生計を立てられています。けれど、思ったほど、街全体の――ひいてはマドラン地方の余裕には繋がっていないんです」

 

 ガーネット様はここで一度小さく息をつく。


「温泉施設の維持には、想像以上にお金がかかります。源泉の管理も、配管の修繕も、公共の施設の手入れも、止めるわけにはいきません。街のために必要な支出ばかりです」

 

 そういえば昼の市場で、修繕費を融通してもらったと領民の一人が礼を言っていたっけ。

 そのうえでマドラン地方の騎士たちの給与まで補填しているんだから、きっと大変なんだろう。

 

 ガーネット様は少しだけ身を乗り出し、オーウェンの方へと視線を向ける。


「オーウェン様、お伺いしたいことがあるんです」


 ガーネット様の真剣な眼差しを受けて、オーウェンは即座に答える。


「構いません。なんでも聞いてください」


 オーウェンに向けた相談なら、内容はおそらく騎士団に関することだろう。

 そう思っていると、ガーネット様はほっとしたように息を吐き、ゆっくり口を開いた。


「このマドラン地方を守護してくれている騎士団について、一つ悩みがあるんです」


 やっぱりそうだった。

 騎士団のことなら、オーウェンの方がずっと適任だ。

 なので私は口を挟まず、二人のやり取りを静かに見守ることにした。


 私とオーウェンの視線を受け、ガーネット様は、沈んだ声で続けた。


「今のマドラン騎士団は、人員そのものは決して多くありません。それでも広い地域を守らなければならないので、騎士たちは本当によく働いてくれています。けれど、その給与を維持するだけでもかなり厳しくて……騎士団本部から支給される予算だけでは足りず、マドラン家から補填している状態なんです」

「それに関しては俺も話は聞いています」

「本部には何度か予算の増額をお願いしているんですが、増額を求めるなら、今いる騎士たちがどれだけ成果を上げているのかも示してほしいと言われていて」

 

 ガーネット様は、そこで少し悔しそうに唇を噛む。


「もちろん、騎士たちが怠けているわけではないんです。皆さん、本当に真面目に働いてくださっています。ただ、人手が足りない中で、どうすれば今以上の成果を出せるのかが分からなくて……」


 現状ですら厳しいのに、今以上に人を増やせば、その分だけマドラン家の負担も大きくなる。

 かといって、少ない人数のまま今以上の成果を上げろと言われても、簡単にできることじゃない。

 だからこそ、ガーネット様がわざわざオーウェンへ相談した理由も、なんとなく見えてきた。


「それで……中央騎士団の中でも、オーウェン様が所属されている第二小隊は、特に事件の解決実績が高いと伺っています。何か、仕事の進め方や鍛え方に違いがあるのでしょうか? もし私たちでも取り入れられるようなことがあるのなら、教えていただきたいんです」


 そのあたりは、間違いなくオーウェンの領分だった。 

 むしろ私にも教えてほしいくらいだ。


 ガーネット様は、少し不安そうにオーウェンを見つめている。

 そんなものはないと言われるんじゃないかと、心配しているんだろう。


 だけどオーウェンはすぐには答えず、少し考えるように目を伏せた。


「……正直、特別なことをしているつもりはありませんでした。ただ、他と比べるなら、報告の早さは大きいかもしれません。第二小隊では、巡回中に見聞きしたことや、少しでも気になったことがあれば、どんな小さなことでも報告するようにしています」


 それがガルフ隊長率いる第二小隊の方針らしい。


「隊長は会議や他隊との調整で現場を離れていることもあるので、その間は俺が指揮を任されることが多いです。だから巡回から戻った隊員には、その日何があったのか必ず聞くようにしています。事件とまではいかなくても、見慣れない人間がいたとか、いつもと違うことがあったとか、それくらいでも」

「そこまで細かく聞くんですか?」

「はい。一つだけなら何でもないことでも、別の報告と合わせれば意味を持つことがありますから。もちろん、必要な情報は小隊内でも共有します」

 

 要するに、どんな小さな情報でも全て上へと回すことを徹底しているということか。

 やっていること自体は、うちの商会とそう変わらない。

 

 でも、これを組織全体で当たり前にするのは案外難しいものだ。

 それができているのは、ガルフ隊長やオーウェンならどんな小さな話でもきちんと聞いてくれると、隊員たちが分かっているからなんだろう。

 それに隊員同士も、お互いに信頼し合っているのが外からでも見て取れる。

 そう考えると、高い実績を支えているのは、単なる仕事のやり方だけじゃないのかもしれない。


 ここでオーウェンが少しだけ表情を和らげると続ける。


「そしてもう一つ挙げるのなら、鍛錬だと思います。ガルフ隊長は体力や筋力、剣の基本動作といった基礎を特に重視しています。走り込みでも距離や速度を変えて負荷を調整しますし、素振りでも姿勢や足運びまで細かく見られます」


 私は朝のオーウェンの鍛錬を思い出す。

 基本の筋トレから始まり、走り込みに剣の素振りと、彼がしていること自体は本当に基礎的な物ばかりだった。


「あとは、実戦を想定した手合わせも多いです。そうやって一人一人の力を上げることと、必要な情報を早く集めること。その両方が、第二小隊の実績には繋がっていると思います」

 

 ガーネット様の目が、少しずつ輝き始めた。


「それなら、この土地の騎士たちにも……」

「はい。取り入れられるものはあるかもしれません」


 オーウェンはそこで少し考えるように目を伏せた。

 それから何かを決めたように、再び顔を上げる。


「……もしよければ、滞在している間にエルマーやトールともう少し話をしてみようと思います。俺は明後日まではこちらにいます。二人が望むなら、普段第二小隊でやっている鍛錬を一緒にやることもできます」

「でも、そんなことまでしていただいていいんですか?」

「俺にできる範囲なら。ただ、一つお願いがあります」


 オーウェンが少しだけ表情を引き締めた。


「今回のことは、あくまで俺個人とエルマーたちとのやり取りにしていただきたいんです。中央騎士である俺が、地方騎士団へ正式に指導するとなれば話が変わってきますから」


 するとガーネット様は、一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに意味を理解したように頷く。


「ええ、もちろんです。私も貴族の家に生まれた以上、騎士団の指揮系統については多少なりとも承知しています」


 そう言ってから、少しだけ悪戯っぽく笑う。


「これは公的な指導ではありません。オーウェン様が、旅先で知り合った騎士たちと個人的に鍛錬をする。それだけ、ですよね?」


 オーウェンもわずかに口元を緩めた。


「はい。それでお願いします」

「鍛錬をするなら、街の外れに今は使っていない広場があります。昔は荷馬車の待機場所として使われていたんですが、今はほとんど空いていて……。個人的な手合わせをするくらいなら、自由に使っていただいて構いません」

「それなら十分です。ありがとうございます」

「こちらこそです。そんなふうに考えていただけるなんて」


 ガーネット様は心から嬉しそうに笑った。

 

 オーウェンは私のことを抜け目がないというけど、 

 私から言わせればオーウェンだって十分同じ人種だ。

 最終的に露天風呂で話していた通りの形へ持っていったあたりは、さすがだ。

 

 半ば賞賛の眼差しを向けていたら、ふと視線が交錯した。


 オーウェンが、何だ? とでも言いたげにわずかに眉を上げたので、私は何でもないというように小さく首を横に振った。

 そんな言葉を介さない会話を交わしている私たちを、ガーネット様はどこか微笑ましそうに見ていたけれど、やがて少しだけ表情を改める。

 

 そして、今度は私の方へと顔を向けた。


「それから――ブレア様にもご相談したいことがあるんです」



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