7.動き出す計画と異変
アインが正式に護衛になってからかれこれ一カ月が経った。
といっても、生活が劇的に変わったかと言われると、そうでもない。
彼は必要な時には必ずいるけど、不要な時には視界に入らない。
護衛時は普段のくすんだ金髪と赤い瞳は隠していて、今は黄土色の髪に灰色の目の、どこにでもいそうな青年に見える。
雰囲気だけは相変わらず軽そうだけど、近付くと隙がないのが分かる。
服装については……いつも派手なのに目立たないっていうのが不思議だ。
名前については色々考えた挙句、結局面倒だったのでアインで通すことにした。
彼のこの見た目や所作からは、まさか誰もアイン本人だとは思わないだろう。
まして私を誘拐した張本人を、普通は雇うわけはないし。
……その普通じゃないことをしている自覚はあるけど。
そうそう私が敵に襲われるなんてことはないんだけど、以前、商談帰りに妙な尾行が付いたことがあった。
気付いた時にはもう消えていて、さくっとアインが処理していた。
ちなみに相手は身代金目当てで私を攫おうとしたチンピラだったらしい。
「弱すぎて手応えなかったぞ」
報告もちゃんとしてくれてるし、アインが手を出すまでもなく、大抵は彼の雰囲気に気圧されて逃げていく。
その強さも含めて、護衛としては理想的だと思う。
ただし――。
「今日の昼飯は一番街の香草焼きの鶏と平焼きパンにしようぜ。あ、スープも付けろよ」
しょっちゅう食事のリクエストをしてくるあたり、やっぱり普通の護衛じゃないと思う。
でも、私が食事先に困った時は彼が紹介してくれることも多いので、持ちつ持たれつというところかもしれない。
それに仕事はきちんとしているし、変装能力も情報収集能力も申し分ない。
念のため、アインを護衛として雇った件はガルフ隊長にも報告していた。
騎士団の中でも、彼は特にアインの危険性を警戒していた人物だったからだ。
オーウェン伝手にその話を聞いた時の彼は、かなり困惑した顔をしていたらしい。
誘拐犯を護衛にするなんて、と。
だけど、アインからの申し出があったからとはいえ、それが最も合理的だったので仕方がない。
そんな中で私はというと、今は別件の仕事に追われていた。
例のバリエスの湖畔施設の件である。
そこである問題……いや、私的にはラッキーな掘り出し物を見つけてしまったのだ。
実は、買い取った湖畔周辺でお湯の湧出地点らしき場所が見つかった。
つまり――温泉である。
正確な数値はまだ出ていないけど、湯量としては十分みたいだし、温泉があるっていうのも売りにしない手はない。
例えば明るいうちは湖で遊んで、夕方は温泉に入って体を温めて、とか。
いや、絶対にありだ。
他にも足湯を作るとか、温泉に入りながらゆっくりとお酒を飲む、なんていうのもいいかもしれない。
なんにせよ、夢は膨らむばかりだ。
と、いうわけで。
「お兄様。私は来週から二週間、マルリックの温泉に行ってきますね」
どんな温泉にするか考えるためにも、まずはこの国で唯一温泉が湧き出しているマルリックへ足を運んで、参考になる事例を直接見ておきたい。
それに、あの地方にはレイバン家が出している店舗もあるので、その視察も兼ねられる。
自分の担当分の仕事の振り分けもしてきたし、何も問題はない。
「……いいなぁ」
ダスティお兄様は机の上の資料から顔を上げると、悔しそうな顔でこちらを見た。
「僕も行きたかった」
「そう言うと思いました」
予想通りだったので、特に驚きはない。
「でもお兄様は無理ですよね」
「無理だね」
即答だった。
「来週も会談とか夜会とか細かく調整がある。今のタイミングで二週間も王都を空けるのは、さすがに難しいよ」
次期当主としての仕事が増えてきているのは分かっている。
だから仕方がない。
とはいえ。
「現地を歩けば半日で新しい案が出るのに、その半日すら捻出できないなんて……!」
本気で悔しそうな声でそう言って、机に突っ伏してしまったお兄様。
「マルリックは王都から遠いですからね。仕方ないですよ」
お土産は買ってくるので元気だしてくださいと肩を叩いたら、ばっと頭を上げたお兄様はふてくされた顔で言った。
「それより、行くからにはちゃんと面白い案を拾ってきてね。あと温泉まんじゅうも二箱」
「分かりました。任せてください。私がお兄様の代わりにしっかり楽しんで働いてきますから」
お兄様を慰めつつ、マルリックへ行くための準備も進める。
「……そういえば、オーウェンにはまだ知らせていなかったですね」
商会からの帰り道ぼそりとそう呟くと、背後にいたことを忘れるほど気配を消していたアインが、驚いたような声を上げた。
「なぁ、普通そういうのって真っ先に報告しないか?」
