22.微睡からの目覚め(オーウェン視点)
深い水底から浮上するように、ゆっくりと意識が戻ってくる。
視界はまだぼんやりと霞んでおり、頭の芯には心地よい微睡みが残っていた。
そんな静寂の中で、まず耳に届いたのは、規則正しいペンの音と小さな呟きだった。
「……うーん、岩風呂の幅はちょうどいいとして、深さはもう少し欲しかったような……」
聞き慣れた声だ、とオーウェンは思った。
薄く目を開けると、視界の先にブレアの姿があった。
彼女はオーウェンの上でノートを広げ、何やら書き込みながら考え込んでいる。
彼が目を覚ましたことにも気づかないほど没頭しているらしい。
温泉で測っていた寸法を、もう整理しているのだろう。
真剣に考えごとをしている時のブレアは、普段より表情がよく動く。
ノート越しに見える彼女は、数字を追うたびに視線が揺れ、思いついたことがあると目がキラキラと輝く。
――いつの頃からだろうか。
気づいたら、その目を綺麗だと思っていた。
しばらくその瞳を見ていたオーウェンは、そこでふと後頭部の違和感に気づいた。
柔らかい。
けれどクッションとは違う感触だった。
「…………」
現在の自分の体勢と、真上から聞こえてくるブレアの声。
それらの情報が結びつき、状況を正しく理解した瞬間――オーウェンの意識は一気に覚醒した。
「――っ」
オーウェンはほとんど反射的に身を起こした。
その勢いに、ようやくブレアが気づく。
「あ、起きましたか」
「ブ、ブレア、俺は……っ」
何か言おうとしたが、極度の混乱で言葉が出てこない。
そんな彼をよそに、ブレアは淡々と事の経緯を説明し始めた。
「髪を梳いていたら、そのまま眠ってしまったんですよ」
その言葉で、オーウェンの脳裏に眠りに落ちる直前の記憶が鮮明に蘇る。
温泉でのぼせた上に、酒を誤飲したとはいえ、自分はあろうことか、ブレアの膝を枕にして熟睡してしまったのだ。
恥ずかしさが一気に頂点に達し、顔から火が吹き出しそうだった。
いたたまれなくなったオーウェンは、そのままずるずると床に膝をつきそうになる。
「ちょ、オーウェン!? 床に座らないでください!」
慌ててブレアが止めに入るが、オーウェンの脳内は激しい自己嫌悪で埋め尽くされていた。
……土下座はこの間やったが、それ以上の謝罪方法が思い浮かばない。
大真面目にそんなことすら考えてしまうほど、今の彼は羞恥と申しわけなさでどうにかなりそうだった。
だが、そんな彼の思いをよそに、ブレアはオーウェンにソファに座るように言った後、あっさりと告げた。
「そこまでしなくて大丈夫ですから! むしろ、結果的にはよかったといいますか」
「……よかった?」
「はい。あなたもよく眠れていたみたいでしたし、その間に私も色々考えられましたから」
そう言うなり、ブレアは嬉しそうに手元のノートを掲げてみせた。
「さっきの寸法、かなり参考になりました! 長さは十分でしたけど、再現するなら奥行きは少し広げた方がよさそうでしたね。二人で入った時の余裕が違いますし、岩の見せ方でも印象は変えられますし、それに――」
仕事の話になった途端、彼女の目は再び輝き始める。
その楽しそうな姿を見ているうちに、オーウェンの胸を占めていた強烈な羞恥が、少しずつ薄れていくのを感じた。
どうやら、本気で迷惑をかけたわけではなかったらしい。
邪魔になっていなかったという事実に、オーウェンは密かに安堵の息を吐く。
羞恥が落ち着いてきたところで、オーウェンはふとある疑問に行き当たった。
――なぜ、今回自分はあんな状況であっさりと眠りに落ちることができたのだろうか。
この旅に出てから、オーウェンはろくに眠れていなかった。
慣れない場所というだけでなく、常にブレアと同じ寝台で眠ることになり、少なからず気を張っていたからだろう。
それなのに、先ほどは驚くほどあっさり眠ってしまった。
……すべて疲労と、お酒のせいだ。
オーウェンはそう結論づけようとした。
確かに、それも大きかったのだろう。
だが、本当にそれだけなのか。
少なくとも、眠りに落ちる直前の自分は、驚くほど気を抜いていた。
どうして他でもないブレアのそばで、あそこまで無防備になれたのか――。
そこまで考えかけて、オーウェンは意図的に思考を止めた。
曖昧なままなら、これまで通りでいられる。
けれど、その理由を突き詰めてしまえば、きっと、彼女が自分にとって何なのかまで考えずにはいられなくなる。
そんな予感がした。
と、そこまで考えた直後だった。
……ぐうきゅるるるる。
間の抜けた音が、不意に部屋に響いた。
オーウェンが考えている間もずっと一人で楽しそうに話していたブレアの口が、ぴたりと止まる。
数秒遅れて、オーウェンはそれが彼女のお腹の音だと理解した。
「お腹空きましたね」
ブレアは何事もなかったかのように言うので、オーウェンは思わず息を漏らした。
そういえば、眠気に押し流されていたが、昼食をとることもせず、むしろ夕食の時間の方が近いほどだ。
「そうだな。俺も空いた」
オーウェンがそう答えると、ブレアは表情を明るくして立ち上がった。
「では、少し早いですが、夕食にしましょう! この宿ではですね、品数の多い料理が評判らしいんです」
切り替えの早さが、なんとも彼女らしい。
オーウェンもゆっくり立ち上がった。
まだ、先ほどのことを思い出すと落ち着かない。
耳の奥が熱いままだし、まともにブレアの顔を見るのも少し難しい。
それでも、目の前で夕食へ行く支度を始める彼女を見ていると、いつまでも立ち止まっているのも違う気がした。
「では、行きましょうか」
「ああ」
先に扉へ向かうブレアの後を、オーウェンは静かに追う。
羞恥はまだ消えていない。
けれど、不思議と足取りは重くなかった。




