8.休暇命令(オーウェン視点)
「休暇ですか?」
ガルフの言葉に、オーウェンは思わず聞き返すと、机の向こうでガルフが淡々とした口調で答えた。
「ああ。しかも二週間だ」
二週間。
短くはない。
それどころか、むしろ長すぎるほどだ。
ただ、時期が問題だった。
このたび、オーウェンの第二小隊長就任が正式に決まった。
来月にはガルフの後を継いで隊を率いることになり、ガルフ自身も第四小隊長への異動が決まっている。
オーウェンはこれまでと同じ第二小隊所属とはいえ、ガルフからの引継ぎもある。
それなのに、隊長就任まで日のないこのタイミングで休暇を言い渡されるとは思ってもいなかった。
「理由はなんですか」
「上層部が言うには、上が休まないと下が休めないからと。心当たりはあるだろう」
「…………」
確かに、積極的に休暇を取った記憶はない。
これまでも、必要な時だけ取ってきた。
例えばブレアの家やハーヴェスト家への挨拶に、自身の結婚式。
他にも彼女との溺愛を周囲に知らせるためのデートに、夫として参加する夜会時など。
そのどれもが、形式上必要だった外出だった。
そしてブレアと結婚の話が出る前までは……それよりもさらに休暇を申請した回数は少なかったはずだ。
筋は通っている。
……むしろ、反論しようのないほどに。
「ようは、溜まっている休暇を全部使えという話だ」
しかし、これまで似たような状況だったにもかかわらず、なぜ今回だけ上から命じられるのか。
オーウェンの無言の疑問を読み取ったガルフが、声を潜めて言った。
「ちなみに命じたのは、中央騎士団長様だ」
「……では、そういうことでしょうか」
ジェームズの事件の裏で糸を引いていた可能性のある人物。
ピーターも表向きは、オーウェンを認めているように見える。
隊長昇格には、彼の承認も必要だったが、すぐに承認をしてもらえた。
だが、ジェームズの件もある。
彼も表向きはオーウェンの良き理解者であり、同僚だったのだ。
しっかりした確証を得られたわけではないが、現在疑っているあのピーターが命じたのなら――。
「俺がいない間に何か仕掛ける可能性はありますか」
「ない、とは言い切れないな。俺の方でも探ってはいるが……団長様はなかなかしっぽが掴めなくてな。本当に黒なのか断言もできかねない」
ただ、限りなく黒に近い灰色なのは確かだった。
それならオーウェンが小隊を離れる二週間の間に、動くつもりなのかもしれない。
「正直に言え。お前が騎士団の中で信用できるのは誰だ」
オーウェンは少し視線をガルフから外すと考え、すぐに顔を上げた。
「ガルフ隊長を含めた、第二小隊の面々。それと中央所属で数名」
「名前は」
オーウェンは数名の名を挙げる。
さらに少しだけ間を置いた。
「王女殿下の近衛に入っている者の中にも一人います。ヒューゴ・メディス」
「ああ、あいつか。メディス侯爵家の。幼馴染だったな」
ガルフは納得したように頷いた。
「他は」
「現時点ではその程度です」
ジェームズの件もある。
同じ中央騎士団の人間であっても、簡単には信用できない。
だからこそ、大事な時期に離れることになるのは不安に思ったオーウェンだったが。
彼の不安を見抜いたガルフが立ち上がると、オーウェンの肩を一度だけ強く叩いた。
「心配するな。この俺がちゃんと目を光らせておいてやるから。少なくとも第二小隊は問題ない」
そして、オーウェンに優しい眼差しを向けた。
「これがお前に、この役を渡す上司としてできる最後のことだ」
「っ、隊長……」
来月、隊長就任が世間に正式に発表されれば、これまでのような上司と部下ではなくなる。
「お前もたまには仕事を忘れてゆっくりしろ。そして英気を養って戻ってこい、――新第二小隊長」
「はい」
それ以上言葉はなかった。
オーウェンは敬礼してガルフの部屋を出ると、扉の前で一度立ち止まる。
来月になれば、立場は変わる。
これまで背中を追ってきた隊長と並び立つことになる。
不安がないわけではない。
それでも、これからもっと先へ進むつもりなのだ。
不安を抱えたまま、オーウェンはまっすぐ前を見て歩き出した。
――だが。
オーウェンはここで、ある重大なことに気づく。
今回のように、理由のない休暇は初めてだった。
突然降って湧いた二週間。
オーウェンはその場で足を止める。
……その二週間、一体何をして過ごせばいいのか分からない。
考えてみれば、オーウェンに趣味と呼べるものはほとんどない。
常に仕事が優先であり、むしろ働くことが趣味だと言っても過言ではないのだ。
それなのに、その仕事をするなと言われると……。
何をするべきか考えて、考えて、考えて。
思いついたのは一つだけだった。
「……筋力を強化するか?」
誰もいない廊下で小さく呟く。
趣味と呼べるか分からないが、日々の鍛錬は欠かさず行ってきた。
二週間集中して取り組めば、かなり仕上げられるだろう。
だが、ここで思い出されるのは、これまでのブレアの言動だった。
ブレアは以前、体格の大きすぎる護衛はあまり好まないと言っていた。
曰く、護衛の姿が目立ちすぎて、身動きが取りにくくなるからと。
今のオーウェンくらいの肉体は問題ないらしい。
それなら、筋肉が付き過ぎるのはよくないかもしれない。
では、どの程度なら問題ないのか。
筋力増加に努めつつ、体格を変えない方法はあるのか。
むしろ何もしない方がいいのではないか。
だが何もしない二週間というのは現実的ではない。
……考え始めると、止まらなくなる。
「俺は、一体どうするべきなんだ……」
そんな悩みを内に抱えながらその日の職務をこなし、自宅へと帰る。