「仕方ないじゃないですか。マルリック行きを決めたのは今朝ですし」
これまでも急に王都を離れることはあったけど、時間が作れたらすぐ行動なので、前日どころか当日に伝えることも多かった。
「オーウェンは慣れているので、大丈夫ですよ」
するとアインは私にしか聞こえない声量で一言。
「そんなんでよく溺愛夫婦って言えるよな」
私も彼に聞こえるくらいの声で答える。
「公の場に出る時は、ちゃんと熱愛ぶりを見せていますから、問題ありませんよ」
回数はそこまで多くないけど、夜会に参加する時はオーウェンに同伴をお願いしている。
その時は周囲が疑う余地がないくらいの振る舞いを見せるのが当たり前になっている。
他にも、どちらも仕事中でなければ、外にいる時は必ず手を繋いでいるし。
たまに彼は変な本を借りてきてはおかしな方向にいきかけるけど、私たちの関係が偽装だと疑う声は今のところまったくない。
……ちなみにオーウェンがつい最近参考にした指南書は、『冷徹騎士様に壁際で逃げ場を奪われましたが、なぜか溺愛されています』だ。
顔の角度まで調節したオーウェンが壁ドンをしてきた時には、どうしようかと思った。
しかもやり方が絶妙に古いし。
タイトルを聞いて、それは却下だと伝えたら、肩を落としつつまた新しいのを探してくると言ってたっけ。
数カ月に一回は、オーウェンはそんな感じである。溺愛に見えるように努力してるのは認めるけど……。
でも、演じはじめてからかなり経つけど、なんやかんやありつつも演技も板についてきていると自負してる。
あーんには、相変わらず苦戦しているけど。
家でも食べさせ合いっこの練習をするべきなのかな。
本気で悩みながら歩いていたら、隣から声が落ちる。
「あんたらってさ、正直普通にしてる方が糖度高めの夫婦に見えるけどな」
「そうなんですか?」
でも、誰もいない場所での私とオーウェンは、手も繋がないし、ものすごく顔を近づけたりもしないし、うっとりとした瞳で見つめ合うこともしない。
どこにも甘さなんてないと思う。
「具体的にはどういった場面で思うんですか?」
「あんたらの普段の会話とか雰囲気とか?」
「うーん、よく分かりませんね」
首をひねり、試しに今朝の朝食の時のオーウェンとのやり取りを思い出してると、ふと視線を感じる。
隣を見上げると、アインはいつものように面白いものを見るような目で私を見ていた。
だけどなぜか、その目には一瞬だけ、からかいだけではない熱が宿った気がした。
が、それは一瞬のことで、すぐにアインは目線を逸らして、軽く息を吐いた。
「……ま、どっちも鈍いってことだな」
「意味が分からないですけど」
鈍いとは心外だ。
釈然としないまま言い返すと、アインは鼻で笑う。
それ以上アインが何か言うことはなかった。
そして、自宅の前まで来たところで足を止める。
「では明日はいつも通りでお願いします」
「了解……あ、明日の昼飯は?」
「ル・ラミエールです。新作の試作を兼ねて」
「マジか!」
「あと、ローリーに頼んでいたモーリス領のワインを使ったスイーツも完成したそうなので」
「最高じゃねぇか! やっぱ職場変えてよかったわ」
上機嫌になったアインは足取り軽く帰ろうとして――ふと足を止めた。
「おい、もう少し俺に慣れてくれてもよくないか?」
声を掛けた先は私ではなく、こちらの肩の上のカール。
けどカールは、初めてアインと会った時と変わらず、攻撃心むき出しだ。
アインと目が合うと、すぐに羽を膨らませて鋭い瞳で睨み付ける。
「……まだ駄目か」
野生の勘でも働いているに違いない。
私ですら、アインの強者めいた雰囲気を感じるくらいだから。
「じゃあな。また明日」
「はい」
そうして別れて家に入る。
もうすぐ夜にさしかかる時間帯で、室内はすでに薄暗い。
まだオーウェンは帰ってきていないようだ。
が、中に入った瞬間、足が止まった。
ソファに体を埋めるようにして座っているオーウェンがいたのだ。
こんな、薄暗い中で明かりもつけずに。
しかも――絶望していると言わんばかりの顔をしている。
彼の虚空の宿った瞳が、シャレン食堂でリーリア王女に迫られて困っていたオーウェンの姿と重なる。
もしかして、リーリアの再来襲!?
でもローリーと最近恋人になったんだって、つい先日リーリアには自慢されたばかりなんだけど。
私はおそるおそる近づくと、そっと声をかける。
「オーウェン……えっと、何かあったんですか?」
私の声かけでようやくこちらの存在に気が付いたらしいオーウェンは、ゆっくり顔を上げる。
そして、彼はなんとも困り果てた声でこう言った。
「ブレア、助けてほしい……」




