9.王都に残す意味
翌朝。
出発準備を進めながら、私はリビングでアインに今回の視察について説明していた。
「――というわけで、今回はオーウェンが同行することになりましたので、あなたは王都で留守番です」
そう告げた瞬間、アインが露骨に顔をしかめた。
「は? 俺も行きたかったんだけど」
心底不服そうである。
でも仕方ない。
そもそもアインは、オーウェンが不在の時の護衛として雇ったのだ。
オーウェンが一緒に行くなら、今回彼の役割はない。
「オーウェンがいれば護衛は足りますし、あなたにも休暇は必要かと」
それに、彼には護衛役以外にもここでやってもらいたいこともあるし。
そんな私の心情など知らないであろうアインは、髪を掻きながら視線を明後日の方へ向ける。
「休みなぁ。王都の美味い店マップ作りは合間に進めてるし、休みだからってそんなにやりたいことないんだけど」
そう言った後、アインがキッチンにいたオーウェンに向かって声をかける。
「っていうかオーウェン、そんな四六時中ブレアの傍についとけるのかよ」
アインのその言葉に、オーウェンがこちらを見て即答した。
「問題ない」
迷いのないまっすぐな声だった。
だけど、私の中で何かが引っかかる。
私たちは溺愛夫婦ということになってるんだし、王都以外でもその噂はまことしやかに流れているらしいから、視察中も一緒に行動するのはむしろ自然だ。
けれど今の返答には、これまであまり感じたことのない熱のようなものが混じっていた気がした。
何だろう。
気のせいかもしれないけど、本気度というか、妙な圧というか……。
アインも何か言いたげにオーウェンを見ていたけど、すぐにいつもの調子に戻ると、懐から折り畳まれた紙を取り出して私に差し出した。
「ほら」
「なんですか?」
開いてみると、びっしりと文字が書かれていた。
「マルリックで美味いって噂の店。あと買ってきてほしい土産」
「……多いですね」
その数は想像以上だった。
アインは自他ともに認める美食家だ。
その彼が選んだんだから、存分に参考にさせてもらおう。
ちなみに、お土産の欄に至っては、甘い物から酒のつまみまで幅広い。
これ、全部買ってこないと後で散々文句言われそうだ。
「……分かりました。買えるものは買ってきます」
「よし」
満足げに頷くアインを見て、少しだけおかしくなる。
その時、オーウェンがキッチンから何かを持って戻ってくると、アインの前にことりとそれを置いた。
もちろん彼の前だけではなく、私の前にも同じものが置かれる。
これは、例の野菜ジュースである。
アインが疑わしそうにグラスを覗き込む。
「……毎度えぐい色してるけど。今回こそはマシになってるんだろうな」
彼には何度か味見をしてもらっているが、合格点をもらえたことはない。
アインは覚悟を決めたようにグラスを持ち上げ、半分ほど口に入れた。
そして沈黙する。
「……どうだ?」
オーウェンが尋ねると、無の表情になったアインがゆっくり彼を見る。
「おい、前よりまずくなってるってどういうことだ」
「え? そうなんですか?」
私も意を決して自分の分に口をつける。
ああ、うん、まずい。
初めて飲んだ日の記憶が蘇る程度にはまずい。
「……改良したんですよね?」
「した、つもりなんだが」
オーウェンは落ち着いた声で答えながら、自分の分を飲み干した。
そしてわずかに眉をひそめる。
「調整を誤ったかもしれない」
「こんなの、改良じゃなくて改悪だろう」
アインが呆れたように言うと、オーウェンは一瞬だけ視線を逸らした。
「……余計なことを考えながら作ったのが良くなかったのかもしれない」
「余計なこととは?」
「昨日、ブレアが言ってたことだ。俺の代わりにアインを温泉に……」
言いかけたオーウェンは、なぜかそこで言葉を止めると。
「気にしなくていい」
