11.旅の初日と一つの誤算
マルリックまでは、馬車だとおよそ四日はかかる。
だけど、それは少しもったいない。
帰りはお土産もあったりで荷物が増えるから仕方ないとして、まだ身軽な行きはもっと短縮して、少しでも滞在日数を確保した方がいい。
というわけで、今回の移動手段は騎乗に決めた。
「馬車じゃないのか?」
出発前にオーウェンに確認されたので、私は頷いた。
「途中で馬を替えながら進めば、かなり短縮できます。各地に点在するレイバン家の乗換拠点も使えますし」
ちなみにカールも、アインと一緒にお留守番だ。
この間に、少しでも仲良くなってくれたらいいなと思う。
「絶対に、絶対にっ、土産は忘れるなよ!」
出発前、見送りに来たアインが、不服そうにするカールからのくちばし攻撃を避けながらも、そう念押ししてくる。
私はそれに話半分で返事をする。
「覚えていたら」
「忘れたらマジで裏切るからな」
彼の目は本気だ。
それは困るので、ちゃんと買ってこないとと心に留めた。
そして早朝には王都を出発し、途中の拠点で馬を替えながら進むことになった。
旅は順調に進み、夕方には、一日目の宿泊予定に考えていたスタンクの町に到着した。
街道沿いにある、ごく普通の地方都市で、特別に大きいわけでもないけど、小さいわけでもない。
その証拠に、大通りはかなり多くの人で賑わっていた。
レイバン商会もここには一軒食堂を出している。
夕食はそこで食べた後、私は真っ先にある場所へと向かう。
目的地は、最近新しくできたばかりだと聞いていた宿だ。
この町に拠点を持つ商会が主導して建てたものらしい。
結構評判がいいので、一度行ってみたかったのだ。
――そう、例の恋人たちに大人気の宿屋だ。
近づいてみると、外観は落ち着いた木造の建物で、窓辺には柔らかな灯りが並び、夕方の通りの中でもひときわ目を引いていた。
噂で聞いていた通り、確かに恋人らしき人たちが何組も、仲良く腕を組んで宿の入り口へと吸い寄せられていく。
この間の誘拐事件の件もあって、私とオーウェンは、王都以外でもそれなりに名前が知れている熱烈カップルである。
実際、少なくない視線を感じるし。
こうしちゃいられないとばかりに、私は周辺にいるどこのカップルよりも仲睦まじい姿を見せるべく、更に私の体をオーウェンに密着させる。
オーウェンが驚いたように一瞬体をぴくっと跳ねさせたので、すかさず彼に顔を近づけるように目配せする。
「急にどうしたんだ」
「いえ、これまで以上に熱烈な夫婦を演じた方がいいのではと思いまして」
「そ、そうか」
……と、視界の端の木陰の辺りで、唇を重ね合う二人組の姿が映る。
なんとも情熱的だ。
まじまじと見てはいけないと思いつつ、私たちは無言でついそちらに目線を向けてしまう。
「…………」
「…………」
「……そういえば、あの結婚式以来、練習も本番もしていないですよね。私たちも、ここであれくらいしておいた方がいいんでしょうか」
「――っ!?」
私はオーウェンの顔を見上げる。
久しぶりに近距離で眺めるオーウェンの唇は、相変わらず少し乾燥していそうだ。
そうだった、あの時、男性でも使えるリップを開発しようと思っていたんだったっけ。
私としたことがすっかり忘れていた。
今回こそは忘れないようにと心のメモにそのことをしっかりと記し、改めてオーウェンを見つめる。
「とりあえず、呼吸は止めなくていいということは分かりましたので。まずは軽く十秒ほど唇を合わせてみるのもいいのかと……」
「け、結婚式でもないのに公衆の面前でする必要性を感じない!」
「そうでしょうか」
「そうだ!」
とにかく早く中に入ろうと、オーウェンは私を半ば抱えるように、早歩きで宿の入口へと向かう。
オーウェンがそう言うのなら仕方がない。
彼的には、人前でそういう行為をするのは恥ずかしい、というのもありそうだし。
アルマイド伯爵夫婦だって、距離はものすごく近かったけど、さすがに皆がいる前で口づけはしていなかったはずだ。
ただ、どこでボロが出るとも分からない。
一度どこかで練習はしておいた方がいいと、そのことも心のメモ帳に書き足しておいた。
若干顔を赤らめたオーウェンと一緒に中へ入ると、受付にいた女性が見事な営業スマイルを浮かべて出迎えてくれた。
「ようこそお越しくださいました……」
が、隣に立つオーウェンを見て、その後小脇に抱きかかえられているような私の顔を見て、笑顔のまま一瞬固まる。
かと思うと、すぐに表情が変わった。
「……もしかして、レイバン商会のブレア様と、中央騎士団のオーウェン様でいらっしゃいますか?」
「はい、そうです」
別に隠していたわけじゃないとはいえ、まさか一発で言い当てられるとは思わなかった。
私が肯定の返事をすると、再び女性は固まった。
だけどオーウェンへと向けられた瞳は、明らかにキラキラと星が舞っている。
……すっかり記憶の彼方に飛ばしていたけど、オーウェンは身長も高く、目も覚めるほどの美麗な顔立ちの持ち主である。
思わず、オーウェンの本棚に並んでいた、イケメン騎士がヒロインの腰を抱く美麗な表紙絵の本の数々を思い出す。
