24.愛される領主の街
馬車で丘を下りながら窓の外に広がる街並みを眺めていると、ガーネット様が尋ねてきた。
「お二人は、どこに行かれたんですか?」
「町の入口にあった足湯と、それからレイバン商会の運営している食堂と宿ですかね。後はお土産屋さんを見に行ったり」
私が答えると、すぐさまオーウェンが補足する。
「最近できたばかりだという貸切温泉付きの宿に泊まりました。地方騎士団第三小隊所属のエルマーとトールという二人の騎士と、食事もしました」
「そうなんですね! 二人ともとても優秀な隊員なんです」
「ガーネット様はお二人のことをご存知なんですか?」
そう聞いたら、すぐにガーネット様の顔色が明るくなった。
「もちろんです! それ以外の騎士団の方たちの名前も顔も分かります。この地方を守護してくれている頼もしい方々ですから。私もたまに、みんなで食事をするんですよ」
この発言にはさすがに驚いた。
「亡くなった夫が、騎士団のことをとても大切にしていて……私も夫に倣って、皆さんと交流するようになったんです」
ガーネット様は亡き夫を思い出したのか、少し寂しそうに、でもどこか誇らしげに微笑んだ。
「夫は、『騎士団は街を守る盾だから、領主は彼らを支える責任がある』と言っていました。だから、私も夫の意志を継いで……」
夫を亡くしてもなお、その想いを受け継ぎ、街を守ろうとする姿勢。
そんな彼女の行動に、私の胸が温かくなる。
オーウェンも同じだったのか、私が発言するよりも先に口を開く。
「その姿勢があるからこそ、マルリックの騎士団は士気が高いんでしょう。俺も騎士なので、こうして気にかけていただけることがどれだけありがたいか、よく分かります」
「ありがとうございます」
オーウェンの言葉に、ガーネット様は恥ずかしそうにはにかんだ。
その後もオーウェンと二人で、訪れた場所を次々と話していくと、最後まで聞き終えたガーネット様は嬉しそうに笑った。
「では、まだ行っていない場所がたくさんありますね。碧の泉に、温泉卵を作っている場所や、それから市場もうちの自慢なんです。ぜひご案内させてください」
――ということで、最初に案内されたのは、温泉卵や蒸籠蒸しの料理を作れる場所だった。
街の中心部にある公共の施設で、手前が温泉卵を茹でる場所、奥に蒸籠蒸しを作れるエリアがあって、観光客や地元の人々が自由に食材を持ち込んでいる。
「ここは誰でも使えるんですよ。温泉の熱を利用しているんです」
ガーネット様がそう説明すると、近くにいた白髪の女性が声をかけてきた。
「あら、ガーネット様! それに、例のお二人も」
「例の……?」
私が首を傾げると、白髪の女性は嬉しそうに笑った。
「オーウェン様とブレア様でしょう? 王都からすごい方がいらしたって、もう街中で話題ですよ」
オーウェンが少し驚いたように目を瞬かせた。
「そんなに話が広まっているのか……」
まあ、ここに着いて早々、オーウェンは公衆の面前で、大通りを駆けてきたひったくり犯を一撃で引き倒していたんだから、噂が広まるのも無理はない。
加えてこの容貌だし。
しかも話を聞くと、オーウェンがやってきたことを積極的に触れ回っているのは、あのオーウェンの熱狂的ファンのエルマーだということが分かった。
……それなら、町中に広がっていても仕方がない。
白髪の女性は、私とオーウェンを交互に見やると温かく微笑んだ。
「ようこそマルリックへ。これ、今できたばかりですよ。どうぞ召し上がってください」
そして、私たちに温泉卵を一つずつ手渡してくれた。
「ありがとうございます」
「お二人も、ゆっくり楽しんでくださいね。マルリックは良いところですから」
そう言って温かく微笑むと、女性はまた温泉卵の世話に戻っていった。
