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婚約破棄をでっち上げられた商人令嬢は、面倒ごとを避けるため堅物騎士と契約結婚します。〜これで仕事に集中できる!〜  作者: 春樹凜
第三部 新婚旅行とそれぞれの想い

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20.二人で見る景色



 紆余曲折はあったものの、結局、二人並んで温泉に入ることになっていた。

 

 オーウェンにちらりと目を向けるけど、無理をしているようには見えなかった。

 それならまあいいんだけど。


 私は視線を外の景色へ向ける。 


「私の我儘に付き合わせてごめんなさい。……せっかくの景色ですし、あなたと一緒に綺麗なものも楽しいことも、共有しておきたかったんです。それに、あなたに少しでも喜んでほしいっていうのもありましたから」


 だってオーウェンと一緒にゆっくり過ごせるのだ。

 普段はお互いに慌ただしい生活を送っているし、今回の機会を逃したらまたいつこんな時間を過ごせるか分からないから。


「あなたが昇進すれば、時間はもっと取れなくなりそうですし」


 お互い仕事漬けの生活に不満はないけど、やっぱりもう少しオーウェンとの時間が欲しいというのはある。

 そんな本音をつい漏らしたら、オーウェンの表情がふわりと緩んだ。


「俺だけだと思っていたんだが……。君も、同じだったんだな」

「気が合いますね」


 似た者夫婦とでも言えばいいのか。

 そう言ったら、オーウェンが嬉しそうに笑った。


 彼の笑顔を見ていたら、私もなんだか嬉しくなる。

 と同時に、少し気恥ずかしくもなってきた。


 そんな気持ちを誤魔化すように、私は慌ててお風呂のお湯の端に浮かんでいる盆を指さした。


「あのオーウェン、ええと、飲み物を頼めるサービスもあったので、頼んでみたんです。オーウェン用にはジュースを用意したので、よかったら飲んでくださいね」


 ちなみに彼にはイチゴを使ったジュース、私のは同じイチゴを使ったものだけど、一応お酒だ。


「そうか。ありがとう」


 オーウェンは目線をお盆の上へと向けた後、穏やかな声で言った。


「君のおかげで、俺は十分楽しませてもらっている。ブレアがいなかったら今頃俺は山で一人鍛錬に明け暮れることしかできなかっただろうから」

「本当に楽しめてますか? 山籠もりの方にすればよかったとか、私に気を遣って言ってるわけじゃ」

「嘘は言わない」


 昨日よりも柔らかい声で、私はそれを聞いて安心する。


 こうして静かにお湯に浸かって、同じ景色を眺めているだけでも、この時間を用意した意味はあったと思えた。


 かといって完全にオーウェンの気が晴れたようにも思えなかった。

 彼の視線は、温泉街の向こうを見たまま、どこか考え込んでいるようにも見える。


 心当たりは、一つあった。


「……昨日のことですか?」


 そう尋ねると、オーウェンはすぐには答えない。

だけどしばらくして、小さく頷いた。


「知ってはいたんだ。だが……実際に話を聞くと、やはりやり切れないな」


 食堂で話していた、地方騎士団の現実。

 確かにすぐにどうにかできる問題じゃない。

 

 オーウェンはずっと、この歪みを変えるために上を目指している。

 

 ただ、その道は遠くて、今すぐ誰かを救えるほど甘くはない。

 今の立場でできることには限りがあって、彼がやり切れなさを抱えているのも分かった。


 それでも、私にできることまで手放すのは違う気がした。 

 だから――。


「実は一つ、考えていることがあるんです」


 オーウェンがこちらを見る。


「地方騎士団と、マルリックのあの食堂とで、月額制の利用契約を結ぶのはどうかなと思っていて」

「月額制?」

「騎士団から毎月決まった金額を店に支払ってもらって、その代わり所属する騎士は一人につき月二十食まで、指定の定食を通常より安く食べられるようにするんです」


 毎月ある程度の利用が見込めるなら、お店側も売り上げや仕入れ量を予測しやすくなる。

 それに、まずは人数の分かっている地方騎士団だけで試せば、どれくらい利用されるのか、いくらなら採算が取れるのかも確認できる。


 オーウェンが少し考えるように目を細める。


「上手くいけば、その後は?」

「マルリックに住んでいる人たちにも広げます。もともとあのお店は、観光客じゃなくて、この町で暮らす人のために作られたお店らしいですから」


 それに、利用する人数がある程度読めるようになれば、仕入れの方でもやれることは増える。


「近隣の農家や精肉店にも、毎月これくらい買いますと約束して、その分少し安く卸してもらうんです。形が不揃いで市場に出しにくい野菜や、余った作物なんかも優先して回してもらえれば、もっと仕入れを抑えられます」