だが明かりをつける気にもなれず、ソファに体を深く沈めて本気で悩んでいたところで、
「オーウェン……えっと、何かあったんですか?」
控えめながらも、凛とした声が耳に入る。
ゆっくりと顔を上げると、そこには心配そうな表情でオーウェンの顔を覗き込むブレアの姿があった。
途端にオーウェンの心がゆっくりとほどけていくような感覚になる。
そうだ、この問題は、自分一人では解決できそうにない。
オーウェンは、たまらずブレアに助けを求めた。
「ブレア、助けてほしい……」
そうして明かりの灯された部屋であらかたの事情を話すと、ブレアは考えるように視線を伏せた。
「その件は、以前お話ししていただいた通りですね」
「ああ」
確定ではないにしろ、ピーターの話をブレアには伝えていた。
「その方に命じられた休暇、ということですか」
「そうなる」
「期間は?」
「二週間だ」
表向きの理由があまりにも理にかなっている以上、断ることはできない。
騎士団内部の動きも気になるが、ガルフに任せているのだ。
今は彼の言われたとおり、休暇を満喫すべきだろう。
……その方法が分からずに困っているのだが。
そこでブレアは首をかしげた。
「二週間もあるのに、何をするか決まっていないんですか?」
「決まっていない」
正確には、一つだけ考えた案はある。
「……鍛錬を強化しようかと思ったんだ。だが、あまりにも体格が変わってしまうのは、君が嫌がるのではと思って」
「そ、んなことは、多分ないかと……」
微妙にブレアが視線を逸らす。
「というか、二週間でどれだけ大きくなる予定なんですか? 一体どんな鍛錬をするつもりで」
「自宅での鍛錬もいいが、どうせなら山にこもって、朝から深夜まで、限界を超えるまで鍛えぬこうかとも考えていたんだが」
むしろそれくらいしか、二週間も時間を使うことが思いつかなかった。
オーウェンとしては真面目に答えたのだが、ブレアは絶句している。
「あ、いえ……それがあなたのしたいことだというなら、私は止めませんけど。休みの日は自分のやりたいことをするに限りますし」
「ちなみに君は休日はどう過ごしているんだ?」
「仕事してますけど」
即答だった。
予想通りではあったが、やはりそうかと思う。
ブレアだけでなく、レイバン家には休日という概念がない。
彼らにとっては仕事の合間に仕事をすることが、息抜きになるのだろう。
それはオーウェンも同じだった。
ただ彼は組織に属している以上、休暇を取ることを命じられれば断ることはできない。
とはいえ、やはり何もせず過ごすのは現実的ではない。
やはり近くの山にこもるべきかとそう考えていると、ブレアが突然ポンっと手を叩く。
「そうだ! オーウェン、来週からお休みだって言っていましたよね?」
「ああ」
そこでブレアは小さく頷いた。
「それなら、ちょうどいいかもしれません」
「何がだ?」
尋ねると、ブレアが鞄から何かを出してオーウェンに渡す。
それは、この国でも有名な温泉地、マルリックの観光案内書だった。
「これは……」
「私、来週から二週間、マルリック地方へ視察に行く予定なんです」
「視察?」
「はい」
今日決まったばかりですが、とブレアは付け加え、続ける。
「あちらにあるレイバン家の店舗の確認もありますし、今進めている計画の参考にもなるので」
ブレアが言うには、現在ダスティと共同で計画を進めている宿泊施設の周辺から源泉が発見されたらしい。
そのためにマルリックへ急遽向かうことになったと。
「せっかくなので、オーウェンも一緒に行きませんか?」
「俺もか? だが、君の迷惑にはならないだろうか」
「なりませんよ。ただ、オーウェンがやりたいことがなくて困っているというなら、その悩みを解決するのも妻である私の役目かな、と思いまして。それに……」
ここでブレアは間をおいてから、やがて何かを思いついたように目を上げ、悪戯っぽく笑った。
「私たち、新婚旅行にすら行っていませんし。溺愛夫婦としては、この辺りで一度そういうイベントを挟むのもいいんじゃないかなって」
かすかに弾んで聞こえる声に、オーウェンの心臓が大きく高鳴る。
――最近、同じことが何度かあった。
こうして不意に距離を縮められるたび、胸の奥が落ち着かなくなる。
けれど、その理由を考えようとすると、いつも上手く掴めなかった。
オーウェンはいつものようにそれを意識の外へ押しやると、考える。
「本当に、同行しても問題ないのか」
「もちろんです! あと、個人的にも助かります。あそこには恋人や夫婦でなければ利用できない貸切の温泉というのもあるらしくて。何か参考になるかもしれないですし、アインをオーウェンに変装させて一緒に行くって方法も考えたんですけど」
ぴくりと、オーウェンの口元が引きつる。
しかしブレアはそれには気づかないようで、楽しそうに続ける。
「だけど、王都にいるはずのオーウェンが遠く離れた場所にいたと後で露見すると面倒なことになりそうなので、どうしようかなと思っていたんです」
ブレアに他意はないことは分かる。純粋に仕事のためだ。
だが……。
アインがブレアと一緒に温泉に浸かっているところを頭の中で想像するだけで、胸の奥が不愉快なほどにざわつく。
その案は、絶対に看過できない気がした。
「……それならなおさら、俺が同行するべきだろう」
「はい、とてもありがたいです」
ブレアは当然のことのように頷いた。
これで二週間の過ごし方は決まった。
ブレアとは一年も一緒に同じ家で過ごしてきた。
それなのに、彼女の視察に同行できることを考えると、かすかに口元が緩む。
――それが何によるものなのかは、まだ分からないままだった。




