10.オーウェンの旅の目的
旅行が決まってからも、私はいつも通り仕事に明け暮れる日々を過ごしていた。
お兄様には顔を合わせるたびに、いいないいなと恨みがましくぶつぶつ呟かれたけど、こればっかりは私にはどうしようもできない。
お兄様の愚痴を適度に受け流しつつ、旅行の準備も進める。
マルリックは町全体が温泉街になっていて、私も実は一度しか訪れたことがない。
その時は短時間での滞在だったこともあって、主要な観光名所である『碧の泉』しか見にいけなかったのだ。
碧の泉は温泉街の少し中心を外れた場所にあり、目にも鮮やかなコバルトブルーの源泉が常に湧き続けていた。
だけど涼し気な色合いとは違ってかなりの高温のため、近くからは見ることができず、柵越しにしか見えなかった。
あれを見た時に、碧の泉周辺に転がっている岩とかを取り除いて視界を良くできたらいいのにと思ったりした。
他にも、安全な範囲でもう少しだけ柵を泉に近づけたり、視界を遮らないように柵の格子の間隔を広げて見晴らしを良くしたりすればいいのに、と。
もしも碧の泉がレイバン家の管轄だったら、すぐにでもそれらを実行するだろう。
なんならもっと近くで見えるように特等席を設けるとか、コバルトブルー色の碧の泉まんじゅうやソーダを開発してお土産屋に並べたり。
だけど碧の泉の危険性も分かるし、整備するのもお金と時間がかかる話だから、そう簡単にはいかないんだろうなとも思った。
お土産の開発だってそうだ。
私の商売には何にも関係ないのに、手にした碧の泉のパンフレットを眺めながら、ついそんなことを考えてしまう。
……って、違う違う、今回の目的は、バリエスの参考になる案を探すための視察だ。
気を取り直して、今回の視察で行くべき場所を探して、次々にノートに記していく。
マルリックだけじゃなくて、その途中で立ち寄る町にも行くべき場所はある。
確か、スタンクという場所に、新しい宿屋がオープンしたって話を聞いた。
恋人たちに大人気らしく、オーウェンとの新婚旅行も兼ねている今回、行かない手はない。
仮にお兄様と一緒に視察に行けていたとしても、そういう場所に兄妹で泊まるのは、微妙に嫌だ。
……といいつつ、そうなったら四の五の言わず泊まるけど。
こんな感じで私の方は行きたい場所は大体決めてしまって、準備も万端だ。
一方でオーウェンはというと、急な休暇命令のためか、引き継ぐべき仕事がたくさんあってなかなか準備が進んでいないようだった。
帰宅は連日深夜になっていて、まともに顔を合わせられない日も続いていた。
そんな、旅行の前日の夜。
「ブレア、マルリックに着いたら、一か所行きたい場所があるんだ」
その日は私の帰宅後すぐにオーウェンも戻ってきた。
休みに何をすればいいか分からないと絶望していたあの日とは違い、その目には久しぶりに生気が戻っていた。
一体どこに行きたいのかと尋ねたら、オーウェンは一通の手紙を差し出した。
宛名はオーウェン宛で、差出人の欄には意外な名前が記されていた。
「ガーネット・マドランって……マルリックの領主ですよね?」
私の言葉に、オーウェンは短く頷く。
彼女は、病死した元マドラン伯爵に代わって最近その地位に就いたばかりの人物だ。
オーウェンに促されるまま中を改めると、そこにはマルリックの温泉街を案内させてほしいと書かれていた。
さらに読み進めると、食事もご一緒させていただきたい、一泊伯爵家にお泊まりになられませんか、という招待が続いている。
そして最後には、奥さんのブレアさんともお話したいことがあるので、ぜひご一緒に、という一文があった。
私は手紙を読み終えて、オーウェンを見つめる。
「これは一体……?」
オーウェンは私をソファへ促すと、自分も隣に座った。
「実は、モーリス公爵に今回マルリックへ行くことを伝えたんだ」
「……あ」
その一言で、私はすべてに合点がいった。
そういえば確か、マドラン家に嫁いだガーネット様は、モーリス公爵の実の娘だったっけ。
そしてマドラン家は王都から離れているとはいえ、地方貴族の中ではかなりの発言力を持つ伯爵家。
加えてガーネット様は、嫁いだ身ではあるけど、王都でも有数の公爵家の娘。
閃いた私の表情を見て、オーウェンはそういうことだと言わんばかりに小さく微笑んだ。
オーウェンから旅行の話を聞いたモーリス公爵が、せっかくなら娘に歓待を頼もうとしたところ、ガーネット様の方も私たちに会いたがっていると分かったらしい。
それで、速達でこの手紙がガーネット様から送られてきたと。
「仕事漬けの日々から解放されるための休暇だから、王都の騎士団には顔を出すなと言われたが。……休暇中に、知り合いの伝手で、たまたま地方に住む人間と親交を深めるのは問題ないだろう」
「考えましたねオーウェン」
――そう、相手がたまたま、ガーネット様だったというだけ。
モーリス公爵との縁を繋いだのは私だけど、今では彼は私を介することなく、自分でどんどんと交流を広げていっている。
マドラン家と縁を持つことは、きっと彼の後押しになるはずだ。
なるほど、オーウェンの目に久しぶりの生気が戻っていたのは、この訪問が昇進への足がかりになり得ると分かっていたからか。
私はオーウェンの言葉を聞きながら、彼の戦略的な判断に改めて感心する。
「いいですね、私もマドラン伯爵とは一度お会いしたいと思っていたんです。それに、温泉地での話を領主の立場から伺えるのは魅力的です」
あと、彼女からの文面にあった、私と話したいことの内容も気になるし。
彼女とは会ったことがない。
多分だけど、世間話をしたい、という感じでもないだろう。
そう思いながら、私は視察に伯爵家への訪問をどう織り込むか、頭の中で予定を組み直していく。
今回のマルリック行きは、思っていた以上に意味のある旅になりそうだと、私はひそかに口元が緩むのだった。




