19.二人きりの温泉
マルリックの滞在も二日目に突入した。
視察は非常に順調に進んでいる。
レイバン商会の宿をチェックアウトしてから、私たちは次の滞在先へと向かう。
今日は、念願の恋人や夫婦限定で貸し切り浴場を使える宿に泊まる予定だった。
一時間ごとの完全予約制で、浴場は四つあるらしい。中の造りもそれぞれ違うと。
それに入れるのはオーウェンがいてくれるおかげだ。
色んな意味でワクワクながらもチェックインを終え、今からでも入れる貸し切り温泉が空いていないか尋ねてみた。
「一つでしたら空きがあります。残りの三つは明日の朝でしたらお取りできますが……」
「ではそれでお願いします!」
すぐに予約を取って部屋に荷物を置くと、オーウェンを伴って一つ目の浴場へ向かった。
中に入ると、かすかに冷たい風が顔に当たる。
そこは露天風呂になっていた。
肝心の湯船はというと、小ぶりながらも、剥き出しの岩を削って作られたような浴槽が自然の趣を残していた。
そっと指で触れてみる。
うん、間違いなく、本物の岩だ。
一般的に浴槽として使われているのは、水に強いヒノキと呼ばれる木材だ。
もしくは陶器とか。
うちの商会の宿屋もそうだし、それ以外のところも大体がその素材を使っている。
だからこれを削るのはかなりの労力がいるはずだ。
それでもこの岩風呂は面白いし受けも良さそうなので、ぜひとも同じものをバリエスにも取り入れたい。
そして、少し高台にある宿だからか、眼下にはマルリックの温泉街が広がっている。
土地は余っているものの、一帯にはこの宿しかないため、外の喧騒も届かない。
周囲には覗き防止用に高い柵も設けられている。
岩のお風呂といい、特別感もあって、この景色を二人きりで眺められるなら満足度はかなり高いだろう。
早速入りたいところだけど、先にやることがある。
私は服を着たまま浴槽の前までやってくると、早速採寸用の巻尺を取り出す。
「オーウェン、すみませんが、持っててもらっていいですか?」
オーウェンは私の意図を察したのか、迷うことなく巻尺の端を持ち、浴槽の縁に当てた。
「端から端まで……252センチですね」
こういうのは、あとで「なんか良かった」っていう感想だけじゃ役に立たない。
二人で入っても狭くないか、肩までちゃんと浸かれるか……そういう具体的な数字が分かっていれば、バリエスで作る時に困らないのだ。
「あ、オーウェン、今度は奥行きを測ります」
「分かった」
二人いると作業がサクサク進む。
そして、私があらゆる数値をノートに記入している間に、オーウェンはいつの間にか鞄から温度計を取り出していた。
「ブレア、お湯の温度はおおよそ41度だ」
「あ、はい。ありがとう、ございます……」
「次は何をすればいい」
……なんと手際がいいのか。
驚いて思わず目をパチクリとしていたら、オーウェンが不思議そうに見返してきた。
「どうしたんだ? 俺は何か間違っていただろうか」
「いえ、むしろ私のしたいことがよく分かったなぁと」
「君との付き合いは長いからな。それに、これまで宿泊した宿屋でも似たようなことをしていただろう」
彼の言う通りではある。
初日の宿をはじめとした部屋で、ベッドやソファ、部屋の大きさに至るまで、気になったものは片っ端から測っていた。
他にも、使われている備品がどこのものなのかとかも、念入りに確認したっけ。
それで次はと促すようなオーウェンの視線を受け、私は他にもいくつか彼に頼む。
三十分ほどかけて一通りの確認を終え、私はようやくノートを閉じた。
「これで調査は終わりですね」
とくれば、次にすることは決まっている。
実際にお湯に浸かってみることだ。
マルリックの温泉は乳白色で、とろみがあって柔らかいのが特徴だ。
二日目にしてすでに肌がツルツルしている気がするから、毎日入っていたらどうなるんだろう。
もしもバリエスの源泉が同じタイプなら、美容液みたいな温泉、なんて打ち出し方もありかもしれない……と考えていたところで、湯船の端で大きな体を縮こまらせているオーウェンの姿が目に入った。
「えーと、オーウェン? ……ちょっと離れすぎじゃないですか?」
「…………」
そう声をかけるも、なぜか無言でさらに距離を取られる。
あまりにも端に寄りすぎているせいで、背中が岩肌に押しつけられていた。
もともとオーウェンは、脱衣所で待つと言っていたのだ。
でもここは貸し切りのお風呂だし、調査の意味でも実際に二人で使ってみる必要がある。
で、彼の体は見ないようにするし、タオルもお互い巻くから問題ないと説得して、ようやく納得してもらったと思ってたんだけど……。
微妙に納得しきれていなかったらしい。
確か以前、ノーラお義姉様と一緒に採寸をした時も、こんな様子だった気がする。
あの時は、体に変な痣があるのを見られたくないとか、それとも人前では見せられないような柄の下着を見られるのが気まずいのかなと思っていたけど。
もしかして……単純に、私の前で服を脱ぐのが恥ずかしかっただけ、とか?