「……全部繋げるのか」

「その方がいいでしょう?」


 店は固定客を確保できる。

 加えて、農家や精肉店には安定した売り先ができる。

 そして利用する人たちは、今より食費を抑えられる。


 誰か一人に負担を押しつけなくても、みんなが少しずつ得をする形にはできると思う。


 もちろん、実際にやるならリアン叔父様や、それに地方騎士団側とも相談する必要がある。

 月額や利用回数だって、実際の数字を見ながら決めなければならない。

 でも、まず騎士団で試してみて、上手くいけば町の人たちにも広げられる。

 それも上手くいったら、いずれはリアン叔父様が王国各地で手掛けている他の食堂でもその制度を導入すればいい。


 今の私に地方騎士団の給金そのものを変えることはできないけど、それでも、商売として成り立つ形で日々の負担を少し軽くすることならできる。

 

 そう話すと、オーウェンはしばらく黙った後、ふっと肩の力を抜いた。


「……君らしいな」

「そうですか?」

「ああ。誰かを助けるために金を出すんじゃなくて、全員に利益が残る仕組みにするんだな」

「誰か一人だけが無理をするやり方は、長続きしませんよ。それに、レイバン家の商売の信条は、『楽しく稼いで、みんなで得をする』ですから」


 オーウェンは何かを考えるように私を見つめた。


「……俺は、制度そのものを変えなければどうにもならないと考えていた。だが、今の立場でも、できることはあるのかもしれないな」


 その表情から、さっきまであった重苦しさが少しずつ消えていく。


 するとオーウェンは、何の脈絡もなく、いきなり自身の頬を思い切り強く両手で叩いたではないか。

 彼の行動と、力加減の一切ないバチンッという音に、思わず私はその場で小さく飛び上がる。


「オーウェン!? 急にどうしたんですか」


 オーウェンのご乱心!? と私の方が取り乱しそうになるのを必死にこらえていたら、彼は私を見て笑った。


「違う。暗い顔でいつまでも悩んでいても仕方がないと、そう思っただけだ」


 その声には普段のオーウェンらしい強い意志が戻っていた。

 さっきまでどこか遠くを見ていた目が、今は真っ直ぐ前を向いている。


「君の話を聞いて、制度を変えることばかり考える必要はないと気づいた。今の俺にできることからやればいい。……ありがとう、ブレア」

「私は別に何もしていませんよ」


 そう返したのは本心だった。

 私はただ、自分にできる商売の話をしただけだ。

 それでも、彼の力になれたのならよかった。


「で、一体何を思いついたんですか?」

 

 ピンときた私が彼の顔を覗き込むと、大したことじゃないがと前置きをして彼が口を開いた。


「今の俺に、騎士団の制度そのものを変えることはできない。だが、エルマーやトールに訓練をつけることならできる」

「訓練、ですか」

「ああ。地方は人手も予算も少ない。そのせいで結果が出しにくい現実がある。なら、今いる騎士一人ひとりを強くする。それなら俺にもできる」


 確かに、実力が上がれば任せられる仕事も増えるし、それが実績になれば、地方騎士団への評価だって少しずつ変わるかもしれない。

 

 つまり端的に言えば、全員をオーウェンとかガルフ隊長級にするということか。

 ……それができたら、人手不足なんてだいたい腕力で解決できそうな気がする。


「でも、中央の騎士が地方の騎士に勝手に教えても大丈夫なんですか?」

「大人数を集めて正式な訓練をするとなれば、さすがに話を通す必要がある。だが、顔見知り同士で手合わせをして、ついでに鍛え方を雑談として教える程度なら問題ない」

「なるほど。まずは個人的に、ということですね」

「ああ。例えばエルマーやトールに教えて、それが役に立つようなら、少しずつ他の騎士にも伝わっていけばいい」


 オーウェンはそこで、少しだけ表情を緩めた。


「それに、ガルフ隊長から教わった訓練法がある。がむしゃらに鍛えるだけではなく、きちんとした理論に基づいている。かなり厳しいが、効果は俺自身がよく知っている。第二小隊が他より強いのも、隊長の訓練のおかげだからな」


 制度を変えるほど大きなことではない。

 それでも、一人が強くなって、そのやり方が二人、三人と広がっていけば、いつか地方騎士団全体の力になるかもしれないと、そういうことか。


「ええ、いい考えだと思います」


 そう答えると、オーウェンはほっとしたように笑った。


 そして完全に吹っ切れた表情になったオーウェンは、似た色合いのグラスが二つ乗ったお盆に手を伸ばして引き寄せる。


「せっかく用意してもらったんだ。飲んでも構わないか?」

「もちろんですよ」


 オーウェンは真っ赤な果実水が入ったグラスを手に取り、私の分のグラスも渡してくれた。


 どちらからともなく軽くグラスを合わせて、私たちはそのまま中身を口に運んだ。

 冷たい甘さが、火照った体にすっと染みていく。

 あったかい温泉に入りながら飲む冷たい飲み物は、最高だ。


 温泉の湯気がまだ明るい空にゆっくりと溶けていく。  

 同じ景色を眺めながら、その余韻に浸るように、二人でしばらく何も言わなかった。  


 だけど……ふと違和感に気づく。

 口に含んだ飲み物は、全然アルコールの味がしなかった。


 ということは――。

 顔を上げると、ちょうどオーウェンと目が合った。


 そして私は気づく。

 オーウェンの視線が、ほんの少しだけとろんとしていることに。



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