それだけ言って、オーウェンは空いたグラスを持ってキッチンへと戻ってしまった。
一体何だったんだろうと、アインに同意を求めるように目線を送るも。
「……腹でも下したんじゃねぇの?」
私からあからさまに目を逸らし、残っていた野菜ジュースをまずそうにしつつも一息に飲み干す。
でも、アインの言葉も一理あるかもしれない。
それくらいこの野菜ジュースは独特な味だったから。
私は薬箱からお腹の薬を取り出すと、オーウェンへと手渡す。
「これ、よく効くので、腹痛が辛いようならぜひ飲んでください。すぐに痛みも治まりますから」
「あ、ああ、ありがとう……?」
オーウェンは不思議そうに首を傾げながらも、それを受け取る。
その後、出勤時間が来たオーウェンを玄関まで見送った。
「先に出る」
「はい。お気をつけて」
「帰りは遅くなる」
「分かりました」
短いやり取りを交わして送り出したところで、私は振り返る。
本題はここからだ。
すると、壁にもたれかかっていたアインが、私が話し始めるより先に口を開いた。
「で? 俺に留守番を命じるってことは、何か調べてほしいことでもあるんだろ」
「……相変わらず察しがいいですね」
「まぁな」
私はにっこりと微笑むと、人差し指を立てた。
「まず一つ目。私たちが不在の間、あなたには騎士団内部のことを少し探ってほしいんです。中央騎士団長ピーター・ライレイのことと、他にもオーウェンに敵対していそうな人間がいないかどうか」
ピーターは平民出身ながら中央騎士団長にまで上り詰めた人物で、部下からの信頼も厚い。彼への評価だって、なんの陰りもない。
なんならオーウェンの昇進を後押ししている立場ですらある。
だけど、アインの話ではジェームズの背後に彼がいた可能性があり、オーウェンも疑ってはいる。
ただ、まだ証拠がないと。
私の言葉に、アインが意味深に笑う。
「へぇ。つまり、あんたは自らオーウェンの出世を手伝うってことか?」
「それは違います」
オーウェンはレイバン家の力を使ってのし上がることを拒んでいる。
騎士団でハーヴェスト姓を未だに名乗っているのがその証拠だ。
「これはあくまで私の自衛のためです」
それは事実だった。
オーウェンが何かに巻き込まれれば、結果的に私にも影響が出る可能性が高い。
だったら、先に把握できるものは把握しておいた方がいいから。
「了解。そういうことにしといてやる」
「本当にそうなんですって」
「はいはい」
軽く流されたけど、引き受ける気はあるらしい。
よかった、と思ったところで、私はもう二本目の指を上げる。
「あと、もう一つ」
「まだあるのか。俺に休暇をくれるんじゃなかったのかよ」
「あなた、大して休みはいらないんでしょう? ――次はダスティお兄様が呼んでいますので、よろしくお願いします」
「……は?」
その瞬間、明らかにアインの顔が歪んだ。
これだけで用件が何か理解したらしい。
何の話かというと、レイバン家の面々から言われている、アインの禊の話だ。
「あなた前回は、お父様に変装して夜会に出たんですよね」
「……ただ笑って頷いてるだけのクソつまんねぇ会だった」
その時の光景が蘇ってきたのか、ものすごく嫌そうに吐き捨てるアイン。
表情筋だけは引きつるほどに使うけど、中身はひたすら退屈だったらしい。
「で、今回はお兄様がお呼びです」
「最悪だな」
「あと、ノーラお義姉様もリアン叔父様も呼んでいましたので、私がいない間に顔を出しておいてくださいね」
二人とも、何を頼もうかとワクワクした顔で考えてたっけ。
アイン的には何も楽しくないだろうけど。
「こんなことなら殴られる方がどれだけマシだったか……」
遠い目をしているけど、あの時自分で何でもすると言ったんだから仕方がない。
「頑張ってくださいね」
「分かってるよ。罰はちゃんと受ける。騎士団の方も見ておく」
「お願いします」