温泉卵エリアを抜けると、蒸籠蒸しのエリアがあった。
こちらは少し広く、温泉の蒸気が立ち上る専用の釜が並んでいる。
「蒸籠蒸しのエリアでは、野菜や魚、お肉などを蒸籠に入れて蒸すんですよ。温泉卵よりも本格的な料理が楽しめるんです」
ガーネット様がそう説明すると、オーウェンが興味深そうに蒸気が噴き出す窯の中を覗き込んだ。
「これは……かなり本格的ですね」
「はい。地元の人も時々ここに食材を持ち込んで、家族の食事を作ったりもしているんです」
実際、数組の家族連れや観光客がいたし、地元民らしき人達もちらほら見えた。
蒸す係の人間がテーブルに持っていき、蒸籠の蓋を開けると、みんな歓声を上げている。
「温泉の熱をそのまま調理に使うわけか。合理的だな」
オーウェンが感心したように声を上げる。
昼食時ということもあったので、温泉卵と一緒に蒸籠蒸しの野菜を食べてみる。
温泉の蒸気で蒸されたからか、野菜本来の甘みが引き立っていて、ほんのりと硫黄の香りが鼻をくすぐる。
これは、普通の蒸し料理とは明らかに違う。
卵だって、つるんとした白身と、とろりとした濃厚な黄身が絶妙で、傍に置いてあった岩塩を少しだけかけて口に含むと、黄身の濃い味が口いっぱいに広がる。
お酒のあてにするには薄味で物足りないかもしれないけど、ヘルシーなので健康食としても良さそうだ。
私はシンプルにオリーブオイルと塩を付けた野菜をもぐもぐと頬張りながらも、改めてテーブルに置いてあるメニュー表を眺める。
持ち込みなら無料だけど、観光客は食材をここで購入することもできる。
その値段は、どう見ても材料費そのままだ。
……これ、利益って出ているんだろうかと、ちょっと気になってしまう。
だけど、よその事情に口を挟むべきじゃない。
私は黙って蒸籠蒸し料理を食べ進めた。
腹八分目を超えるほどにお腹が膨れたところで、次に案内されたのは、この地で最も有名な場所だった。
「ここが『碧の泉』です」
その名の通り、柵で囲まれた中心部分には、海の色とも空の色とも違う、目にも鮮やかなコバルトブルーが広がっていた。
危険防止のため、源泉の周囲にはしっかりとした高い柵が設けられている。
それに、柵から泉までもかなり距離があるため、細部まではっきりと見ることはできない。
それでも、あの美しいコバルトブルーは十分に目に映る。
私は一度立ち寄ったことがあるけど、当然オーウェンは初めてだ。
オーウェンは珍しく分かりやすく目を輝かせて、柵の向こう側を覗き込む。
「こんなに青い色は初めて見ます。これは一体……?」
「温泉に含まれる鉱物が、この美しい青色を作り出しているんです。硫黄と銅の成分が混ざり合うと、こういう色になるのだと。観光客の方にもとても人気なんですよ」
ただ、涼やかな色とは対照的に、かなり離れているにもかかわらず熱気が伝わってくる。
「確かかなり熱いんですよね」
私が尋ねると、ガーネット様は驚くべき数字を告げた。
「はい。源泉の温度は100度を超えています」
あまりにも想定外の数字だったからか、オーウェンが目を丸くする。
そんな彼を見たガーネット様は、わずかに頬を緩ませる。
「さすがにこの中に人が入ることはできません。温度もそうですが、成分がかなり強いので、そのまま入浴すると皮膚が炎症を起こしてしまうんです」
と、源泉の縁に小さな虫のようなものが動いているのが見えた。
「ガーネット様、あれは……虫ですか?」
なにせ100度の高温だ。さすがにそんなはずはないだろうなと思いつつ尋ねると、ガーネット様が頷く。
「あれは『碧虫』と呼ばれる、あの源泉の周辺にしか生息しない虫なんです。この高温と強い成分の中でしか生きられない、とても珍しい生き物なんですよ」
「こんな環境でも生きられるなんて」
