21.無自覚な甘え
「あの、オーウェン……?」
私は恐る恐る声をかける。
モーリス公爵邸から酔って帰ってきた日のことが脳裏をよぎる。
けれど、あの時ほどひどくはなさそうだった。
そう思って様子を窺うと、
「問題ない」
目元は緩んでいるけど、意識はまだしっかりしているように見えた。
――ほっとしかけた、その時だった。
「……いや、やはり少し酔ったかもしれない」
「そう、なんですね……えっと……」
自己申告してくるあたりからしてマシだとは思うけど、このまま放置するのもかなり危ない。
とりあえず体を拭いたり着替えは自分でできそうだったので、私は先に着替えてから外のドアの前で待つ。
あんな少量でも酔ってしまうのは驚きだったけど……。
考えてみればこの旅の間、オーウェンは枕が違うせいであまり眠れていなかったらしいし。
そのうえ風呂上がりで体も温まっていたのだ。
少量でも酔いやすかったのかもしれない。
程なくしてオーウェンは無事に出てきたわけだけど。
「……ああ、なるほど?」
小さなボタンはうまく留められなかったのか、掛け違えたままになっていた。
普段の彼らしくない。
それでもズボンを履けただけでも良しとしよう。
さすがに下着姿の状態のオーウェンを、背負って部屋まで帰れる自信はない。
まだ甘えた口調にもなっていない。
今回はそこまで深酔いではなさそうだと判断して、私はオーウェンを連れて急いで宿の廊下を進む。
部屋に戻ると、オーウェンはソファに体を預けるように腰を下ろした。
私はお水を持ってくるとオーウェンに手渡す。
「飲んでください」
「すまない」
今回のオーウェンはちゃんと受け取り、こぼさずに飲み干した。
お風呂上がりだからかお酒のせいなのか分からないけど、彼の顔色は赤い。
私はその場に屈むと、彼の顔を覗き込んで様子を確かめる。
「平気ですか? 気持ち悪いとか立ち眩みがするとか、そういった症状は」
オーウェンは私と目を合わせたあと、ふいっと不自然に視線を逸らす。
「頭はぼんやりしているが……休めば治る」
うーん、声の感じからしても、緊急性がある酔い方じゃないとは思うけど……。
念のためもう少し水を持ってこようかと立ち上がろうとした時だった。
オーウェンがぽつりと言葉を漏らす。
「俺は少し横になるが。……君も俺のことは放っておいて、好きにしていればいい」
「え」
オーウェンなりの気遣いなんだろう。
でも、さすがにオーウェンを置いて、温泉街に繰り出そうという気にはなれない。
「好きにしてくれと言われても困ります。こんな状態のあなたを放っておけるわけないじゃないですか」
「平気だ」
「私が今のオーウェンを放置するとでも?」
「本当に大丈夫だ。だから君は気にせず、視察の続きをしてくれ。この後見ておきたい場所があると言っていただろう」
「…………」
私の無言の抵抗を察したのか、オーウェンが視線を逸らしてとある契約書の一文を持ち出す。
「――互いの仕事を最優先事項とすること。そういう約束だ」
なので私も負けじと別の条項を口にする。
「仕事に支障が出ない範囲で、生活面では協力すること。あなたが困っているなら協力すべきです」
「今、俺はまさに君の仕事に支障をきたす存在になっているんだが」
「大丈夫ですよ。日程に余裕は持たせていますし」
だけどオーウェンは食い下がる。
「……互いの行動を不必要に制限しないこと、というのもあったが」
私もすかさず返す。
「ならあなたも、私が側にいたいっていう私の行動を制限できませんよね?」
「ああ言えばこう言うな、君は」
「それは私の台詞です」
と、呆れたような表情で深く息を吐いた後、オーウェンは瞼を伏せ、ゆっくりと口を開いた。
「俺は、君の邪魔をしたいわけじゃないんだ。だから、頼む。俺に構わず、君は君の仕事をしてほしい」
だけど……私はオーウェンの手元に視線を落とした。
「……そう言うわりには、私の手をしっかり掴んでいますけど」
そのことを指摘したら、オーウェンは明らかに驚いたように声を上げた。
オーウェンが初めに、私に好きにしてていいと言った時から、ずっとこの状態だったのに。
彼は本気で気づいていなかったらしい。
「っ、これは、違うんだ。いや、あ、その、と、とにかく、俺のことは構う必要はない!」
オーウェンは半ば叫ぶようにそう言って、込めていた力を抜く。
だけど、まるで離れたくないと言わんばかりに動きはゆっくりで、表情も眉を寄せたまま、どこか困ったような顔をしていた。
旅の初日のお化け騒動の時とは、立場が逆だ。
あの日の私も、まさに今のオーウェンのような感じだった。
多分、オーウェンは自分でもどうしたいのか整理しきれていないんだろう。
それでも、口では色々言いつつもここにいてほしいとは思っている。
酔ったオーウェンが、案外寂しがりなのは知っている。
私は離れた手を取り返すように握ると、彼の隣に座った。
「オーウェン。今日はここにいますから」
「…………」
オーウェンは何か言いたそうに唇を動かそうとして、だけど繋いだ手を見て、小さく頷いた。
そして、嬉しいような困惑しているような複雑な表情で私を見つめる。
「……君は俺に甘すぎるんじゃないか?」
だけど私から言わせれば、オーウェンは自分にたくさん負荷を課しているし、頑張っている。
「だから、こういう時に甘やかすのは私の役目かなと思いまして。こんな時くらい、存分に甘えたらいいじゃないですか。もしもそれが恥ずかしいなら、お酒のせいってことにでもして」
そう言って、私は腕を伸ばして彼の頭を撫でる。
オーウェンは恥ずかしそうにしたけど嫌そうにはしなかった。
前に髪をタオルで拭いた時も、気持ちよさそうな顔をしていた。
あの時は拒まれたけれど、今日は素直に身を委ねているように見える。
硬そうに見えて案外柔らかい銀の髪を梳いているうちに、オーウェンは次第にうつらうつらしはじめた。
ソファの背もたれに首を預けたままでは痛くなりそうだったので、私は自分の姿勢を少しずらし、彼の頭をそっと私の膝の上へ乗せた。
するとオーウェンは、薄く目を開け、何か言おうとしているのか、口がかすかに動く。
でも言葉にはならず、そのまま目も閉じて、静かに呼吸が深くなった。
……本当にあっという間だった。
余程疲れていたんだろう。
あとはお酒の力か。
それにしても、オーウェンの寝顔なんて初めて見る。
普段から寝室は別だし、前に酔っ払ってた時は後ろから私を抱いてたから顔は見えなかった。
今回の旅でも、私の方が先に眠ってたし。
そっと彼の顔を覗き込むと、普段の凛とした表情からは想像もできないほど、ずいぶんあどけない寝顔だった。
騎士団では気の抜けない日々を送っているオーウェンだけど、こうして安心して眠れる場所が私の隣なんだとしたら、少し嬉しい。
そう思いながら、私はもう一度そっとオーウェンの頭を撫でた。