だけど、あれに描かれていた騎士たちよりも、正直今のオーウェンの方がずっと目を引いた。
現に、受付嬢をはじめ、ロビーにいる客の中にもオーウェンを見つめる女性客がちらほらいる。
私が隣にいなければ、たちまち女性たちに囲まれてしまいそうだ。
一方で男性陣の視線も感じたけれど、それは女性たちのような熱っぽさとはどこか違っていた。
さすがはオーウェンだ。
まさか同性の視線まで奪ってしまうなんて。
どこか羨ましそうに私たちを見つめる受付嬢を前に、私は満面の笑みで口を開く。
「急ですみませんが、本日宿泊をお願いできますか?」
「も、もちろんです! 空きを確認いたしますので、少々お待ちください!」
オーウェンを見つめて目をとろんとさせていた受付嬢だったけど、私の言葉に慌てて奥へ引っ込む。
その様子を見送った後、私はまじまじと隣のオーウェンを眺める。
「あなたは本当にすごいですね。……まさか男性にもモテるなんて思いもしませんでした」
私の言葉に、オーウェンは一瞬だけ周囲へと目を配らせる。
が、対外用の笑顔のまま、なぜかかすかに眉根を寄せる。
「……彼らの視線の意味に、本当に気づかないのか?」
「?」
私が首を傾げると、オーウェンはなぜか私の腰を引き寄せてくる。
「あの、ちょっと密着しすぎでは……?」
急に一体どうしたのかと小声で尋ねるも、オーウェンは素知らぬ顔で、さっきからこちらを見ていた数人の男たちへ鋭い視線を向ける。
すると、彼らは慌てて顔を背けた。
だけどオーウェンが手の力を緩めることはなかったので、私は諦めて、されるがままになっていた。
程なくして、すぐに支配人らしき男性が現れた。
「お任せくださいませ、当宿で一番評判の良いお部屋をご案内いたします」
そう言って彼が先に立ち、私たちはその後を歩き出した。
階段を上がりながら、すぐさま廊下の幅や照明の位置を確認する。
壁際に一定間隔で取り付けられたガラス覆いの油灯が、足元をやわらかく照らしていた。
幻想的に見えるように配置されているのが分かる。
夜でも移動しやすそうだし、部屋に向かうまでの間もロマンチックな気分になるんじゃないだろうか。
例えばこの光の色を変えたら、もっと幻想的にならないかな。
光を覆っているガラスを色付きの物にして、あ、教会のステンドグラスのようなものを使えばもっときれいになって……。
そんなことを考えていると、視線を感じる。
隣へ首を向けたら、オーウェンがこちらをじっと見ていた。
さっきロビーで周囲に向けていたよりも、かなり穏やかな目線である。
「どうかしましたか?」
「いや、きっと仕事のことを考えていたんだろうなと」
「よく分かりましたね」
「分かるさ。君のことは」
オーウェンは目を細めて柔らかく笑いかけた。
「そういう時のブレアは、いつも楽しそうだからな」
誰かの目線がある時によくする、彼なりの愛情たっぷりの笑顔。
まるで本当にこちらのことを愛していると勘違いさせるその笑みは、日に日に真剣味と威力を増している気がする。
さっき受付で見せていた笑顔よりも、ずっと強力だ。
思うに、オーウェンは女性に流行のちょっとアレなタイトルの本を参考にするより、彼自身が考えて行動した方が自然だと思う。
あとは、私とたまにやってる練習をそのまま実践するとか。
そんなことを考えながら歩いているうちに、やがて最上階へ案内され、廊下の突き当たりの部屋の前で支配人が足を止める。
「こちらが本日ご用意できるお部屋でございます。それではごゆっくりおくつろぎくださいませ」
「ありがとうございます」
そうして扉が閉まり、オーウェンと二人だけになったところで。
私は彼から離れると、すぐさま仕事モード全開で部屋全体へ視線を巡らせる。
部屋の広さは一般的な客室よりも、ずいぶん広い。
照明は全て暖色寄りに統一されていて、ぬくもりのある木材の色合いと相性がいい。
部屋の内装も外観と同じく落ち着いていて、なんだかほっとする。
丸テーブルの両側には同じ形の椅子が二脚あって、ランプも対になるように置かれている。
棚の上にはお揃いと思われるマグカップが二つ並んでいる。
一番奥にはテラスがあって、外に出てみると、部屋の中から見ていた以上にとても広かった。腰掛けられるベンチに、小さなテーブル。
ハンモックに、ひざ掛け、さらに足元には小さなランタンまで用意されている。
見下ろせば町の灯りがゆっくりと夜に沈み始めているところだった。
反対に今度は見上げると視界いっぱいの星空が広がっていた。
ただ景色を見るっていうより、夜空を見ながら時間を過ごすことを前提にした造りだ。
二人で座ったら自然と肩が触れ合うくらいの幅しかないベンチに腰掛けて、星空を眺めるのも悪くなさそうだ。
これが恋人に人気の宿か……。
実際に部屋を見れば納得だった。
――と。
すっかり部屋に気を取られていた私は思い出す。
そういえば、オーウェンを放置しっぱなしだった。
慌てて室内へ戻ると、なぜか彼は入口のあたりで立ち止まったまま微動だにしない。
首を傾げつつ視線の先を辿った私が目にしたのは――部屋の中央に置かれた、大きなベッドだった。