オーウェンが感心したように呟いた。
「不思議ですよね。人間には毒でも、彼らには必要な環境なんです」
ちなみにあの源泉はどう頑張っても使えないようで、マルリックに引いている源泉はもう一つ別のものらしい。
温泉街の外にあるらしく、立ち入りは禁止されているそうだ。
個人的には、よりバリエスの参考になりそうなそっちの方を見に行きたい。
それにしても、危険だと分かってはいても、やっぱり綺麗な色だ。
でも……私はそっと周囲の会話に耳を澄まし、周囲に目を配る。
向こうの方で、幼い子供が柵にしがみつきながら、不満そうに声を上げているのが聞こえてくる。
「遠くてよく見えないよ……」
一方私たちの隣にいた別の観光客は、ぼそりと呟いていた。
「本当に綺麗ね。もっと近くで見られたら良かったのに」
「仕方ないわよ。説明板にも『危険』って書いてあったし」
「そうなんだけど……せっかく遠くから来たのに、ちょっと物足りないわね」
そう言うと、女性が残念そうにため息を吐く。
「…………」
確かに危険なのは分かるけど、この距離だと「もっと近くで見たい」という声が出るのも当然だろうなと思う。
私の頭の中で、無意識のうちに、旅行前に考えていた碧の泉に関するアイディアが思い起こされる。
すると、無言で考え始めた私に気づいたのか、隣からオーウェンが声をかけてくる。
「ブレア、どうかしたか?」
その声にはっと我に返り、慌てて笑顔を作る。
「いえ、何でもありません。ちょっと考え事をしてしまいまして」
オーウェンは少しだけ心配そうな表情を浮かべたけれど、それ以上は追及せずに頷いた。
ガーネット様がこちらを振り返り、優しく微笑む。
「それでは次の場所へご案内しますね」
私とオーウェンは頷き、再び彼女の後について歩き始めた。
市場に立ち寄ると、そこは今までの場所以上に多くの人で賑わい、熱気で包まれていた。
そして、アインが絶対に買って来いと念押ししていた食べ物系の屋台は、既に売り切れの札が下がって店じまいしていた。
「あの辺りのお店は、お昼までには売り切れてしまうんです」
ガーネット様の言葉に、私は思わず肩を落とす。
これ、もしも買って帰れなかったら、間違いなく怒られる。
……いや、むしろ恨まれ、早々に裏切られるかもしれない。
仕方ない。
明日は早朝から買いに出よう。
私は心の中でそう決意しながら、市場の奥へと足を進めた。
この町ならではの商品が並ぶ店の前を歩いていると、ガーネット様はあちこちで声をかけられる。
「ガーネット様、今日は何をお探しで?」
「聞いてくださいガーネット様! 俺、ついに見習い騎士になれたんですよ!」
「ガーネット様、先日は温泉施設の修繕費を融通してくださり、ありがとうございました! おかげでお客さんが増えました」
屋台の主人だったり、騎士団の人間だったり、宿の従業員だったり。
そして、ガーネット様もまた、一人一人に丁寧に応えていた。
「いえ、今日はお客様にこの町を案内しているんです」
「まあ、それは素晴らしいですね! おめでとうございます」
「いえいえ、当然のことをしただけですよ。お客様が増えて本当に良かったです」
そして時折聞こえてくる、前伯爵が亡くなった後のガーネット様の話。
「伯爵様が急にお亡くなりになった時は、街中が悲しみに包まれて……正直、どうしようかと思いましたよ。でも、ガーネット様がご自分も悲しいはずなのに、私たちのために前を向いてくださって。あの姿を見て、みんな励まされたんです。本当に良い方で」
マルリックを訪れたのはこれで二度目だけど、今回はガーネット様と共に歩くことで、見えなかったものがたくさん見えてきた。
この町を支えているのは間違いなくこの人なんだと、私は強く実感した。




