12.花びらと客室の怪異
そのベッドは天蓋付きだった。
布はやわらかな生成り色で、灯りに照らされ、落ち着いた雰囲気を作っている。
女子が好きそうな、いわゆるお姫様ベッドだ。
問題は、その上。
ベッドの上には赤いバラの花びらが大量に散らされている。
しかもその中央には、小さなカードが一枚置かれていた。
近づいて手に取ると、
『お二人の夜が、良い思い出になりますように』
と書かれていた。
対になる椅子に、揃いのランプとマグカップ。
テラスのベンチも二人で寄り添うことを前提にしたような幅しかない。
極めつけは、一台しかないこのベッドの上。
恋人たちへの演出としては満点だ……って、そうじゃなくて、今はどうしてオーウェンが固まっているのか、その原因を探らないと。
オーウェンはまだ入口の近くで固まったままピクリとも動かない。
まるでそういう彫像のようだ。
「オーウェン?」
大丈夫かな。息してる……?
呼びかけてもやっぱり動く気配はないし。
私はベッドを見てから、再びオーウェンに視線を移す。
ここで私は察する。
……もしかして、花びらの量が多すぎるのが気になっているんじゃないかと。
だって私も気になってるから。
私はオーウェンの元へ歩み寄ると、彼の腕をポンポンと叩く。
「分かりますよオーウェン。私もこれには、さすがに戸惑いましたから」
オーウェンの体が小さく動く。
「寝る時ちょっと困りますよね。だって邪魔ですし」
オーウェンの肩がわずかに強張る。
「寝返りもろくに打てませんし。それに、匂いも結構強いですし、いくらいい香りだって言ってもこれだと気になって眠れない気がします」
「っ……」
するとオーウェンは息をのみ、とても複雑そうな表情で目を伏せる。
「そう、なのか……? 確かに俺は君よりも体は大きいし、匂いも……その、そこまで……」
「あれ、オーウェンは気になりませんか?」
私はベッドに近づき、赤い花びらを一枚摘まむ。
「花の香りだって別に嫌いじゃないですけど、こんなにたくさん散りばめられていると、私としては頭がくらくらしそうになります」
そう言ったらオーウェンが、はっとしたように目を上げた。
「……花びらのことか」
「? はい、そうですけど」
それ以外に何があると?
そう言いたげに彼に目線を向けたら、なぜかオーウェンは安堵したように息を吐き、強張っていた表情を元に戻す。
さっきまでの妙な固さが少しだけ抜けた気がしたので、私は気を取り直して考察を続ける。
「これ、どうするのが正解なんでしょうか。普通はこのまま寝るんですか? それとも一枚ずつ拾い上げてよけるとか? 枚数があるので大変ですよね。かといって床に落とすと掃除が大変そうですし」
冗談抜きで、結構な量がある。
このまま寝るのはかなり厳しい。
かといって全部払うのももったいない。
「ただ、演出としては悪くないと思うんですよね」
そう言いつつ指先でさらにもう一枚つまむ。
「本物の恋人同士なら盛り上がるでしょうし……あ、例えば、この空間でプロポーズをする、なんていう使い方もできますよね。あとは、新婚の夫婦用に、特別な一室として用意しておくのも面白そうです」
少し考えてから続ける。
「そうだ、花びらをお風呂に浮かべたりしたら綺麗だと思いませんか? お湯にも香りがついて、気分も上がるかと……って、これ、バリエスでも使えるかもしれません!」
浮かんできた案を頭の中で整理しながらさらに考えを巡らせていたところで、不意にオーウェンがふっと表情を和らげる。
そして完全に気が抜けたように近くの椅子に腰を下ろし、こちらを見る。
「ブレア」
「はい?」
「君は相変わらずだな。……どこにいても、君はブレアだ」
「はい。私はブレア・レイバンですけど」
むしろ私がオーウェンだったりアインだったりするはずがない。
発言の意図を測りかねていたら、オーウェンは、そういう意味じゃないと言って、困ったように笑った。
「いや、ブレアが動揺する姿なんて、一生見られないんじゃないかと、そう思っただけだ」
動揺か……。
お父様に裁きの間へと呼び出される時には、動揺というか恐怖は感じる。
だけど私が一番はっきりと感情が動くことといえば、やっぱりアレだ。
「そうですね。でも、オーウェンにも前に話したように、私は……」
そこまで言いかけたところで。
窓の外で、黒い影がふわりと揺れた。
……え。
だって、ここは最上階だ。
当然、外には誰もいないはずで。
「…………」
いやいや、ありえない。
だけどこのまま確かめないわけにも……。
大丈夫、絶対に気のせいだと自分に言い聞かせ、私はもう一度窓の方へと視線を向けたら。
――さっきよりも、はっきり見えてしまった。
大きい。
黒い。
揺れている。
そして、そこに――いる。
あれは――もしかしてもしかしなくとも、やっぱり……。
そう思った瞬間、私は喉の奥が焼き切れるほどの声を上げた。
「ひゃぁぁぁぁぁぁっっっ――――!!!!」
私は慌てて近くのベッドに飛び込む。
花の匂いとかそんなのどうだっていい!
そのまま布団を頭からかぶって、ひたすらに震えまくる。
「やぁぁぁぁっ――――! やだ、やだやだやだやだ!!」
無理無理無理無理無理っ!