……え、本当に?
私がもう一度オーウェンに視線を向けると、彼は明らかに気まずいと言わんばかりに目線を逸らす。
「すみません……私もしかして、あなたに無理強いしてしまっていましたか?」
そう言うと、オーウェンは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
私は少し言葉を選びながら続ける。
「あー、えっと、私は仕事のことになると、周りが見えなくなってしまうことがあって……。もし、それをあなたに押しつけて嫌な思いをさせていたのなら、ごめんなさい」
レイバン家の人間は、必要だと思えば、そういう場面で羞恥を優先しない。
というか、私含めうちの人間に羞恥心というものがあるのかどうか疑問である。
でもそれはあくまで私の感覚で、オーウェンは違ったのかもしれない。
人前でのあーんを未だに恥ずかしがるように。
すると、ぽつりと静かな声が落ちた。
「謝らないでくれ」
声の方へ首を向けたら、オーウェンは困ったように眉を下げていた。
「君がそういう人間だということは、最初から分かっていた。ただ……俺の方が、それにうまく対応できていなかっただけだ」
「…………」
そうは言われても、私たちはこれでも生活を共にする夫婦なわけだし、片方だけが我慢を強いられる状況はよろしくない。
私はしばらく考えてから、ふと思いついた。
「……あ」
「どうした」
「いい案があります!」
私は手近にあったタオルを手に取ると、そのまま自分の目にぐるぐると巻き付けた。
「さあ、心置きなくくつろいでください!」
私の視界は塞がれてしまったけど、オーウェンが恥ずかしがる理由がなくなるなら、このくらいどうってことない。
景色が見えなくなってしまうのは少し残念だけど、我ながら合理的な解決策だと思った。
しかし、返ってきたのは沈黙だった。
やがて、オーウェンが戸惑いがちに声を上げる。
「……ブレア」
「はい?」
「俺からは、君の姿が丸見えなんだが」
「それはそうでしょう。あなたまで視界を塞いでしまったら、何の意味もありませんし」
試しに温泉で、私もオーウェンも二人して目隠ししている場面を想像してみる。
……うん、ものすごく変だ。
「というか、私はタオルを巻いているのでお気になさらず。それにあなたが私に見られることはないので、何も問題はないかと」
「そういうことじゃないんだが……」
そんな言葉が聞こえた後、お湯が小さく波打ったかと思うと、パッと視界が明るくなる。
突然の眩しさに思わず目を細める。
「何するんですかオーウェン」
すぐ目の前にはオーウェンの姿があって、彼の手には私の目を隠していたタオルが握られていた。
せっかく対オーウェン用にと視界を塞いでいたのに、肝心の本人に取られてしまうなんて。
「君が視界を塞ぐ必要はない」
「だけど、それだとあなたが嫌なんじゃないですか?」
「むしろ、君が今みたいに視界を塞いでいる方が嫌だ」
そう言うと、オーウェンは私の目を隠していたタオルを湯船の縁に置いた。
それから一度だけ深く息を吐き、何か言いたそうに口を開きかけたけど、結局何も言わなかった。
代わりに、少し迷うような間を置いてから、私のすぐ隣に腰を下ろす。
「もう離れなくても平気になったんですか?」
「ああ」
短く答えたオーウェンの顔は、まだ少し気まずそうだったけど、今度は離れようとはしなかった。
『婚約者に捨てられた聖女は隣国王太子に溺愛される――はずでしたが、聖女の力で商売を始めました』
というブレア主役の短編を書いてみました。
(第一部の25話にデートに行った時に出てきた劇の主役の聖女に、もしもブレアがなってしまったらという話です)
もしよければそちらもぜひ。