本当に無理。
本気で無理。
無理なものは無理っ!!
「ブレア!? 急にどうしたんだ!」
オーウェンが慌てて近づいてきた足音を耳にしながら、私は思いっきり叫ぶ。
「な、なにかいました! いたんです! 絶対にいましたっ!!」
「何がいたんだ!?」
言葉に出すこともはばかられる。
怖い、怖い怖い怖い!
だけど、オーウェンに説明するには、言うしかない……!
私は意を決して口を開いた。
「お、お、お、おば」
「おば?」
震える声のまま、私は大声で叫ぶ。
「お、お化けです! 幽霊です! 窓の外に黒いのがいたんです――!!」
最悪だ、なんでこんなところに物理攻撃の効かないお化けなんているのか!
こんな時に限って、悪霊退散の札を持っていないなんて……!
心臓の音が痛いくらいに早く鳴り響く。
布団の中で必死に息を整えながら、私は小さく呟く。
「ここ宿泊客用の部屋です……立ち入り禁止です……! は、入るならせめてノックを、ノックを……!!」
「ブレア、少し待っていろ」
落ち着いた声がして、オーウェンが窓の方へ向かう足音が聞こえる。
彼の気配が遠ざかると、私の恐怖心はさらに膨れ上がる。
怖い怖い怖い、お願いだから早く戻ってきて……!
ぶるぶる震えながら、私はベッドの上でオーウェンを待つ。
しばらくしてから外を確かめる気配がして、オーウェンが戻ってきた。
そして、布団の上から、軽く叩かれる。
「もう大丈夫だ」
「……本当ですか?」
「ああ。外には何もいない。部屋の灯りが窓に映って影のように見えただけだ」
「本当の……本当に?」
おそるおそる布団の端を少しだけめくると、オーウェンが静かに頷いた。
ごくりと唾をのみ込み、もう一度だけ窓の方を見る。
視界の端で黒いものが揺れた気がして、もう一度叫びながら布団の中の世界に戻ろうとする。
けれどオーウェンの言葉を信じてしっかりと確認したら……確かに彼の言った通りだった。
「なら、私の勘違い、ですか……?」
「ああ。一応外にも出てみたが、何もなかった」
「そうですか」
……よかったぁ。
身の安全を確認できてから、ようやく私は体を起こす。
びっくりしすぎて本気で心臓が飛び出るかと思った……。
もしも飛び出てしまったら飲み込んだらいいのかなと、まだ混乱する頭で考える。
そのままゆっくりと呼吸を整え、ようやく心臓の音が落ち着きを取り戻し始める。
――だけど、今更ながらあんなに騒ぎ立てたのが恥ずかしくなってきた。
だって、部屋中が揺れるほどの金切り声で叫んでしまったし。
もしかすると隣の部屋にも聞こえていたかも。
こんなの、宿にとっては営業妨害だろうし、後で謝りに行こう。
それに、これでも私は立派に成人しているのだ。
なのにあそこまで大騒ぎしてしまい、それをオーウェンに見られ……うん、やっぱり恥ずかしいし、情けない。
なのでオーウェンから視線を逸らして、小声で謝罪する。
「すみません。その……お恥ずかしいところを見せてしまって。もう大丈夫ですので」
「いや、だが……」
オーウェンの戸惑ったような言葉にふと彼の視線の先を辿ると、震える私の指が彼の服の裾をしっかりと握っていた。
「っ、い、今すぐ離しますので!」
けれどオーウェンは、私の手の上に彼の手を重ね優しく包み込む。
普段は私の方が高いはずの体温なのに、さっき恐怖を感じたからか、自分でもびっくりするくらいに冷えていたことに気づく。
「君の震えが落ち着くまで、こうしているから」
「ありがとう、ございます……」
彼の体温を感じているうちに、少しずつ胸の奥に残っていた緊張がほどけていくのが分かる。
……でも、久しぶりに感じた羞恥心はなかなか収まってくれない。
赤くなった頬を見られないように俯いていたら、気遣うような優しい声が落ちてきた。
「その、なんだ。ブレア、あまり気にするな。人間怖い物の一つくらいあるものだし、それに、俺だって君には恥ずかしいところを見られている」
「……え?」
「……前に酔った時のことだ」
言われて、オーウェンが酔っ払って帰ってきた夜のことを思い出す。
離れたくないと駄々をこね、私の腕をつかんだまま眠ってしまった、小さい子供のようなオーウェンのことを。
忘れてほしいと言われていて、積極的に思い出すことはなかったけど、記憶にはしっかりと残っている。
わずかに顔を上げて彼を見ると、オーウェンは困ったように笑っていた。
「だからこれでおあいこだ」
その言葉に、胸の奥に残っていた気まずさがすっと消えていく気がした。
それでもまだ完全には落ち着ききれなくて、私はもうしばらくの間だけ、彼の手の中に指先を預けたままでいた。
ただ静かにそこにいてくれるだけなのに、それだけで私の心が落ち着いていく。
彼の手は、私の震えが完全になくなるまで離れなかった。
そのぬくもりを覚えておこうと思いながら、私が今回の件から得た教訓は一つ。
――とりあえず、今度から塩とお札は常備しておこう。




